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水上勉『雁の寺(全)』(文春文庫)

2018-03-03 | 書評「み」の国内著者
水上勉『雁の寺(全)』(文春文庫)

頭の鉢が異常に大きく、おでこで奥眼の小坊主・堀之内慈念は寺院の内部になにを見、なにをしたか。京都の古寺、若狭の寒村、そして滋賀の古刹を舞台に、慈念の漂流がつづく。著者の体験にもとづいた怨念と、濃密な私小説的リアリティによって、純文学の域に達したミステリーである。昭和36年上期(第45回)直木賞を受賞した第一部の「雁の寺」につづく「雁の村」「雁の森」「雁の死」の四部作に新たに加筆し一冊に収めた、著者の代表作だ。(文庫案内より)

◎実体験をベースに

水上勉は「8歳のおり臨済宗相国寺瑞春院の侍者とな」(「新潮日本文学小辞典)っています。口べらしのために送りこまれた瑞春院を飛び出したのは13歳のときです。『雁の寺(全)』(文春文庫)には、その間の体験、見聞が実にリアルに描かれています。そのあたりについて、水上勉自身がつぎのように書いています。

――「雁の寺」に九歳から禅寺でくらした経験を投入してみた。つまり、背景の社会を寺院に置き換えたのである。実際に経験したことでもあったので、登場人物に似たような人が出てくる。この人たちには、不快な思いをあたえるのはたしかなことで、そういう気配りをしなくてはと深く考えられる場面は、事実から遠回りして描くという方法をとった。(水上勉『文壇放浪』新潮文庫P127-128より)

水上勉はこのあと、つぎのようにつづけます。

――「雁の寺」を書いたことで、私を九歳からあずかって、まがりなりにも、中学校へ入れてくださった和尚さまのご恩を忘れてはならないはずだったのだが、その和尚さまを殺してしまう小説を書いて文学賞を貰って生きているのであった。(同P129より)

本作は当初、第1部「雁の寺」のみ発表されました。本作はほぼ満場一致で直木賞を受賞します。さらに辛口といわれる、江藤淳や吉田健一が文芸時評にとりあげ賞賛します。その後、「雁の村」「雁の森」「雁の死」と書きつなげ、全4部として完結されました。

私は最初に新潮文庫『雁の寺/越前竹人形』で読みました。しかし収載は第1部のみでしたので、文春文庫『雁の寺(全)』を買い求めました。読書仲間と話していても、ときどき新潮文庫で読んだきりの人がいます。これはもったいない話です。

水上勉の推薦作を『金閣炎上』(新潮文庫)も考えました。そんなときに、酒井順子『金閣寺の燃やし方』(講談社文庫)を読みました。三島由紀夫『金閣寺』と水上勉『金閣炎上』について書かれた、とてもよい著作でした。2人の金閣寺については、酒井順子『金閣寺の燃やし方』をとりあげることで、まとめて紹介できると考えました。したがって心おきなく、『雁の寺(全)』を紹介させていただきます。

「雁の寺」は、瑞春院時代の襖絵を回顧し、モデルとしています。瑞春院には今も、雁の襖絵8枚が本堂上官の間(雁の間)に、当時のままに残っています。瑞春院は別名を「雁の寺」と呼ばれ、観光客や読者でにぎわいをみせています。

◎破りとられた雁の絵

京都に孤峯庵という禅寺がありました。住職・慈海は好色な男でした。孤峯庵には日本画の大家・岸本南嶽が描いた、雁の襖絵がありました。南嶽は孤峯庵をアトリエとして使い、里子という若い女とそこで起居していました。

この寺に慈念という小坊主がいました。彼は鉢頭で、小柄で、金壺眼という目立つ身体をしていました。慈念は若狭の宮大工の子として、養育されていました。しかし彼を産んだのは乞食女・お菊で、父親はだれかがわかりません。慈念は厳しい修行にたえ、住職・慈海にこき使われつづけます。

病床にふしていた南嶽は、囲っていた里子を慈海に託して死にます。好色な慈海は、ひっきりなしに里子を抱きます。里子は快くそれに応えますが、陰気な慈念にのぞかれているような不安をおぼえます。

里子は慈念の出生の秘密を知ります。不憫に感じた里子は、自らの肉体を慈念に投げだします。慈念は里子にたいして、愛着と憎悪のまざった複雑な感情をいだきます。

そんなある日、住職の慈海が忽然と消えてしまいます。事態は失踪あつかいになります。しかし慈海は小坊主・慈念に殺害されたのです。里子は慈念を疑います。今度は慈念が姿をくらまします。里子は襖絵のなかにある、母親の雁がこどもに餌をあたえている箇所が破りとられているのを発見します。

第1部「雁の寺」は、このあと里子も消えてしまう場面でおわります。住職の死は、里子の安住の場所をうばったのです。

◎濃密なリアリティ

このあと続編として「雁の村」「雁の森」「雁の死」と進展します。出奔した慈念は、産みの母・お菊への思いにかられ故郷・若狭へともどります。お菊は慈念を産んだ阿弥陀堂にいました。暗いなかからお菊は、自分を求めにきた客と思って媚をうります。慈念は絶望し、失意のまま立ち去ります。

その後慈念は、父・角蔵が働く現場の小坊主となります。飯場と別棟の小屋に、宮大工の父はお菊と住んでいました。自分の母親はお菊なのか。父親はだれなのか。慈念は鬱屈した問いを、父・角蔵にあびせます。そして……。

『雁の寺(全)』は数奇な運命に生まれた、の生涯をつづった作品です。幼いころに奉公にだされ、厳しい修行に明け暮れる慈念の姿を、水上勉はリアルに描きあげます。鉢頭のなかにある産みの母への思慕。金壺眼で見た住職と里子の愛欲生活。小さな身体のなかに思慕と憎悪をかかえ、慈念はゆがんだ世の中を生きていたのです。

本書は推理小説として発刊されましたが、純文学のはんちゅうにいれるべき作品だと思います。

――『雁の寺』が秀れた作品であるのは、水上氏の「言い難き秘密」が、さりげなく、しかも的確にイメージ化され、作品全体が濃密なリアリティをもった〈詩〉にまで高めたからである。(磯田光一『昭和作家論集成』新潮社より)

司修に『「雁の寺」の真実』(朝日新聞社)という著作があります。そのなかで、「『雁の寺』は以前に書いた『わが旅は暮れたり』という処女作の書き直しである」と書かれています。残念ながら本書は、みつけることができませんでした。最後に水上勉の回顧談を、紹介させていただきます。

――『雁の寺』で、じつは、仏教界、わけて臨済禅の伽藍生活を、しっかりと書いてみたかった。たてまえと本音の間を苦しみ、ごまかし生きる僧侶の、伴侶となった女の生の哀れと、おろかさ、それに貧困によってゆがめられた孤独な少年の、安心立命にまで降りたってゆかなかったその経緯を、ていねいにみてみたかった。(司修『「雁の寺」の真実』朝日新聞社P67より)
(山本藤光:2013.011.18初稿、2018.03.03改稿)

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