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与謝野晶子『全訳・源氏物語』(全5巻、角川文庫新装版)

2018-02-04 | 書評「や行」の国内著者
与謝野晶子『全訳・源氏物語』(全5巻、角川文庫新装版)

帝の寵愛を一身に集めた桐壷の更衣が産んだ美しい皇子と、かかわる人々の姿を情感豊かに写し取った、世界最古の長編小説「源氏物語」。切なさといとおしさに満ちあふれた恋模様や、熾烈な権力闘争など、いつの世も変わらない人間の営みを描ききった日本文学の最高傑作が、與謝野晶子の優しく格調高い筆致で現在によみがえる、54帖全訳の決定版。(「BOOK」データベースより)

◎『みだれ髪』の思い出

与謝野晶子の歌は、中学校1年の教科書に載っていました。どの歌だったのかは記憶にありません。それまでに習ったどの歌も、五七五七七と切れ切れに感じていました。与謝野晶子の歌はちがっていました。節ばっておらず、みずみずしく流れていたのです。放課後になるのを待ちかまえて、図書室へ飛んでいきました。書棚には『みだれ髪』(現・新潮文庫)がありました。さっそく借り出しました。

なにげなく図書カードの貸出欄をみると、私の前に初恋の人の名前がありました。胸がときめき、本をもつ手が震えました。むさぼるように読みました。初恋の人の移り香がページにあるような気がしました。68首目をむかえて、はたとページをくくる指がとまりました。

――乳ぶさおさへ神秘のとばりそとけりぬここなる花の紅ぞ濃き

官能の炎に火がつきました。とてつもなく意味深な歌だと思いました。もどかしく思いながら、巻末の訳注をひらきました。

――乳房を押さえながら、私は性愛という神秘のページをそっと蹴りそこへ入ったのです。燃える心と体を包む愛の園。そこに咲く花の紅のなんと濃いこと。

 この引用は新潮文庫のものですが、おそらくそんな訳注にめぐりあったのだと思います。初恋の人とのてんまつについてはふれません。その後、私は与謝野晶子にとりつかれ、『全訳源氏物語』を毎月1冊ずつ借り出しました。図書カードには彼女の名前はありませんでした。

与謝野晶子訳『源氏物語』を2度目に読んだのは、大学へはいって間もなくのころです。いまは手元にありませんが、河出書房のカラー版日本文学全集に所収されていた2冊でした。その後、瀬戸内寂聴訳『源氏物語』(全10巻、講談社1997年。現・講談社文庫)と橋本治『窯変源氏物語』(全14巻、河出書房新社1991年、現・中公文庫)を読みました。与謝野晶子『全訳・源氏物語』(全5巻、角川文庫2008年新装版)の刊行を知り、老眼鏡をたよりにやっと完読しました。ときどき初恋人の面影があらわれてきたりして、楽しい読書時間を満喫しました。

◎「源氏物語の館」へのご案内

「源氏物語の館」は、5角形をした3階建ての構造になっています。入口への扉は5か所にあり、一から五までの漢数字の板が掲げられています。近寄って見れば、それぞれの扉にはつぎのような貼り紙がされているのがわかります。選んだ扉を入るとすぐに、書棚があります。あなたはそのなかからお好みの1冊を取り出して読まなければなりません。

「一」 あらすじ・マンガの扉:3階まで直通のエレベーターをご利用ください
*書棚の本
・川合章子:あらすじで大つかみ「源氏物語」と平安文学(講談社α文庫)
・長谷川法世:マンガ日本の古典「源氏物語」(全3巻、中公文庫)

「二」 要約の扉:3階までは各階止まりのエレベーターをご利用ください
*書棚の本
・橋本千恵:ちかみち源氏物語(学研M文庫)
・吉野敬介:1日で読める源氏物語(PHP文庫)

「三」 児童書の扉:3階まではエスカレーターをご利用ください
*書棚の本
・21世紀版少年少女古典文学館「源氏物語」(上下巻、講談社)
・新装版「源氏物語」(講談社青い鳥文庫)

「四」 口語訳・現代語訳の扉:3階まではオートウォーク(動く歩道)をご利用ください
*書棚の本
・与謝野晶子:全訳源氏物語(全5巻、角川文庫)
・瀬戸内寂聴:源氏物語(全10巻、講談社文庫)

「五」 完訳の扉:3階までは階段をご利用ください
*書棚の本
・新編日本古典文学全集「源氏物語」(小学館)
   ・新潮日本古典文学全集「源氏物語」(新潮社)

 1階には33帖の部屋があり、それぞれに「桐壷」から「藤裏菜」までの名前がつけられています。2階は34~41帖までで、「若菜」から「幻」までとなっています。3階は42から54帖までで、「匂兵部卿」から「夢浮橋」までの部屋があります。

「四」の扉の書棚で、口語訳の違いを比較してみます。「帚木」の冒頭を書き抜いてみました。与謝野晶子の方がすこし難解に感じるかもしれませんが、完訳に忠実な書き下ろしになっています。

――光源氏、すばらしい名で、青春を盛り上げてできたような人が思われる。自然奔放な好色生活が想像される。しかし実際はそれよりずっと質素な心持の青年であった。その上恋愛という一つのことで後世へ自分が誤って伝えられるようになってはと、異性との交渉をずいぶん内輪にしていたのであるが、ここに書く話のような事が伝わっているのは世間がおしゃべりであるからなのだ。自重してまじめなふうの源氏は恋愛風流などには遠かった。好色小説のなかの交野の少将などには笑われいたのであろうと思われる。(与謝野晶子『全訳・源氏物語巻1・帚木の冒頭』角川文庫P37)

――光源氏、光源氏などともてはやされ、その名だけはいかにも仰々しく華やかですけれど、実はあれこれ、世間からそしりをお受けになるようなしくじりも、少なくはなかったようでした。その上また、こうした色恋沙汰の数々を、後の世までも語り伝えられて、軽々しい浮き名をながされるのではないかと、ご本人としては、つとめて秘密にされていた内緒の事情まであばきたて、語り伝えた人がいたとは、何とまあ、口さがないことでしょう。(瀬戸内寂聴『源氏物語巻1・帚木の冒頭』講談社文庫P56)

 さてあなたはどの扉から入りますか。全54帖の部屋をめぐったあなたは、きっと新たななにかを獲得していることでしょう。
(山本藤光:2014.09.25初稿、2018.02.04改稿)

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