離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

乱される

2021-06-29 16:12:27 | 日記
私たちは、毎日いろいろなことに

気持ちが右往左往します。

気になることや心配事があると

そのひとつひとつに対して

心が乱されます。

日常のささいなことでも、けっこうストレスがかかります。

離婚のときは、たくさんのやるべきことが生じます。

役所やら、会社手続きやら、引っ越しはもちろん、

親戚、友人への伝え方などもあったり、

年賀状どうしようとか、何かのサインどうしようとか、

ふつうならどうでもいいことまで、

多くの作業が必要になり、

そのひとつひとつで心が折れて、かき乱されます。

尋常でないくらいにストレスがかかるかもしれません。

ふつうの日常でさえ、ちょっとしたことに心が乱されるのですから、

離婚のストレスは並大抵のことではない。

さらに、それらの多くは相談することもできずに

自分自身で判断して、行動しないとならないから、

より一層しんどい。

先のことを考えると、その時点で心が折れてしまいます。

だから今の目の前のことに集中するしかないように思います。

そうは言っても難しいのはわかりますし、なかなかできません。

私は、以前にも書いたように、やることしたら、寝落ちするまで酒飲んで、

這うようにして仕事に行きました。

もちろんおすすめできないし、体にも悪いし、良い行動ではないし、逃避でしょう。

元気なら何でもないことが、

苦しみのなかではどうにもできないくらいしんどいってことで、

それはあなたが特別に弱いのでもないし、対処できないなんて思わなくてよいということ。

だからそんなときに、自分を責めすぎないことが大切です。

心がしんどくて、乱れてあたりまえで、それだけしんどいのです。

他の誰もわかってくれなくても、あなたはあなた自身で精いっぱいやっているのです。

今はただ、今を乗り切るために自分なりの方法で過ごせればいい。

けして褒められたお手本ではない形で乗り越えてきた私は、

今、苦しんでいるあなたにも、

「自分なりでいい」「

「見本的でなくても、理想的でなくていい」

「かっこ悪くていい」

「ボロボロでいい」

今日一日を耐えてきたこと、

明日をまた耐えていくこと
 
そのことが大切だし、すばらしいと

そうお伝えできればと思います。




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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (behonestasmyself)
2021-06-30 23:14:39
どん底のとき、絶望の底のときは、苦痛にしか焦点が合わず、実際苦痛しかないし、楽しいなどという感情は麻痺して感じられなかったですが、

最近、少しずつ心地よい感情も戻ってきています。
あまりに苦痛しかなくて、そんな感情もあったことなど覚えていませんでした。言葉として「楽しい」「嬉しい」などは知っていますが、実感なく、ただアタマで追い求めるだけのものでした。

病まない程度にしっかり自分と向き合う、その苦しさの先には、良いこともあるものですね。少しずつ、本来の自分を取り戻す…

取り戻せるなどと信じることなど、できませんでした。著者様はブログのなかでそれを繰り返しメッセージしてくれていましたが、きっと自分にはムリだとしか思えませんでした。

明るめのコメントを読んでは、やはり自分はダメなんだと…そう感じていました。
だからこういうコメントも控えた方が良いかとも思ったのですが、

私のような人間がいることも事実だと知ることが誰かの役に立つこともあるかもしれないと思い、率直なことをコメント致します。
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Unknown (behonestasmyself)
2021-07-01 18:22:08
昨日のコメントをした後で、とてつもなく望まない出来事があり、あんなコメントをしておいて、いま久しぶりに数ヶ月ぶりの無気力を味わっています。

調停は…本当に負担がかかりますね

一度上向きなものを感じたあとで、また落ちるというのは、ことのほかツラいものです
返信する
Unknown (Unknown)
2021-07-03 12:02:20
熟年離婚して5年目の年です。
友人の嫁さんから、平穏な生活に戻るのには10年かかると、離婚当時助言されたのを、今、思い出します。
返信する
Unknown (behonestasmyself)
2021-12-10 22:58:21
ボロボロのとき、本当にどん底のとき、どうにもならなくて、本当にひどい有り様なとき

そのときのありようは、それそのものが、その人にとっての最善なのだと、

当時はそんなこと微塵も思えませんでしたが、いま、はっきりとそう思います。

他になんの選択肢もなく、ただ耐えるしかなくて、耐えるために必死にやったこと。それが世間の非難にあたることだったとしても、それが精一杯だったのですから、それがその人の最善でなくてなんであろうか、と思います。
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