季節外れのモクレンの開花を毎年記事にしてきたが、今年もまた
葉が生い茂る今、3日ほど前からモクレンが咲き始めた。
モクレンの開花期は3〜4月で、我が家の木も新葉が芽吹く前に
花が満開になり、ヒヨドリの格好の餌食となっていた。
桜が咲き始めるとヒヨドリたちはそちらへ移動し、我が家の
残り少なくなったモクレンの花たちはそれでも明るく空に向かって
体を膨らませ、歌うような仕草で花びらを広げ楽しませてくれていた。
その後、花からバトンを受継いだ大きな葉たちは夏が近づくにつれ、
例年どおり若緑を少しずつ濃くし、隙間なく枝を覆うように勢いよく
広がってその姿を誇張しているかのような姿に・・・。
そんな中、冒頭の言葉にかえるが、またまたこの時季に咲き始めたのだ。
こういう現象は他の花にも見られるようだが、このようなことは
決して嫌なことではなく、寧ろ喜ばしいことと考えればよく言われる
「狂い咲き」よりは「返り咲き」や「二度咲き」と言う方が
花たちに対する「ありがとう・・」の気持ちを表せるのでは
ないだろうかと思う。
昨年は3月、5月、6月、そして7月にも咲いたので今年もこの後
何度か咲くかもしれない。
凍てつくような寒さの中でしっかりと閉じていた蕾は早春と言う言葉を
聞くころには少しずつ膨らみ、色づいてくるとヒヨドリに襲われるという
宿命の中でも力強く、逞しく生き残り、今こうして空に向かっておおらかに
歌うような姿は暑さに向かって私達の気持ちが萎えそうになるこの時期、
私たちに夢や希望を失うな・・そして頑張れと教えてくれているようだ。
まだ寒さの残る中で咲くモクレンには感動を覚えるが、今この時季、
緑の葉の中からちょこっと顔を出す尖った蕾をみると無性に嬉しくなる。
春の頃、葉が出る前に一斉に咲くモクレンは華やかでもあるし、
その大きさや濃淡様々な姿はモクレンのイメージそのものという
感じではあるが今、緑の中で控えめに見える紫ともピンクや紅色とも
いえるこのモクレンはまた格別だと思う。
昨日降り続いた雨がモクレンの木に活気を与えたのだろうか
今日もまた新しい蕾がたくさん顔を出している。
近づいてよく見ると産毛の生えた小さな蕾が無数にある。
これがこのまますべて育つと春先の頃より多くの開花がみられることに
これがこのまますべて育つと春先の頃より多くの開花がみられることに
なるやもしれぬ。
誰かに急かされる訳でもなく、季節を感じながら自分たちのペースで
「ここぞ」と思う時にこうして次々と静かに顔を出す健気なモクレン・・・
それを受け入れる周りの大きな葉と澄み切った青空がまた私の心を
動かすようだ。
そうだ!私も・・と思い、油性のペンを持って明るい陽ざしの庭へ・・・
昨年の春、ブログ友桐花さんがアレックスさんを偲んでハナミズキの
大きな白い花びらに「I miss you」と書いた記事を思いだしたのだ。
私は脚立を持ち出し、モクレンのなるべく高い枝の何枚かの葉に
いくつかのメッセージを書いて空に向かって枝をゆすっていた。
オンザサニーサイドオブザストリートの曲を思い浮かべ、
口笛を吹きたいような気分で・・・
5月、6月、7月、季節外れに顔を出し続けるモクレンたち
心なしか春よりも濃く見える
周りの仲間(葉)たちと共に陽光をいっぱい浴びて・・・
暑すぎると大きな葉は蕾を守るように
今朝は枝の先端でも声をあげるように・・・
小さな主張?・・ 今まさに心が弾けるように
これは以前に千恵子選手が描いたもの
常に空想に耽り、空中を浮遊する私の気持ちを・・・
何故か、卯月や皐月の時期、気温が不安定だと綻んでくるようですね。
植物の体内時計は狂うことも無く、正常運転であると頷けます。
人間には間違ってだの、この時期には咲かないと謂う先入観がありますから異常に思えてしまう。
月も、他所の国の習わしではなく、日本古来の観方をして、満月の情緒を愉しみたいもの。
十五夜は、一年に一度あれば充分ですわ。
節操のなさに厭きれます。
何時も応援・訪問等有難うございます。
怖いおばぁちゃんではない千恵子奥様♡
連れ合いからの「おばぁちゃん」っていいですよね~
ああ、そんな年まで一緒に生きたんだって思いますもの。
ですから「I miss you」のKさんのお気持ちが私には辛くて最近コメント残せなくて。
ところで千恵子奥様の絵手紙、時々真似してみるんです。マイ机には筆ペンありますもの。
今書いたのは、「飛んで飛んでわたし元気」です(^^♪
元気よく中庭の草取りに(^^♪
最近、ブログにログインできないことが多くて、困ってます^^; ときどき入れたり、ダメだったり…
「狂い咲き」より「返り咲き」や「二度咲き」と言う方が花たちへ感謝の気持ちを表せるというshimaさんに同感です。
わたしは「狂い咲き」のかわりに「迷い咲き」って言うのですが、それより「返り咲き」がいいですね!
二度、三度と咲く年もあるので、二度咲き、三度咲きもいいですよね。
早春の木蓮が初夏を喜ぶように元気いっぱいでshimaさんのようです~
ハナミズキの空への手紙を思い出してくださってうれしいです。ことしもハナミズキにメッセージを書きましたが、ブログに書く機会を逃しました。
shimaさんは脚立にまでのってなるべく高い枝の葉にメッセージを書かれたのですね。届きますね。
「空に向かって枝をゆすっていた」というところでわたしの胸も高鳴りました。
オンザサニーサイドオブザストリートの口笛を吹きたいような気分で…それこそ映画のワンシーンのようです^^*
木蓮も幸せそう~
いつもコメントありがとうございます。
二十四節気や七十二候からも想像できますが、文明、科学の発達していないころから先人たちはすでに自然の摂理がわかっていたのですね。
おっしゃるとおり、植物はほぼ正確な体内時計を持っていることがわかりますね。
いかに人間の思考が不安定なものかということも・・・
植物への気持ちに共感、共有できるものがありうれしく思いました。
大切なハナミズキの件ですが、大切な思いを勝手にお借りし、利用させていただき、すみません。
そのおかげで私も心に豊かなものができるのです。
オンザサニーサイドオブザストリートはちょっと軽快すぎるかもしれませんが、本当にそんな気分になるのです。
すみません、お送りしたコメントが送信エラーになったようです。
うばゆり3さんは物の見方考え方が大きくおおらかだということを再認識しました。
何でも拒まずに何にでも関心を持ち、試してみる・・と言う気持ちが豊かな知識や見識に繋がっているのですね。
幾つになっても、新しいことや未経験なことに向かう気持ちって結果よりもその過程が楽しく、心も豊かになったような気がしますね。
我が家にも家を建て替える前には全く同じ「紫モクレン」がありましたが、
同じ場所に庭の主木として現在はキャラを植えています。
道路からのアクセスの階段の両側が雌雄のキャラで、毎年沢山の実をつけます。
通常は咲かない筈の花が思いがけなく咲くと、なんだかとても得をした気分で
花の気持ちまで考えてしまうことがあります。
畑のイチゴがもう終わりの筈なのに、また最近大量の花が咲き、これからまた
実が生るのかな?と、期待していますが、さてこちらはモクレンの花のように
喜ぶことができるか、否か・・・。
こっちでは『こぶし』もいっぱい咲きます
ヒヨドリさんがいたずらしても
健気に咲いてくれるお花可愛いですね
絵手紙に添えられたメッセージも良いですね♪ ヒヨドリとのやりとりには 何気ない日常の一コマでありながら 色々な考えがブワっと広がりました。
ああ、そうでしたね、highdyさんの庭の入り口には大きな雌雄の伽羅木があるんですよね。(過去記事を思い出しています)
同じように赤い実をつけるイチイとの違いなども説明されていたような記憶がよみがえってきました。
そしておたふく南天や満天星つつじなども・・・
花いっぱいの庭ですよね。
さらに・・・
ヒメウツギなどもあったような・・・
あの線香花火を集めたような下野草も今頃咲いているのでしょうか。
思いがけなく喜びを与えてくれる自然の力はすごいですね。
今年はなんとなくHighdy家の苺にも期待できそうですね。