離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

人の本質が問われる

2014-01-30 20:31:27 | 日記
離婚したときに、

協議でも、調停でも、裁判でも、

どんなときでも、その人の本質が問われます。

たしかに世の中は、お金が必要です。

お互いに反省すべきこともあります。

ただ、人として、その道義、道に反することは

いかがでしょうか?

相手に対抗するには致し方ないこともあります。

それはそれで現実的な対処ですから、悪くはありません。

いや、しっかりと対処すべきでしょう。

ただ、どんなときでも、

あなたが人としての尊厳や、自分としての尊厳、

誰に恥じることもないような、確固たる信念が必要です。

世の中には、生れたときから衣食住に不自由したり、

先天的な障害に苦労されたり、

リストラや、病気、災害。。。

言い出せばきりがありません。

だからと言って、犯罪をして良いということにはならないし、

努力しない言い訳にもなりません。

心を清らかに、信念をもって生きるかどうかは

その人の決断でしかありません。

相手がそれだけの酷い、あまりに反人道的とも言えるような態度ならば、

それに反応し、関われば、あなた自身も同じレベルということです。

だれも小学生が悪ふざけや、誹謗中傷しても、

たとえ石を投げられても、、、

まともに喧嘩はしないでしょう?まともに言い争いはしないでしょう?

成熟した、自立した人間なら

それなりの対処ができるものです。

同じことです。

どんなに良い会社でも、お金があっても、地位が高くても、

どんなステータスがあろうとも、

結局は、一番過酷な状況、たとえば、離婚、病気、破産。。。

そんな状況で、どんな態度で居られるか?

それがその人の本質的な人間力です。

悲しんではいけないとか、そういうことではありませんよ。もちろん。

人としての道を歩むということです。

酷い相手というのは、

教養もなければ、未成熟で、幼いのです。

たいていは、その親もそうなのです。

だけれども、他人は変えられませんし、その必要もありません。

あなたがどう生きるかだけが問題なのです。

いつも紹介している

ヴィクトール・フランクル(心理学者)は言います。

ナチスの強制収容所のような過酷な状況下、
一時間後の命すらわからない、他人を押しのけてでも生き延びなければ
ならないような環境でも、

ひとつのパンを分けることができる人もいるのです。

自分の命を顧みずに、倒れた仲間を助ける人もいるのです。

「どんな状況でも、自分の心の中までは、
 誰も支配することはできないのです。
 どんな態度を取るかは、自分自身が決められるのです。」

フランクルの提唱したロゴセラピーでは、「態度価値」 と呼びます。

自分が死ぬときに、恥じないような態度でいたいものです。

コメント (5)
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