monologue
夜明けに向けて
 



 
三四、 飛ぶ鳥は撃たれた
    闇に走る者達の
    「聖なる剣」によって

三五、 冷静なる知恵者よ 心で見よ
    全ての「聖なるもの」は 神の
    御業のしるしであり 名前では無い
「光の黙示録」より

 飛鳥時代、、大和朝廷の氏姓制度による支配体制では皇祖ニギハヤヒの祭祀権を持つ物部氏がヒエラルキーの頂点にあった。
 しかし、その支配体制転覆を目論む渡来人新興勢力、蘇我氏は輸入宗教、佛教を政権獲得の道具として政権獲得を謀った。蘇我稲目は物部尾輿(もののべのおこし)と対立して、佛教受容を主張。その子、蘇我馬子は佛法興隆を掲げてついに物部守屋を倒した。当時、十四歳の。厩戸皇子(うまやどのおおじ)は蘇我氏の軍に加わって働いている。その後、厩戸は佛教興隆のシンボルとして崇敬を集めもてはやされたが、それはかれを傀儡として利用する権力者たちの作戦だった。かれらは反対派三十二代崇峻天皇を暗殺し、蘇我蝦夷(えみし)入鹿(いるか)父子は、厩戸と蘇我馬子の娘の子で、皇位継承の有力候補だった山背大兄(やましろのおおえ)王を殺すなどして厩戸の一族を根絶やしにして、国政をほしいままにした。厩戸皇子は没後100年以上を経て「聖徳太子」と呼ばれることになった。当時政権獲得のために闇に走った者達にとって厩戸は聖であり徳であったのだ。傀儡としての役割を終えて一族を根絶やしにされた厩戸は「聖徳太子」という虚名で呼ばれてなにを想うのか。

fumio

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