ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

JR福島駅について

2015年06月09日 | 旅行記
 2015年5月27日に訪れた「福島市(福島県庁の写真)」そして「JR福島駅」。
 福島駅に、二つあったと記憶するモニュメントが、二つとも東側だった?と、記憶が曖昧であった。
 それと、ホテルの自室で、食べた夕食を、何処で買ったのか?が思い出せず、日記を書くに当たって、気掛かりとなった。
 撮りとめた写真や、NET等を頼りに、記憶を呼び戻してみた。
 結論として「JR福島駅の在来線は東側、新幹線は西側に位置し、東口・西口の双方を訪れていた」ことが証明?された。
 スッキリ!!

 在来線側の東口である。(写真・左から1~4とする)写真をうリックすると拡大します。
 写真:2の「古関 裕而」氏のモニュメントは、写真:1の左、立ち木と天井を有する一角に設置されている。
 また、一時代を感じさせられる「福島駅」の看板(写真3)も、東口で見かけたものである。
 写真:4は、在来線の改札口
 そして、東口から地下通路で西口へ

 JR福島駅・西口である。
 在来線は地上であるが、新幹線ホームは、高架橋である。
 写真・左は、西口から福島駅(新幹線ホーム側)を観たものである。
 そして、写真の右は、西口広場にあった、もう一つの「モニュメント」である。
                ・
 この記憶を呼び戻す”ゲーム”の発端となったのは「(福島では、居酒屋などで無く)ホテルの自室で食べたよね!」
 「何処で買った?」「東口には(食品販売は)無かったよね!」「東口と云う事は、西口があった?」「地下道の様な所で、自衛艦の展示物をみたよね!」
 自問自答した。
 日記「冨士へ・そして東北へ Ⅴ(2015.6.6)」の添付写真:4・5は説明不足であった。
 「写真・4:JR福島駅西口」そして「写真・5:JR福島駅東口」が、正しい標記(説明)である。
 
 これは、福島で食した「夕食」である。 ご心配する事なかれ、この映像に隠れた”晩酌”と称する一物は存在します。
 このパッケージの表示を拡大し、食品販売店が判明した。
 この販売店は、西口にあることから”曖昧だった記憶”を正すことが出来た。
 この日(福島の夜)は、弁当と酒のツマミでも買って、TVでも観ながら食べよう!と思った事であった。
 何を買って食べたか? それは写真が証明した。
 何処で買ったのか?等、人(此の場合は”私”)の記憶も曖昧だなぁ!と思った。
 そして、その記憶を呼び戻す”キー(日付や店名など確かな証拠)”が、食品のラベルであったことも意外であった。

冨士へ・そして東北へ Ⅵ

2015年06月08日 | 旅行記
 
 今日の絵日記の絵(写真)は「磐梯吾妻スカイライン」吾妻小冨士山頂から、残雪の残る浄土平とします。
 2015年5月28日は、福島市から、磐梯吾妻スカイラインを経由し、長野県松本市に至る行程である。
 福島市のホテルを9時に出発し、磐梯吾妻スカイラインに向け、バイクを進める。
 つばくろ谷という、休憩地、そして展望スポットで、霧に霞み、空中に掛かる橋の様な風景(添付写真あり)を楽しんだ。
 そして、火山性有毒ガスの恐れがあり、「800m(の区間)停車禁止」の場所に差し掛かる(日記「さて、この人の業務は(2015.05.30)」)
 息を控えて走行し”浄土平”と言う開けた駐車場に到着した。
 「吾妻小冨士」と言う看板を観た。
 ガードマンに聞くと「15分位で登れ、窪みがあり、周回すると30分程掛かる」と教えられた。 そして、登ってみた。
 山頂の大きな窪みには、蔵王山の”御釜”の様な水気は無く、乾いていた。
 周回するのは止めた。
 磐梯吾妻スカイラインを走行していると、カーナビが「料金所です!」と案内するが、料金所等の形跡もない。
 帰宅し、調べてみると、2011年から、試行的に「無料化」した様で、2013年からは「無料化」を定着させた事が判った。
 そして、浄土平の駐車場は、毎年7月から有料になるとの情報も得た。 但し、バイクは100円だそうである。
 確かに、料金所の様な建物(写真でも判ると思う)は有った。 しかし、無人であった。
 もう一件、今回、行った所は”磐梯山?”と言う疑問である。
 吾妻小冨士や浄土平は”吾妻山系”で、磐梯山は、これより西に位置し”磐梯山に行った”は”嘘”に成る様である。
 関りがあるとすれば「磐梯吾妻スカイライン」を走行し、国道115号線に出て”際立つ様に見える山”を右に見上げながら走行したことであろうか・・? この際立つ様に見えた山が”磐梯山”であった。
 磐越道・猪苗代磐梯高原ICから、新潟方向に向う。
 北陸自動車道から上信越道・長野自動車道に至り、松本ICで長野県松本市へ。
 当初の計画では、東北道の二本松ICから、東北道・磐越道・北陸道・長野道を経由して、松本市に向う事としていた。
 しかし、時間的・経済的に「猪苗代磐梯高原IC」が有利と判断し、修正した。
 ホテルには、17時頃に到着した。
 本日の走行距離 485Km 自宅からの総走行距離は2465Km

 添付写真の説明(写真・左より1から8とする)
 写真1:磐梯吾妻スカイライン「つばくろ谷」で観た、霧が出ると天空に浮く橋の様であった。
 写真2:吾妻山系 写真に写る間が「停車禁止」の区間で、硫黄の匂いが強かった。
 写真3:駐車場であり、吾妻小冨士への登山?口である「浄土平」の看板。
 写真4:吾妻小冨士(標高1707m)の看板。
 写真5:吾妻小冨士・山頂へ続く”路”
 写真6:吾妻小冨士の山頂から”窪みの底”を観る。
 写真7:同じく、吾妻小冨士・山頂から、浄土平・駐車場の我がバイクを望む。
     岩木山(青森県)での”悪夢(日記「バイク旅行中の出来事 Ⅱ(2012.06.05)」)”を思い出させた。
 写真8:浄土平でのコーヒー・タイム 強風で風を避けながらの湯沸しとなった。
     立ち番をするガードマンに勧めたが「先ほど飲んできた。有難う!」との返事であった。
     山頂から車(ガードマンの)が出る事を確認している。注意しに行ったかと思ったが、交代のためであった様である。

仙台市にて

2015年06月07日 | 旅行記
 
 26日(火曜日)岩手県北上市から大船渡市へ、大船渡市から三陸海岸沿いを国道45号線で、仙台市に至る行程を無事に消化し、仙台市の宿泊所に到着した。
 夕食なし・駐車代は無料・和室、立地も良い。
 加えて、純・和風な屋号、そして”廉価な宿”である。
 自然と身構え・覚悟し、建物の前にたった。
 「あれ!」と、良い方に期待を裏切られる結果となった。
 次回、仙台を訪れる機会があるなら、再度・利用したいと思った。 駐車場に対する対応等、諸々!
 チェックインを済ませ、指定された部屋へ・・・
 善いじゃん!!(との、部屋の感想(添付写真あり))
 今回のツーリングでは、チェックイン後は”作務衣”で、通そうと持参している。
 入浴を済ませ、外出を果した。
 行く宛てなどはない。
 自然と、程近い「仙台駅」に向った。
 絵日記の絵(写真)は、西日を受けて輝く”仙台駅”とします。
 仙台市は、人口・107万人の東北最大の”街(政令指定都市)”とのこと。
 駅舎も整備され、県都の”顔”として納得できるもの!との印象を持った。
 駅前から「パピナ名掛丁」「おおまち」「サンモール一番町」(添付写真あり)と云うアーケードの整った商店街が、形成されていた。
 ツーリングに出掛け、思う事は”我が県都(市制、人口・約 51万人)にあるJR駅周辺の、有り様(よう)”である。
 市内電車駅を除けば、チッチャな街の駅舎と、見迷う程のものである。
 仙台駅周辺の繁栄を観て、我が県都の発展と、鉄道の歴史に、何があったのだろうか?と、考えてしまうのである。
 これ等商店街(アーケード)を散策し、お目当ての”仙台の夜”となった。
 此の場合の”仙台の夜”は、晩酌を伴う”夕飯”を楽しむ事である。
 宿泊場所に帰る道すがら、七階建てのテナントビルに入居?する看板に”いろは唄”の屋号の店が、七階にある事を知った。
 押したエレベーターのボタンは、謂わずと”七階”である。
 三時間余りの”仙台の夜”は、終わった。
 
 添付写真の説明(写真・左より1から7とする)
 写真・1:仙台駅に正対する、商業ビルと大型ディスプレー
 写真・2:仙台駅コンコース
 写真・3:歩車分離された自由歩道(階上段)から観た「パピナ名掛丁」の入り口
 写真・4&5:アーケード商店街「おおまち」「サンモール一番町」
 写真・6:昨夜の水上市で頂いた献立で、負担となった”ホッケ”を除いて注文する。
      やはり”ホタテの雑炊”は美味かった。そして”二合”の清酒は、少し負担となった。
 写真・7:今宵の”我が寝室”である。 久し振りの布団で、安堵して眠る事が出来た。
      但し、風呂・トイレは、ビジネス・ホテルの形態であった。

冨士へ・そして東北へ Ⅴ

2015年06月06日 | 旅行記
 
 JR福島駅前広場に設置されていた「古関 裕而」氏のモニュメントである。
 生誕100周年を記念して、設置されたとのこと。
 そして、同氏は、福島市の「名誉市民第一号」との事であった。
 今日・2015年5月27日の行程は、仙台市から、蔵王エコーライン・ハイラインを経由し、神秘的な色合いの”御釜”を周遊し山形市へ。
 そして、山形市から米沢市・福島市に至る計画である。
 此のツーリングが具体的となってきた当たりから、蔵王山が不穏な様子を呈してきている。
 蔵王山への入山は、現地での判断!と、自宅を出立している。
 そして、蔵王山への行程となった今朝、朝食を頂き、フロントで”蔵王山”の情報を得ようと試みた。
 提示されたものは、NETの内容であった。
 何枚ものプリント・アウトさせた資料の提供を受けた。
 誠心誠意の対応であったと思う。が・・新たな情報は無かった。
 「蔵王山周遊」は諦めて、直接・山形市に向うこととした。
 国道48号線で天童市へ。
 天童市で給油し、国道13号線で山形市へ、入った。
 山形市のH・Dショップに立ち寄り、スタンプを受ける。
 ショップの担当者に「此処は良いよ!という処はありませんか?」
 ショップの担当者は「米沢のラーメン・・蔵王温泉に行ってあげて下さい。風評被害に遭っている様で助けてあげて・・!」
 このまま、福島に向うと14時頃には到着してしまう。
 「日帰り入浴(蔵王温泉で)をしてみるのも良いか!」と、蔵王温泉に向う。
 国道13号線を福島市方面へ進み、県道21号線で蔵王温泉に到着した。
 閑散としている。
 道路沿いの花壇を整備している人に「日帰り入浴出来る処はありませんか?」と尋ねた。
 「新左衛門の湯」を教えられた。
 自販機でチケットを購入し、入浴。
 知ってた! ”四分六の湯(標記されたのは”四・六分の湯”)”ってこと。
 源泉は、酸性が強い事から、源泉4に対して、お湯を6、ブレンドしている湯船もあった。
 ”焼酎のお湯割り”と違いますよ・・・
 そして、金属類は、酸化が激しいので、湯に漬けないで下さいとの注意書きもあった。
 ・・袋(皮膚)に包まれた”珠”は良いのかなぁ!・・・  もう!これ以上・錆付かないか!
 一時間程の滞在であったが、蔵王温泉にも入湯することが出来た。
 県道14号線で、国道13号線に戻り、米沢に入った。
 「米沢ラーメン」「米沢ラーメン」と思えど、国道筋に看板は見当たらない。
 「あれ程(ショップの人が)有名なラーマンと言ったのに、看板が無いなんて・・・」
 結局、14時近くなって「日本蕎麦のお店」に入店し、遅い昼食を頂いた。
 そして、JR福島駅に近い、今日の宿泊場所には、15時30分頃に到着した。
 フロントで「会員様であれば、今からでもチェック・イン出来ますよ!」
 私「会員です。 会員証は・・と! あれ・忘れた」
 16時まで、新聞を読みながらチェック・インの時間を待った。
 本日の走行距離 182Km 自宅からの総走行距離は1982Km
     
 写真の説明 左より1から5とする。
 1:蔵王温泉・日帰り入湯施設「新左衛門の湯」 2:蔵王温泉で見掛けた道路標識 3:福島県庁庁舎 
 4:JR福島駅 5:駅舎の表札
                      ・
 蛇足:写真2の道路標識は、未練がましくも、走破出来なかった「蔵王エコーライン」を、記録(日記)に残したかったためです。

冨士へ・そして東北へ Ⅳ

2015年06月05日 | 旅行記
  
 今日の絵日記の絵(写真)は、岩手県大船渡市の国道45号線で「碁石海岸 左」と言う標識に誘われて向った先にあった、展望施設と海鳥が多く居た海岸の様子とします。
 2015年5月26日(火曜日)、今日の行程は、岩手県北上市から国道107号線で大船渡市へ進み、国道45号線で三陸海岸を仙台市まで、南下する予定である。
 そして、今日の宿泊地は仙台市である。
 北上市から山間の道路(国道107号線)を東に、大船渡市に到着は10時過ぎであった。
 今日の日記は、観て来た映像と感想を持って日記(記録)としたい。
 
①大船渡港で観た建設中の巨大な防潮扉 ②碁石海岸に向う途中で見掛けた防潮堤建設工事。黒い部分が旧の施設で、新たな増設部分が白い箇所である。三倍程度、高く成っている。③広田湾での牡蠣の養殖。復興の証し? ④⑤陸前高田市・復興工事の様子。大規模宅地造成工事の様であった。土砂をベルト・コンベアー(⑤の白い円筒状)で運搬
 
 ⑥⑦道路標識にあった、冠水した道路の区間表示。10Km以上に及ぶ箇所もあった。 ⑧南三陸警察署・プレハブの仮庁舎 ⑨南三陸町”さんさん商店街(プレハブ)。 大勢のお客さんで賑わっていた。 ⑩さんさん商店街の裏山、造成工事の土砂を採取している様子。
 
 ⑪線路を失った鉄道敷 ⑫⑬陸前高田市&南三陸町で見掛けた廃墟 南三陸町の建物⑬はニュース等での記憶がある。⑭南三陸町での嵩上げ造成工事の様子 ⑮最後に、お目当ての南三陸さんさん商店街「キラキラ丼(うに版)」
 「冨士へ・そして東北へ」のサブ・タイトルは「南三陸(さんさん商店街の)キラキラ丼(うに)を食べに行こう!!」であった。
 サブ目的を達成!
 その後、松島湾に差し掛かったが、駐車場が無く、あっさりと通過。 仙台市内へ
 昨日が休みであった、二軒目のH・Dショップの訪問も無事に終えた。
 後は、宿泊場所に向うだけとなった。
 予約した宿泊所は、純・和風な屋号であって、建物とがマッチせず、何度もやり直して、やっとの事でチェック・インを果した。
 本日の走行距離 290Km
 

きたかみの夜

2015年06月05日 | 旅行記
 
 今日の絵日記の絵(写真)は、岩手県北上市のホテルの窓から観る”2015年5月25日の夕日”とします。
 このホテル、私が選んだのは「トイレ・風呂は共同」な部屋である。
 負け惜しみではないよ!!
 ビジネス・ホテルに良くある「風呂とトイレ」が同じな形態は、今だもって使えきれていない感じがする。
 バスにお湯を貯める。
 足の裏も、身体も同じ?!と思ってしまう。
 利用方法に諸説あると思う。
 湯を貯めず、シャワーで身体を洗い、最後に、お湯を貯めて、身体を温める。
 お湯の中で、シャボンを使って身体を洗うことと、同時に身体を温める。そして、最後にお湯を抜き、洗髪と身体を洗い流して、入浴とする。等々
 部屋に用意された浴衣を羽織り、お風呂場へ・・
 云わずとも”和式のお風呂場”である。
 湯量も充分で、足を伸ばし、肩までお湯に浸かり、思わず「ふぅ!」と安堵の詞を発する。
 一番風呂であった。
 お腹も、食事を要求している様なので、ホテルの人に教わった場所(食べ物屋の集まる)に向った。
 ホテルを出て、通りに出ると「JRきたかみ駅」が観えた。
 散歩がてらに、先ずは駅に向った。
 懐かしく思い出される居酒屋さんが目に付いた。
 諸説あるが(私が教わった)弘法大師が造ったと言う”いろは唄”の冒頭部分を屋号にした御店である。
 2007年に実施した「東北五大祭りツーリング」の際に、山形市で”少しのお酒と食事”を頂いている。
 北上駅から、ホテルの人に教わった”場所”に向った。
 何店舗か「良いなぁ!此処にしようか?」と思った。
 そして「まだ(良い所が)有るかもしれない?」と、思いつつ、入店したのは、山形市で経験した”いろは唄”の御店であった。
 小心者が故の行動でしょうか・・・?
 しめ鯖・ホタテのバター焼き・ホッケ(焼き物)を注文した。
 私は「ホタテのバター焼き」なるものに強く印象を持った。
 コンロに乗ったホタテと少量のご飯、そして卵がセットである。
 お汁が湧いて、ホタテを裏返し煮て、取皿で食して下さい。
 残ったお汁にご飯と卵を加えて”雑炊”にして下さいとの説明があった。
 結論! 美味い! 美味かった。
 お酒は、少し贅沢をしてやれと、高額表示された、岩手の地酒・鷲の尾という銘柄のお酒を注文した。
 これも、私の嗜好に合ったのか、美味かった。
 満足をしてホテルに帰った。
 バイクを見ると、コーンを配置してあった。
 ホテルの人の配慮が嬉しかった。
 再度、入浴を済ませ、昨日・小名浜の食品スーパーで買い求めた”焼酎”で、ユルリと二次会を始める。
 そして”きたかみの夜”は過ぎていった。
   
 写真の説明(写真・左より1~3とする)
 写真:1、JR北上駅
 写真:2、居酒屋で案内された”部屋”の様子。 二人対面式の小部屋で、注文はタッチ・パネル式である。
 写真:3、注文したもの、しめ鯖と、関心をもった”ホッケのバター焼き”である。これに「ホッケ」が追加される。 
 
 
 

冨士へ・そして東北へ Ⅲ

2015年06月04日 | 旅行記
 
 今日の絵日記の絵(写真)は、2015年5月25日に、福島県川俣町から南相馬市に向う県道12号線で見掛けた”除染処理”と思われる作業の様子とします。
 此処に至る道中で、何度と無く見掛けた光景でした。
 ニュース等で見る、汚染された土壌を黒い袋?(人間の背丈ほど有ろうか?)に封印したもので、その数は、無数にあった。
 その光景を写真に収めることを、憚(はばか)った。
 しかし、この先、国道6号線に至れば、記録に留めるチャンスは無くなる。
 ”・・・お許しあれ!”と念じ、一枚の写真を撮らせて頂いた。
 25日(月曜日)も晴天に恵まれた朝を、福島県いわき市小名浜で迎えた。
 朝・目覚め、荷物の整理をしていて「重たいなぁ!」「テントやキャンプ道具は、この先不要やなぁ!」「宅配便で送れば楽になる」と思った。
 朝食を頂き、フロントの人に「宅配便を、この先のコンビニで扱っていますか?」と尋ねた。
 「着払いなら、此処で取り扱えますよ」との返事であった。
 不要な荷物を”宅配便で送ろうかなぁ!?”が、一気に「お願いします」と成って、3分の1の重量となった荷物は、リアーバックに収まった。
 9時前にチェック・アウトし、国道399号線から288号線・田村市方面へ向う。
 何故なら、国道6号線(仙台市や相馬市等へは)が、通行止めとなっている為である。
 そして、399号線の通行も、田村市と隣接する葛尾村までで、浪江町は”帰還困難区域”である。
 従って、葛尾村までで浪江町へは、通行止めと成っているため、288号線を西(福島県郡山市)方向に向う。
 349号線に出て、北上し、川俣町に至る。
 県道12号線で、南相馬市へと東に走行する。
 県道12号線沿線は「避難指示解除準備区域」や「居住制限区域」である。
 車両は行き交えど、沿道に立ち並ぶ住宅は、人が住んでの住宅にも関わらず”住めない”現実を知らされた。
 住人の居ない住宅街(沿道ではあるが・・)を観て、寂しい!と言うか、虚しいさを感じた。
 そして、(私は、人災であると思う)”事故”で、郷里を離れ、住めない方達の想いは、計り知れないと感じた。
 やがて、南相馬市に至り、国道6号線を、仙台市に向って走行する。
 国道6号線・道の駅「そうま」で、遅い昼食となった。
 海岸線の様子が知りたく、海側を併走する県道38号線を走行するが、防波堤の修復・建設工事中(立入り禁止)で、海岸には至れなかった。
 国道6号線に戻り、国道4号線と合流(?)し、仙台市に入る。
 仙台市には、二軒のH・Dショップがある。
 この二軒のショップは、月曜日が休みと、火曜日が休みの店である。
 二軒を訪問する為には、行程から、火曜日がお休みのショップ訪問を今日、行っておくことが必要となる。
 ショップ訪問を終え、東北自動車道で、今日の宿泊地・北上市へ走行する。
 長者原SAで休息後、北上江釣子ICで、高速道を離脱。
 ICから(そして、JR北上駅からも)程近い、今日の宿泊場所のホテルに到着した。
 本日の走行距離:403Km(内、高速道利用が約130Km)

 添付写真の説明(写真・左より1から6とする)
 写真:1、国道399号線より「避難指示解除準備区域」のある川内町役場(役場機能を一時期、郡山市に移転)を望む
 写真:2、二本松市の南、山間部を通過する国道349号線沿いにあった「道の駅 さくらの郷」
 写真:3.県道12号線から国道6号線に至る途中で、南相馬市役所を観る
 写真:4、南相馬市・国道6号線を仙台方面へ左折
 写真:5、国道6号線「道の駅 そうま」 
 写真:6、国道6号線、海沿いの県道38号線での災害復旧工事の様子
 

富士へ・そして東北へ Ⅱ

2015年06月02日 | 旅行記
 小名浜のホテルには、ナビの案内で道に迷う事も無く、16時少し前に到着出来た。
 当初の計画では、二泊目は「水戸市」であった。
 三日目の福島県を横断し、北上市(岩手県)に至るルートは、通行規制が多く懸かるとの情報から、少しでも”距離”を稼いでおきたかった。
 いわき市周辺なら「スパリゾート・ハワイアンズ」も良いか!と考えた。
 しかし、滞在時間が制約される。 
 C/P(費用対効果)が悪い!と判断した。
 そして、次の日のアクセスが良いとの判断から”小名浜(での宿泊)”となった。
 話しを、冨士スピード・ウェイに戻す。
 朝、7時頃に目覚め、朝食を済ませ、撤収に掛かった。
 小名浜までに、H・Dショップを二軒回る予定である。
 ショップは、10時・開店である事から、8時30分を目処に出発することとした。
 テント類の撤収も完了した事から”朝のコーヒー(写真:1)”を頂き、今年の”ブルースカイヘブン”に別れを告げた。
 新東名自動車道から、環状8号線で、外環状自動車道にアクセスし、三郷ジャンクションから、常磐自動車道に乗った。
 H・Dショップ訪問は、環状8号線の周辺に所在する、2店舗を選択した。
 常磐自動車・守谷SAで昼食を摂る。
 茨城県守谷市は”豚肉”が名産であるのかは知らない。
 しかし”特産”であるが如き表示はあった。
 然らば!と「豚汁定食」を注文した。
 美味しかった。
 水戸を過ぎた辺りで、到着時間には早すぎる!と、思った。
 懐かしさもあり、国道6号線を北上することとした。
 その昔、夏休みにキャンプを楽しんだ「高萩」を過ぎ、小名浜へ入った。
 ホテルには、16時少し前に到着した。
 16時前ではあったが、チェック・インはOKと云う事で、入浴を済ませ、商業施設(震災復興事業)を訪れる。
  
   小名浜港の商業施設「いわき らら・ミュウ」
 港湾(商業)施設「いわき らら・ミュウ」内に、何店舗かある食堂で「うに丼」のメニューが目にとまった。
 あるなら頂こう!と、安価な表示のある店に入った。 そして、うに丼を注文した。
 料金支払いの時、消費税を加算された。 そうです!他の店も同価格であったのです。
 ”晩酌”が欲しい!と街中を散策したが、見付け出せなかった。
 食品スーパーがあったので、焼酎と魚の加工品(てんぷら等)を買い求め、ホテルに戻った。
 本日(24日)の走行距離350Kmでした。
    
 写真の説明。(写真・左より1~4とする)
 写真:1、前記のとおり、冨士スピード・ウェイでの撤収も終わり、モーニング・コーヒーと洒落込んでみた。
 写真:2、常磐自動車道・守谷サービス・エリア(下り線)
 写真:3、小名浜港の復興の様子と進捗状態。
 写真:4、”南三陸・うに丼”と対比する訳ではない。食せるならと、頂いた。

夜中に寝覚める

2015年06月02日 | 旅行記
 日も、24日(日曜日)となった午前一時頃「起きろ!」と云われた様で寝覚めた。
 7~8名でキャンプしているグループが、清涼飲料水のコマーシャル・ソング(?)を合唱し、気勢を挙げているのである。
 就寝前に”耳栓”をしていたが、片方が外れた様である。
 「もう・寝ようよ!」と心で唱え、耳栓を施し、再度・眠りについた。
 7時前に再度、目覚めた。
 昨晩、元気だった・7~8名のグループは、早々に撤収を開始していた。
 私も、今日は、小名浜までの行程である。
 コンビニで買い求めておいた”カップ麺とオムスビ”が朝食である。
 ペットボトルの水を沸かし、準備をしていると、7~8名のグループは出立して行った。
 ご高齢にも関わらず、お元気な御様子である。
 今回、初めて、単独でのキャンプ(野営)であった。
 フリーサイトには、バイクより車両でのキャンパーが多かった。
 炊事用の飲料水を持ち込まなければ成らないなど、バイクでのキャンプでは制約がある事を感じた。
 周辺のホテルを利用する参加者が多いのも頷けるものがある。
 来年は、如何しようかなぁ?

地理不案内ということ

2015年06月01日 | 日記
 ツーリング等で出掛ける時の金銭出納には「ゆうちょ」を利用している。
 「富士スピード・ウェイ」に到着し、手持ちの金額に不安なことから、(ゆうちょのATMを)利用しようと思った。
 カーナビの「周辺検索」で検索を試みたが、30Km以上の距離にある「ゆうちょ銀行・名古屋支店〇〇出張所」がヒットした。
 「えぇ! ATMが此処まで行かなければ無いの?」と一瞬、不安な気持ちとなった。
 「郵便局」を検索すれば問題は無かったものを「ゆうちょ銀行」と入力したことから”ナビ・システム”は、その検索条件を忠実に実行した結果であった。
 旅行先で何時も感じること、それは”不慣れ”と言うことでしょうか?
 自分が住まう地区で、コンビニ、ディスカウント・ショップ(ドラッグ)、食品スーパー等へは、躊躇することなく行ける。
 しかし、旅先では「(お目当てのものが)無いなぁ!」そして、要らざる心配をする「(この辺の人たちは)よく辛抱するなぁ!」
 此処に住まわれる人達は、私が住まう環境と同様に、馴染んでいて何の不便も、問題も感じていないんでしょう。
 地理不案内を棚に上げ”心配してあげているフリ”をして、不満を和らげている私が、居る様である。
 此の様な思いをした事もあった。
 2012年に、佐渡島に行った時の事である。(日記「佐渡島旅行記 8(2012.06.02)」他)
 佐渡島・両津の宿で朝を迎え、出発した。
 ”食事なし”の旅館であった。 年老いた夫婦が営む宿であった。
 コンビニで朝食をとれば良い!と、軽い気持ちで計画していた。
 バイクを走らせど、コンビニが見当たらない。
 一時間半ほどして、やっと有った。
 私の住む近隣に、コンビニは、四店舗ある。
 ”朱に染まれば・・・”ではないが”有って当たり前”で違和感を感じないが、佐渡島で思った事は「(あれだけ有って=乱立?して)大丈夫(成立つの)?」と、これまた、要らざる心配をした想い出がある。