ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

富士・東北へ 番外編 Ⅴ

2015年06月16日 | 日記
 5月26日 宿泊地の岩手県北上市から大船渡市へ至り、三陸海岸沿い(国道45号線)を走行する。
 国道45号線を大船渡市から仙台方向へ南下していると、プレハブの南三陸警察署が左にある交差点に差し掛かった。
 この交差点は少し高台になっていて、観下ろすと、大規模な宅地造成工事の真っ最中と云った風景が開けた。
 そして、その場所が、街を形成する地域であったのでしょう。
 警察署も役場も、この信号のある高台に有ったことから仮移転先であったことは察しがついた。
 多くの工事用車両が行き交う道路(国道45号線)を走行しながら”さんさん商店街”は何処に?
 ニュースでも取り上げられ、NETでも観られることから、看板・標識はあるだろうと、まさに工事中の地域に入っていった。
 町外れとなり「標識等は無かったなぁ!」「如何しよう?」「引き返そうか?」「無かったのだから仕方が無いか!」「諦めるかぁ!」と自問自答した。
 
 此の建物が近くに見える交差点で、信号に従って停車した。
 ガードレールに見え隠れする”看板”に気付いた。
 「さんさん・・・」と看板の一部が見えた。
 良く観ると、さんさん商店街を指し示す看板で、1Km程手前である事が分った。
 「あの時、行っておけば良かった!」と云った反省はしたくなった。
 左折し、Uターン・信号の指示で右折、お目当ての”さんさん商店街”に到着する事が出来た。
 ”神のご加護か・お導きか!”という次第である。
 そして「有名な処で直ぐに分る」と思ったことも「看板・標識はあるだろう!」と思ったことも、独り善がりであった。
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富士・東北へ 番外編 Ⅳ

2015年06月16日 | 日記
 蔵王山の警報が解除されたとよ!! 今、NETのニュースで知った。
 未練なれど、蔵王山・御釜の周遊を果たしたかった思いが、再燃している。
 しかし、これで観光への扉も開るでしょう。
 山形市のショップや、蔵王温泉で知った「待ちに待った”解除”」であったでしょうから・・・・
 待っとれよ!御釜・そのうち、観に行ってやるからな!!との思いのするニュース(NET)であった。
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被災された東北方面に行くにあたって・・

2015年06月16日 | 日記
 2011・3・11震災被害についての想いと、訪れる(ツーリングで)事について、整理してみた。
 2011年、5月の連休を利用して「関東方面のショップ周り(ディーラー・スタンプ・コレクション)をしよう!」と、バイク仲間のM氏と計画した。
 M氏は現職の教員である。
 私は、連休には拘らないが、M氏の休暇の事もあり、5月連休の決行とした。
 M氏は首都圏に、ご兄弟が居られることから、ホテルの予約等の手続きは私だけで良かった。
 連休の混乱を回避するため、早めの予約を完了した。
 そして、運命の「3.11」を迎えた。
 結果的に「混乱しているだろうし、遠慮しよう」と云う話合いがまとまり、中止した。
 余震も継続的に発生していた時期でもあった。 身の保身もあった。
 津波の押し寄せる映像を目にしては”ご遠慮申し上げよう!”と思うしか方法はなかった。
 放送された映像が、衝撃的であった事は、今でも思い出される。
 そして、震災発生から一ヶ月程経過したある日、元・会社時代の後輩とスポーツ・ジムで逢った。
 「災害応急復旧の支援で一週間程であるが、震災地に行ってきた」
 「想像して余りある状況であった」
 そして「(あの壮絶さは)行ったモノで無ければ理解出来ないでしょう!」と続いた。
                ・
 震災の後、2年が経過していた。
 被災地の報道が連日の様にされていた。
 被災地に観光バスで訪れ、それを受け入れる現地の人たち・・TV撮影の為ではないと思うが”明るい”
 インタビューを受けた現地の人が「皆さんに、この様にして来て頂く事が励みになります」と応えていた。
 地元TV局のレポーターは「来て下さい!そして(復興への)勇気を与えてやって下さい」とレポートをしていた。
 観てやろう!等の”興味本位”は不謹慎な事と思っていた。
 しかしながら”自然の脅威”が、如何なる程か?知りたい気持ちは持ち続けていた。
 そして「後世に伝えよう! そのためには、現状を観てもらのが一番!」とレポーターの問いに、応える被災者もいた。
 「此処、南三陸町”(仮設の)さんさん商店街”には、観光バスで訪れる人たちを多く見かける様になりました」との趣旨のレポートもされていた。
 さんさん商店街とは? NETで検索した。
 幾度と無く閲覧した。 訪れた人たちの感想も含め・・・
 「例え、一杯の丼でも・・。例え、一人でも、訪れることで、貢献出来るなら”行きたい!”」と強く思いを抱く様になった。
 2013年、南三陸への行動計画の立案に取り掛かった。
 犬くんが(病気を)発症した。
 2014年、犬くんの容態も完璧とは云い難いが、娘の(犬くんを預かってもらう)了承もあり、実行に移した。
 不運なもので、天候不順(ダブル台風の襲来予測)で、出立の直前でキャンセルとなった。
 そして、今年、計画は実現した。
 震災後・4年が経過し、被災された痕跡は、薄らいではいたものの、その復興工事の有り様から、そして、道路標識で知らされた津波の凄さなどを身を持って体験できた。
 自然界の底知れぬ恐ろしさであったり、立ち向う人間の逞しさと言うものに、触れた思いのする”旅(ツーリング)”でした。
 総じて”力”を頂いた想いがする、ツーリングでもありました。
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