下段にコピペした昨年の投稿記事(赤字部分)とほぼ同じ状態で
再び季節外れとも思えるような木蓮の花が咲き始めたのである。
去年は4個、今年は3個だが雨上がりの空に向かい『私達を見よ!』
とばかりに日増しに濃くなった紫色の花びらを伸ばし、ファッション
モデルが背筋を伸ばし胸を張って歩く姿を思わせるように・・そして
選ばれし者として主張しているように見える。
木蓮が6月に咲くことは珍しいことではないのかもしれないが、
我が家に限らず、さいたま市や隣接する市町村でも私は見たことがない。
我が家の木蓮は18年ぐらいに前に通りかかった大きな民家から分けて
もらって育てたものでそのいきさつがまた忘れられない思い出と
なっている。
18年前、その民家の脇を通る時に何気なくその庭を見ると沢山の
木蓮の花が・・・
毎年木蓮の花を沢山絵手紙に描きたいと思っている妻の千恵子選手の
望みが叶うのならば・・・と少し離れた場所に車を停め、私は
勇を鼓してその民家を訪れた。
木蓮の花はかなり咲いていたが外は寒く、住人のことを思うと
インターホンを押すのを躊躇したが思い切って押してみるといかにも
暖かい暖房のある部屋からでてきたと思われるような頬が少し赤らんだ
その家のお父さんらしき人・・・
事情を話すと少し面倒くさそうな表情ではあったが人は悪くなさそうで
すぐに玄関脇の剣先スコップを手に木蓮のところへ・・・
しかし、すぐにまた家の中へ・・実は寒さが厳しいので少し長引くかも
しれない作業に備え、少し厚手の棉入り半天を着るためだったのである。
何本かある木蓮の木の根元近くの小さな木を掘り起こし、その根の部分を
透明のビニール袋に入れて私に渡してくれたのだ。
絵を描きたいのならこの枝も・・と開いた花の他に幾つもの蕾のついた
すこし大きめの枝も切って渡してくれたのが寒風とともに心に沁みた。
その後、お礼のためお菓子と千恵子選手の絵手紙を持参し、時々は
若木の様子を報告し、花が咲き始めてからも時々絵手紙でお礼を・・・
という今や我が家の年中行事となっている。
昨年の投稿記事⇩
1週間ぐらい前に大きく拡がった木蓮の葉っぱの間に小さい薄紫色の
蕾のようなものが見えたのでもしや?・・・と思い、近づくと紛れもなく
2個の蕾であった。
日々少しずつ膨らみ、どこから見ても木蓮の蕾だとわかるようになり、
3~4日前あたりからその膨らみは次第に大きくなり今にも開きそうな
様子で花びらの形もはっきりとわかるようになってきた。
今朝の雨に打たれている姿は自ら開花を一時中止し、近いうちに
青空の下で大きく開き、私たちを喜ばせようと頬を膨らませ笑みを
こらえているかのように見えた。
雨をしのぎながら下から覗くと私の大きな掌の縦半分ぐらいに
成長した葉は枝を覆い隠しているがその陰の新しい枝にまた二つ・・・
合計4個となっている。
更にその奥にも生まれたばかりの小さな蕾がひとつ、ふたつ・・・
花が咲き出してからかなりの年月が経過しているがこんな事は
はじめてである。
この木蓮にはいろんな思い出があるがまた一つ記憶、記録が追加
されることになる。
桜が季節外れに咲くニュースなどは耳にすることはあるが、我が家でも
こんな事が起きるとは・・・
そういえば・・・昨年は3月に月下美人が咲いたことがあったなあ・・・と
思い出した。
いずれもささやかな『我が家・ふしぎ発見』であった。
今年は季節はずれの事象を目にしますね。
桜の開花の早さから始まり、梅雨到来の遅さ、朝顔の開きが遅く向日葵が咲いたとの知らせに続き、shima宅の木蓮が今頃花開いたとか。驚きですね。
その木蓮のお話には感動させられます。
親切な方からの暖かな行為が18年も生きそして咲き続ける美しい物語。千恵子夫人の絵手紙にも愛が籠っていることでしょうね。
朝から良い話を聞かせて頂き有難うございました。
お気づきのように「原因がよくわからない」場合に使う言葉ですが、自然界の場合は判らないとは言っても、地球の温暖化が少なからず影響している場合が多いです。
一方で、何らかの由縁のある草木に関しては、忘れられない出来事とともに特に気になり思いが深まりますね。
家庭菜園の収穫物では、どうしても例年と比較することが習慣づいているものです。
ところが、「政界の不思議」となると、「異常事象」がマンネリ化してしまって、国民に「抗体」ができているのか、それほど騒がないのが不思議です。
もっと、身近な不思議同様に関心を持っていただいて、政治を変えて欲しいですね。
コメントありがとうございました。
返信がすっかり遅くなりましたが・・・
例年と同じように顔を見せた花々もありますが、時期が大きくずれたものもありますね。
たしかに朝顔や夾竹桃などもいつもと少し違った状態に見えます。
毎年春になって木蓮の蕾が膨らみはじめる頃には妻とヒヨドリのいたちごっこの闘い(?)が始まりますが、ヒヨドリ達はこの婆さんを恐れるどころかすっかりなめてかかり、おちょくるような態度で飛来してきます。
これもまた我が家の春の風物詩となっているのですが・・・
我が家にとっては「由緒ある(?)木蓮」ですからこのいわれ、いきさつを忘れることなく、これからも大切にしていきたいと思います。
今年はhighdyさん家の「牡丹」などをはじめあちこちで花々にも不思議な現象(?)が見られましたね。
仰るとおり、政界の異常事象は完全にマンネリ化していますね。
国民にはワクチン接種による抗体よりも先に腐敗政治に対する残念な抗体ができつつあるようですが、
これは由由しきこと・・・次期選挙では国民自らが目を覚まして忖度、しがらみのない状況で意思をしっかりと表して欲しいと思います。
政権を選ぶのは我々、責任を問うのも、負うのも国民といえるでしょう。
建設的な提案が欠ける野党にも喝を入れて国民の期待に応えられるようになって欲しいものですね。