『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

「キュンです!」に繋がる「想い出のグリーングラス」

2022-12-16 15:18:27 | 喜怒哀楽をポジティブに
先週、高校時代(富山)の同級生二人から葉書が届いた。
一枚は義理の弟が亡くなったという「喪中につき・・」の年賀欠礼状。
もう一人の同級生からは安否の確認とともに寒さに向かうこの時節、
体調に気をつけて新しい年を迎えて欲しいという優しい言葉に加え、
『会いたい!会いたいなぁ~、俺たちはこのままこのまま会えずに
一生を終えるのかなぁ~』という何とも寂しい文言が・・・

懐かしく、すぐにでも会いたいという思いに駆られ、胸が熱くなった。

彼らはハンドボール部で大活躍の猛者だった。
「野球と勉学は両立しない・・・」という周囲の声に負けたような形で
高校野球を諦めた私は高校では運動部に入らなかったが、ハンドボール部の
面々とは馬が合い、私生活でも彼らとは親しく付き合っていた。

私の上京後は会うのは何十年に一度・・という状況で通常は年賀状や
季節の変わり目の簡単なハガキのやり取りぐらいだったが既に
亡くなった仲間もいる。

富山はハンドボール王国で、私達の母校はハンドボールでは全国に
知られた強豪校・・私たちの先輩の時代から県内では無敵であったし、
国体や全国大会、インターハイでも何度も優勝を飾り、近年も
高校3冠に輝いている。
私は知らなかったが私の地元(氷見)を舞台にした「送球ボーイズ」という
ハンドボール漫画が近年連載され、既に60万部が発行されているという。

彼ら(今回のハガキの二人)の練習が終わる頃に他の仲間と一緒に
待ち合わせ、週に何度も一緒に銭湯へ入ったり、勉強したり・・・

年賀欠礼状の彼は「日立」のハンドボール部で活躍し、引退後は
日立の子会社の社長に抜擢され、現在も日立市に住んでいるが、
もう一人の優しい彼も穏やかに定年を迎え、地元氷見で静かに余生を
送っている。
そんな彼らや故郷のことを思いながら、自分の人生と故郷のことを
振り返ってみた。

先日の私の記事「僅か70ページの本が目覚めさせるもの・・・」に
繋がるような自分の中のもう一人の自分(リーダー)がしっかりして
いなかった私は「野球と勉学は両立しない・・・」という周りの声に
飲み込まれるようにして(負けてしまって)親の職業(教師)を
継ぐため・・として高校野球をやめてしまったのだが、結局家庭の
諸事情で大学進学を自ら諦めてしまった。
(父には放蕩息子だった長男の後始末と、私の2歳下に上級生にも
歯向かう暴れん坊だった弟の大学進学は叶えてやりたいと言う希望も
あり、私もそう思ったので・・・)

親や先生たちは最後まで大学進学を薦め私を説得しようとしたのだが
ここではもう一人の自分であるリーダーが活動したのか否か?
私は頑なに拒み続けた。

こういう私に対し「大学へはアルバイトをしてでも行けたはずなのに・・
本人の意志の問題である・・」という方々もいらっしゃるが現実は
そんなに甘くはなかったのだ。
結局、高卒で就職した私は何をするにも実務では絶対に第一人者に
なろう・・と決意し、世に言われる「企業戦士」としての時代を
走り続けたのだ。

いま、考えると野球も、運動も勉強も好きだった私は、本当は
大学生活で今回の「自分の中のほんとうのリーダー」を
育てたいという気持ちに似たものがあったのかもしれない。

だが、結果的に後悔などは全くない。
私は常々、「過去があるから今がある・・・」と思っているし、
自信をもって公言もしている。
それは決してマイナスとなった結果には該当させず、すべてプラスに
働いたことだけをそう思うようにしているし、事実そうなのである。
「あれがなければ今頃・・」とか「あの事があんな結果を招いたのだ・・」
などと後悔するようなことはない。

辛く苦しかったことも「あんなことがあったからこそ頑張れた・・」や
「あれが勇気に繋がった・・」「苦節〇年は無駄ではなく意味あるもの
だった」などとすべて良いことだと考えられるのだ。

ブログ友の中にも「苦節〇年・・・」が後々功を奏した・・とご自身で
感じていらっしゃる方もいらっしゃるようだ。

嘘をつかず、不要な忖度など考えず、正直に、明るく元気に仲間を
大切にしてきたからこそ、いまこうしてなんとか楽しく生活が
できているのだと思う。

冒頭の同級生二人にもそのことを伝えようと思ったが富山の友人の
電話もメルアドも分からない。
個人情報などが問題とならなかった昔のアルバムには住所は
記載されているが、電話番号がない。
(あの頃は電話のある家はまだまだ少なかったから・・・)

日立市の彼とは時々メールなどのやり取りはしていたが、今回は
パソコンを利用せず、久しぶりに両方(二人)に自筆の手紙を
書くことにした。
私の筆跡から頬を緩め、いくつもの懐かしい思い出を蘇らせてくれるかも
知れない。

小高い丘陵の上の学校の周囲の緑や、大きな桜の木々、そして学校へ続く
道の坂の始まりにあった天然記念物の大銀杏の紅葉が懐かしい。

場違いでちょっと軽薄(?)のようだが一種の「キュンです!」かも
しれない。
ここで・・・その「キュン」に繋がる「想い出のグリーングラス」を・・・

この歌は本来、処刑の日を迎える朝に死刑囚が見た美しい夢の歌なので、
日本人にもたくさんカバーされている歌詞とは違うのだが故郷の美しい
風景を思いだす曲としては心に沁みると感じているから・・・

Green Green Grass of Home / Tom Jones(With Japanese lyrics)  
思い出のグリーングラス / トム・ジョーンズ(和訳歌詞付き)


今日の千恵子選手の『絵手紙コーナー』 
                                    (青の太文字はfumiel-shimaの一言)
ルナリラを知っている人は多いかもしれないが・・・
赤紫色の花(白花もあり)が咲いた後に5、6個の種の入った
円盤状の莢(さや)ができる。
その莢が熟すと割れて2枚の莢と莢の中の種は落ちて真ん中の
薄い膜のような仕切り板が残る。
この薄い膜は光を受けるとキラキラときれいな輝きを見せるので
ドライフラワーとしても利用されるようだ。



ルナリラの花     種の入った莢    割れた後の仕切り板

          (これらの画像はネットより拝借)

幼なじみの友へ


野菜も山の果物も美味しい秋     音楽講師の娘へ
   



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8 コメント

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Unknown (まかろん)
2022-12-17 07:23:30
shimaさん、お早うございます。
なんて力強い人生を送ってこられたのでしょう。

>だが、結果的に後悔などは全くない。

ほんとうにそれだけの行動をされて生き抜いてこられたということがはっきり伝わりました。

そういうshimaさんには、もう、
>「自分の中のほんとうのリーダー」
というものははっきりおありだろうなと思いました。


先日お出ししたコメントに、心からの返信をありがとうございます。
苦労された方は、人の苦しみを否定しませんね。
そんなことないだろとか、貴方の気のせい、気のもちようではないかなどと言いませんね。

私ごとですが、取り組んでいる作品で手間取ってしまっていまして・・。
8年前にぶつかった壁にぶつかってしまいました。

それでも書き進めていたのですが、昨夜、
自分の甘さに気がつきまして、14ページ遡って書き直しを試みたのですが、どう進めていいか分からないことが分かりました。

どこで妥協するか、再度、根本から考え直そうと思っているところです。

それでも、shimaさんたちのような、深い人生を過ごしてこられた方に見ていただけるなら、とにかくどんな薄っぺらくなっても、とにかく発表できる形にしたいと思っています。

shimaさんのような、考え深い人たちにブログで出会えて、今までどんなに反応がなくても作品を作りつづけてきてよかったと思うのです。


奥さまの作品は今日も味わい深いですね😊
ルナリラのことは知りませんでしたが、9月のマルーンの物語で、イメージしていたのはこんな感じです。

コツブじゃない、アワ草っていう架空の植物を出したのですけど、
これが球のようになった感じをイメージしてました💖


私ごとで長く書いてすみません💦
週末、考え直しを頑張ります💦
コメントが雑orなしになるかもしれませんが、shimaさんを応援する気持ちは変わりませんので・・。

shimaさんのブログに出会えて良かったです。
奥さまの体調はいかがですか。
おふたりで良き冬の日をお過ごしください🙏
返信する
Unknown (I.SATO)
2022-12-17 08:06:47
fumiel-shimaさん>2013年10月の能登の自転車旅で氷見、富山を通過しましたよ。
丁度台風も通過していて、氷見の駅の待合室でびしょ濡れの身体を拭いた想い出があります。
「もう一人の自分はずっと生き続ける。死なない
。」といいますね。生き方そのものですものね。
返信する
貴重でむしろ贅沢な時間を・・ (fumiel-shima)
2022-12-17 09:37:28
まかろんさん、おはようございます。

今日も貴重な時間に心温まるコメントをありがとうございます。
本当に嬉しく思っています。

まかろんさんも、真剣に取り組んでいらっしゃるからこそ悩みのようなものが生まれたり、壁を感じるのだと思います。

他の誰にも描けない物語に挑む・・と言うと大袈裟かもしれませんが、まかろんさんならではの感性、そして表現で綴る物語は常人には決してまねの出来ないものだと思いますよ。

解ったように生意気を言うようですが、今、まかろんさんは多少の悩みや苦しみ(?)を抱えながら、一旦は立ち止まっても決して諦めることなく、前へ進もうとしているじゃないですか。
それでいいと思います。

さらに・・生意気を続けます。
『何を言ってるの?、全然わかっていないね!』などと仰らず聞いてください。

今のまかろんさんの気持ちを考えると多くの皆さんは理解を示し、応援したいという気持ちになるでしょう。
私も当然そうですが・・・

まかろんさん、今の気持ちを視点を変えてみてはいかがでしょう。
この悩みや戸惑いは誰にも得ることができない自分だけの貴重でむしろ贅沢な時間を味わっているのだと・・・
どうですか?・・・
押しつけがましいようですが、鋭く深い感性をもった思慮深いまかろんさんならばここでも
『何を言ってるの?、全然わかっていないね!』などとは仰らないと思いますが・・・

ご自分が考える作品の完成度をすこし緩めてみるのもいいのではありませんか?
私たちはいつものまかろんさんらしい作品に心打たれ、大きな拍手喝采と共に喜びを共有できるのだと思います。

さあ、急がず、慌てず、鷹揚に、おおらかに行きましょう。
私たちも急がず急かさずゆったりとその日を待っています。
例によって『頑張り過ぎずに頑張りましょう』
『頑張れ!まかろん!』『それ行け!まかろん!』
返信する
お互いに「もう一人の自分」を感じながら・・・ (fumiel-shima)
2022-12-17 09:48:01
I.SATOさん、おはようございます。

自転車旅の能登~氷見間は海岸線を走られたのですね。
台風とは残念でしたね。
晴天でしたら富山湾の向こう側に雄大な立山連峰を望むことができたと思いますが・・・

そして小さい街ですが「ぶり」をはじめ新鮮な魚で有名な氷見を満喫されたかも・・・

I.SATOさんの「もう一人の自分」もきっと力強く生き続けるものと思います。

ありがとうございました。
返信する
あけびの実の甘さ (ポエット・M)
2022-12-17 12:46:06
fumiel-shimaさん こんにちは。
「氷見」のご出身とのこと。二回目の定年後に勤務した会社で新規事業に関わり、
その際に「氷見漁港」「氷見番屋街」の取り組みを見学しに行った記憶があります。
おっしゃるように、富山も、氷見も懐の深い、情趣豊かなところと思っています。

千恵子奥様の「山の秋は楽しみがいっぱい」のあけびの実の薄紫の色調がいいですね。
あけびの実の甘さと、黄葉散る森が懐かしく思い出されます。

なお、私のブログへ早速にコメント頂きありがとうございます。

「老婦人」の方は、誰にでも温かく接してくれ、当時よくお話をしてくれました。
ただ、これは初稿掲載時の前の事でしたので、既に10数年たち、最近は残念ながら
消息が把握し切れていません。もっとじっくりお話を伺っておけばと悔いています。

私たちの母の世代に属する方でしたが、凛として静かなたたずまいが今でも鮮明に甦ります。
fumiel-shimaさんもお会いになればフアンになると思っています。
短歌もかなりの詠み手であったと思っています。

その方たちの想いをしっかりと胸に刻んで参りたいと思っています。
返信する
Unknown (行雲流水の如くに)
2022-12-17 14:08:50
fumielさん、こんにちは。
富山県のご出身なんですね。
私の祖父も祖母も富山県の砺波生まれで、明治時代に北海道に渡ってきました。
物心ついた頃には祖父は亡くなっていましたが、祖母は元気で、「越中おわら節」などは良く聴いた覚えがあります。

「正直に明るく元気に」と言う姿勢が言葉の端端にうかがえます。
本当にまっすぐな人生を歩んできたことでしょう。
奥様の「千恵子選手の絵手紙」も良いですね。
参考になることが多々あります。

ブログではありますが「良い人たちに出会えた」という喜びがありますね。
返信する
氷見をご存知だったのですね。 (fumiel-shima)
2022-12-17 15:13:02
ポエットMさん、こんにちは。

コメントありがとうございます。
氷見と言えば昔から寒ブリで名を馳せてきましたが、
私がいた頃の氷見は現在の「氷見番屋街(道の駅)」のように多くの観光客や旅行客を呼ぶような施設はなく、ただ新鮮な魚が豊富に獲れる町・・というイメージでした。

現在は北陸新幹線の利用や整備された高速道路、自動車専用道路などによって全国各地から観光客や
食通の方がたくさん訪れる魅力ある街になりましたね。

ポエットMさんにはいろんなことを深く感じていただき、千恵子も嬉しさと恥ずかしさが入り交じりながらの毎日です。

仰るように私たちの母の世代はみんな戦争を生きぬいた強さと賢さで凛としていましたね。
もちろん命を貴ぶと同時にその優しさがありました。
返信する
日々学ばせていただいています。 (fumiel-shima)
2022-12-17 15:27:48
行雲さん、こんにちは。

時代を経ても「砺波」や「越中おわら節」という言葉がすぐに出てくるとは・・・
ルーツへの思いが脈々と・・というところでしょうか。
ご祖母様たちは富山の雪と北海道の雪をどう感じていらっしゃったのかお聞きしてみたいような気がしました。
私たちは同い年(80歳)の夫婦ですが、私のブログを通じて、本当に多くの素晴らしい人達に会えたと
いつも話しているのです。
日々、皆さんからたくさんのことを学ばせていただいていることに感謝、感謝です。
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