monologue
夜明けに向けて
 



このところ話を聞いている満州で育った歴史の証人のような女性が就学した学校名は朝日高女で「奉天浪速高等女学校、奉天朝日高等女学校、奉天長沼高等女学校」などの名前を記憶されている。
奉天朝日高等女学校は4階建てで階段の横にその時代すでにエスカレーターがあった。
冬は零下20度以下になるので体育の時間広い運動場でフィギュアスケートをした。後に岩波ホール総支配人になった高野悦子さんは彼女の朝日高女の1年後輩だった。それで同窓会は立派な高野家で毎年行われたという。
fumio

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