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三木卓『私の方丈記』(河出書房新社新書版)

2018-02-28 | 書評「み」の国内著者
三木卓『私の方丈記』(河出書房新社新書版)

人生の原点がここにある。混迷の時代に射す光、現代語訳「方丈記」。引揚者として激動の戦中戦後を生きた著者が、自身の体験を「方丈記」に重ね、人間の幸福と老いの境地を見据えた名著。(「BOOK」データベースより)

◎幅広い文学活動

これまでに何冊もの、『方丈記』を読んできました。『ビギナーズ・クラッシックス・日本の古典・方丈記』(角川ソフィア文庫)、中野孝次『すらすら読める方丈記』(講談社文庫)、『永井路子の方丈記/徒然草・私の古典』(集英社文庫)、堀田善衛『方丈記私記』(ちくま文庫)などです。そして2014年2月書店で目にとまったのが、三木卓『私の方丈記』(河出書房新社・新書版)だったのです。

三木卓の「方丈記」は、『21世紀少年少女古典文学館10・徒然草/方丈記』(講談社)で読んでいました。このシリーズは、一流の作家が日本の古典を現代語訳しており、古典の入り口としては最良のものです。10巻に同時収載されている「徒然草」は、嵐山光三郎の訳によるものです。

『私の方丈記』は、三木卓の体験をはさむように、まえが現代語訳でうしろが原文の「方丈記」となっています。現代語訳は、『21世紀少年少女古典文学館10・徒然草/方丈記』が底本になっています。したがって私は前後の現代語訳と原文をパスして、「私の方丈記」の章だけを読みました。

三木卓は小説家、詩人、翻訳家という、肩書をもっています。1935年に生まれ、新聞記者だった父に連れられて、2歳から小学校2年までの6年間を大連ですごしています。敗戦のため帰国の途中で、父、祖母らを亡くしています。この経験をつづったのが、連作集『砲撃のあとで』(集英社文庫)に収載されている「鶸」(ひわ)で、この作品により芥川賞(1973年)を受賞しています。

児童書の翻訳では、アーノルド・ローベル(『ふくろうくん』 ミセスこどもの本)などがあります。また名著の案内もしており、三木卓監修『日本の名作文学案内』『世界の名作文学案内』(ともに集英社)などの著作もあります。

『私の方丈記』の「あとがき」には書かれていない、三木卓の『方丈記』の「あとがき」を紹介させていただきます。

――兄は、当時の自分の学生生活を思い出して、「あのころは『方丈記』よりせまい生活だったなあ。」と、懐かしそうにいったことがあります。方丈の部屋というのは、一辺が約三メートルの四角形ですから四畳半ぐらいでしょうか。/わたしが大学に入ったのはそれから四年後でした。住宅事情もわたしの経済事情もまだだめでしたが、それでも三畳を借りることができましたから、兄よりもましな時代になっていたのでしょう。(『21世紀少年少女古典文学館10・徒然草/方丈記』講談社、三木卓の「あとがき」より)

◎行間から原文が浮かびあがる

――ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。(『ビギナーズ・クラッシックス・日本の古典・方丈記』角川ソフィア文庫より)

『方丈記』の冒頭の文章は、あまりにも有名です。難解な古語のなかで、「うたかた」の意味を知らない人はいないほどです。最近国内で自然災害があいついでいます。『方丈記』の前半には、鴨長明が直接体験した5大災害(安元の大火・治承の辻風・福原遷都・養和の飢饉・元暦の大地震)が描かれています。

「私の方丈記」では三木卓の思い出と、鴨長明『方丈記』の場面が重ねてあります。最初は大連の川の思い出がつづられています。

――川が結氷して驚いたのは、ふいにその朝鮮族の少年たちが、スケートをあやつって、日本人の少年たちの縄張りに侵入してきたことだった。かれらは、ものすごいスピードで川を下ってきては、「お前たちが弟をいじめたのだな。容赦しないぞ」とすごい声で脅した。体格もいいし、動きもいい。とうていかなわないような連中がやってきては、脅し去っていく。(本文P55-56より)

同様の手法で堀田善衛も『方丈記私記』(ちくま文庫)を書いています。こちらは戦時中の体験のなかから、「方丈記」の一節が浮かびあがってくる構成になっています。堀田善衛『方丈記私記』(ちくま文庫)の一部を紹介させていただきます。

――方丈記の何が私をしてそんなに何度も読みかえさせたものであったか。それは、やはり戦争そのものであり、また戦禍に遭逢してのわれわれ日本人民の処し方、精神的、内面的な処し方についての考察に、何か根源的に資してくれるものがここにある。またその処し方を解き明かすためのよすがとなるものがある、と感じたからであった。また、現実の戦禍に逢ってみて、ここに、方丈記に記されてある、大風、火災、飢え、地震などの災殃の描写が、実に、読む方として凄然とさせられるほどの的確さをそなえていることに深くうたれたからでもあった。(本文P70より)

『方丈記』に自らの体験を重ねるこの手法は、行間から古典の原文が浮かびあがります。私も「山本藤光の方丈記」を書いてみたくなりました。三木卓の『方丈記』についての思いを、紹介させていただきます。

――『方丈記』は、人によっていろいろな受けとり方をする本だと思います。わたしは、そういう常ならぬ変転をとげる世界を生きるのが人間なのだからこそ、その一刻一刻を貴重なものとして大切に生きなさい、と語っていると読みます。(『21世紀少年少女古典文学館10・徒然草/方丈記』講談社、三木卓の「あとがき」より)

◎無常ということ

『方丈記』第3段で鴨長明は、「無常」について書いています。「無常」とは、「生有るものは必ず滅び、何一つとして不変・常住のものは無いということ」(三省堂『新明解国語辞典』第6版より)という意味です。

――知らず、生れ死ぬる人、何方(いずかた)より来たりて、何方へか去る。また知らず、仮の宿り、誰(た)が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主と栖(すみか)と、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕を待つ事なし。(方丈記第3段、『ビギナーズ・クラッシックス・日本の古典・方丈記』角川ソフィア文庫より)

「無常」については、『平家物語』の冒頭でも、こう書かれています。
――祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。(『平家物語』の冒頭より)

吉田兼好『徒然草』第25段でも、「無常」についてつづられています。

――飛鳥川の淵瀬(ふちせ)常ならぬ世にしあれば、時移り、事去り、楽しび・悲しび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野らとなり、変らぬ住家は人改まりぬ。桃李(とうり)もの言はねば、誰とともにか昔を語らん。まして、見ぬ古のやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき。(『徒然草』第25段より)

また、弘川寺の西行桜の句も有名です。西行はこの寺を隠棲の地と定め、「願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃」と詠んでいます。

このように仏教的無常観を抜きにして、日本の中世文学を語ることはできません。現代では小林秀雄が「無常といふ事」(『モオツアルト/無常といふ事』新潮文庫所収。500+α推薦作)というエッセイを書いています。生と死をテーマにしたものですが、ちょっと難解かもしれません。

◎追記2015.02.23

朝日新聞(2015.02.23)に「方丈記の大地震 裏付けか」という見出しがありました。「平安末期に京都を襲った大地震で起きたとみられる土砂崩れの跡を京都大防災研究所の釜井俊孝教授(応用地質学)らが京都・志賀の東山で見つけた。地震の惨状は『方丈記』や『平家物語』などに描かれ、今回は記述を具体的に裏付ける珍しい発見」と書かれていました。
(山本藤光:2014.12.12初校、2018.02.28改訂)


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