monologue
夜明けに向けて
 



 9月23日、彼岸の中日にわたしは死にかけていた。
こうしてブログを始めて今記事を書いているのだから生き残ったわけだが残念ながら臨死体験はしなかった。
臨死体験を楽しみにしている人は多いだろうが
体験しても忘れてしまうか、戻って来れずにそのまま向こうに行ってしまうかで
なかなかうまくゆかないものらしい。

 その朝、妻が出かけようとドアを開こうとしたとき、
ソファに座って新聞を読んでいたわたしは声をあげて悶絶した。
妻は冗談をしているのかと思いながら駆け寄ってきた。
呼吸が止まり完全に気絶しているのに気づいて救急車の出動を要請し、
しばらく道がわからず迷った救急車が到着するまで
舌が喉につまっているのを割り箸で必死に直そうとしていた。
隊員が到着して妻の手を止めた。
「奥さん、割り箸でそんなことやっちゃいけません。」「でも喉がつまってるから」
「それでも危ないからだめです」と言い争い病院に急いだ。

 わたしの記憶はソファでのけぞったあとから
目を開いたとき見た看護婦の姿に直接つながっている 。
人々が慌ただしく動き回っていた。病院のベッドに寝ているらしかった。
気絶している間に脳のCTスキャン、血液検査など一通り検査は終わっていた。
わたしが目覚めたのに気づいて妻が声をかけてきた。
「一週間、入院」と医者が告げたという。別にこれといって悪いところはないが
血糖値が異常に低いだけということだった。妻はそれで安心して会社に出勤していった。
 ICUから一般病室へ運ばれてわたしはただ呆然としていた。
夕食は炊き込みごはんや骨を抜いたサンマなどで「今日はお彼岸です」とメモがついていた。
午後7時をまわると妻が面会にやってきた。
わたしは点滴の針を自分で抜いて「帰ろう」と言った。

数日後、以前治療した奥歯にかぶせてあった部分が外れたり顎の筋肉が痛くなったりしたことで
いかにものすごい力で歯を噛みしめていたかがわかった。
女性の力で口を開いて舌を直し気道を確保するのは並大抵のことではなかっただろう。

 23日という日は特別な日だ。それは大和の初代大王「天照国照彦天火明奇甕玉饒速日尊(ニギハヤヒ)」の
月命日なのである。現在、勤労感謝の日として親しまれている11月23日に大王は崩御された。
それで前日11月22日の夜から皇居で物部式の鎮魂祭が執り行われ翌日、23日に新嘗祭、大嘗祭が執り行われるのである。そして民間では現在も月天使、月讀としての大王を慰めるために二十三夜様という行事が残っている。
 23日の彼岸に一旦わたしを向こう岸に渡し、また返したのは
その日にちで大王のことを思い出させて、わたしにまだやらせることが残っているからかもしれない。
fumio


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