monologue
夜明けに向けて
 



わたしが幼少の頃、暮らした京都の地区に住んでいた大和暦の製作者渋川(安井)算哲は金王八幡宮と関わりが深いのでその社伝を参照すると
渋谷重家が渋谷八幡宮に祈願を続けていると、金剛夜叉明王が妻の胎内に宿る霊夢をみて男子を授かりその子に明王の上下二文字をつけ「金王丸」と名付け 渋谷金王丸常光(しぶやこんのうまるつねみつ)と称する。そして金王丸の名声により、渋谷八幡宮を金王八幡宮と称するようになったという。とすれば当時、算哲に囲碁や天文のインスピレーションを与えていたのは金剛夜叉明王のようだ。現在の通りに「算(三)哲通り」の名は見えず京都駅の前の塩小路ということになっている。
fumio


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )