山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

赤坂真理『ミューズ』(河出文庫)

2018-02-28 | 書評「あ」の国内著者
赤坂真理『ミューズ』(河出文庫)

中1でスカウトされモデルの仕事を続けながら女優を目指す女子高生美緒。歯列矯正に通う彼女は、34歳の歯科医の手の<匂い>に魅かれ、恋に落ちる。粘膜的快楽に細胞までざわめく、野間文芸新人賞受賞の初期最高作「ミューズ」と、自傷を通して自分を確かめる彩乃と介護士の交流を描いた「コーリング」。代表作のベスト・カップリング。(「BOOK」データベースより)

◎人体の器官と五感を巧みに描く

赤坂真理が『東京プリズン』(河出文庫、初出2012年)で大ブレークしています。デビュー作『蝶の皮膚の下』(河出文庫)からの追っかけとしては、うれしいかぎりの飛翔でした。そのおかげで、初期作品の文庫復刊があいついでいます。赤坂真理の推薦作を、『東京プリズン』に変更しようかどうかを迷いました。迷ったすえに『ミューズ』に軍配をあげることにしました。

2013年『ミューズ/コーリング』(河出文庫)が復刊されました。2014年講談社文庫『ミューズ』も復刊されました。旧版の講談社文庫の帯コピーには、つぎのように書かれています。新版は手元にないのでわかりません。

――記憶なんか要らない、この体があれば。新興宗教に狂う母に見捨てられた17歳の美緒は、矯正歯科医に恋をしかける。清新なエロス!

赤坂真理作品の特徴は、人体の器官と五感を巧みに描くことにあります。『ミューズ』の主人公・美緒は高校生です。美人で背が高く、モデルのアルバイトをしています。家庭も裕福で、高級住宅地として名高い成城に住んでいます。

赤坂真理は恵まれている美緒を、いきなり突き落としてみせます。モデルのアルバイトのときに、歯並びが悪いのは失格だ、と怒鳴られるのです。満たされた現状からの転落。失意の美緒は、成城のなかでも一等地にある、矯正歯科へ通うことにします。

『ミューズ』は、ギリシャ神話で人間のあらゆる知的活動をつかさどる女神たちのことです。通常「ムーサイ」と表記します。しかしこの作品の「ミューズ」は、薬用石鹸の商標です。冒頭でいきなり、タイトルの意味が明かされます。

――「あの、訊いていいですか?」/ん? と矯正歯科医は口を開かず喉の奥で音を出す。眉が連動する。/「いつも不思議だったんですけど」/目は大きめの、少しだけ垂れた目。少しだけ、離れ気味。/「先生ってすっごくいい匂いがする。何、使ってるんですか?」(本文より)

赤坂真理の文章はセンテンスが短く、体言止の多用が特徴です。それが作品に、独特のリズムをつけます。矯正歯科医の顔は、マスクに隠れているために、眉と目しか見えません。そこに嗅覚をからませたのです。

診療を終えた美緒が、矯正歯科医に質問する引用場面は秀逸です。歯列矯正装置を装着した美緒は、長い時を耐えなければなりません。きれいな歯並びの女優を目指して。

16歳の美緒は、自分自身が空っぽになることに恐怖感をもっています。いつもなにかで、それを満たしておきたいと思っています。やがて2人は、診療室で愛し合うことになります。矯正歯科医の職場でもあり、住居でもある「場所」で愛し合うのです。

この作品で赤坂真理は、とことん「場所」にこだわっています。成城という高級地。歯科医の次男としてぬくぬくと育った矯正歯科医の社会的な「場所」。完璧なモデル以外は、拒絶される「場所」。美緒が目指している女優という「場所」。そして美緒が矯正歯科医を迎え入れる潤った「場所」……。

赤坂真理は『ミューズ』で、「階級と差別」を書きたかったようです(「ダ・ヴィンチ」2000年4月号を参照しました)。しかし、その点では、あまり成功していません。『ミューズ』の主人公は高校生。肉体的にも精神的にも、発展途上なのです。

口のなかに金属があることへの憂うつと、きれいな歯並びになるという希望。その狭間で揺れる美緒は、しだいに矯正歯科医のことを「過去形」で考えはじめます。「今」という時をなかったこととして、「過去」へ押しやろうとするたくましさをみせます。美緒は「今」ある「場所」を踏み出そうとしているのです。

◎感性豊かな『コーリング』

赤坂真理は、既存の小説枠にこだわりません。ストーリーよりも、とことん自分の感性に固執して作品を書きます。またひとつのことを、細かく描きこみます。それはデビュー作『蝶の皮膚の下』(河出文庫)から一貫しています。

ただし『ヴァイブレータ』『ヴァーニュ』(ともに河出文庫)までは、若干の筋立ては存在していました。筋立てとは起承転結のことであり、多くの作家はひたすら「結」に向けて主人公を動かします。ところが赤坂真理はちがいます。主人公がそうした動きを見せないのです。

『コーリング』には、6つの短篇が収載されています。そのなかの「雨」は、400字詰め原稿用紙で10枚足らずの作品です。この作品で、赤坂真理のすべてを説明できます。

主人公「あたし」は、ラクビーボール型のミラーボールが回転する場所にいます。主人公はそこで雨の音を聞きます。厚い防音設備の整った箱のなかで、聞こえるはずのない雨音を聞くのです
 
ナナはそこで、レコードの〈溝〉に針を落とす仕事をしています。「あたし」はナナの〈溝〉を想像します。場面が変わります。マンションかアパートの一室。あたしはヒロキと寝ています。あたしはヒロキに「レコードをかけてよ」と頼みます。ヒロキはそれを無視します。
 
雨が窓ガラスを叩きます。ストーリーを追求する読者には、つまらない作品だと思います。ただし著者の感性と同化したい、読者にはたまりません。こんな描写があります。ちょっと長いのですが引用してみます。

――ナナがペンライトで溝の一本まで読もうとするとき、あたしはナナの溝のことを考えた。そこはあたしの溝のように、深く暗く、温かいだろうか。膝を使ってまさぐることを考え、口づけることを想像した。深い溝と溝とが合わさることを考えた。そこに突起物がないのが、奇妙で自然。耳のうしろが熱くなる。あたしはこんな想像に慣れてない。(本文より)

◎主人公は現代のひずみに共震(ヴァイブレート)
 
『ヴァイブレータ』(講談社文庫新装版)も、紹介させていただきます。タイトルは大人の玩具みたいですが、内容はいたってまじめなものです。デビュー作『蝶の皮膚の下』(河出文庫)は、薬物依存の女性が主人公でした。本書にも買い物やアルコールに依存せざるを得ない、主人公が登場します。

赤坂真理は今にも崩壊しそうな精神や、追いつめられた修羅場を好んで描きます。「ヴァイブレータ」の意味については、著者自身が書いています。
 
――ふたつの極があって、ひとつを極限まで突き詰めると、もう一つの極と共震せずにはいられない。もう一つの極の本質も露わにならずにはいられない。だからある特殊な状況をつきつめることは、普遍に通じる。(「本」1999年2月号より)

主人公は現代のひずみに共震(ヴァイブレート)し、なにかに依存しつつ究極的な形で再生を試みます。多くの小説は現実逃避の手段として、アルコールやドラックやセックスを用います。

赤坂真理の小説も一見そうしたように見えますが、主人公がそれらでは押さえ切れない状態にある点が大きく異なります。『ヴァイブレータ』の主人公・早川玲は、有能な女性ジャーナリストです。
 
――自分自身の思考と幻聴の区別がつかないところまで追いつめられている。しかしそれを認めないまま、化粧品やら薬やら、どんなものの力でも借りて美しさと有能さを保とうとする。(本文より)

そんな瀬戸際に追いつめられた主人公は、コンビニで出会ったトラックの運転手と数日間の旅をします。主人公はトラックのなかを、男の胎内みたいだと思います。この表現で、しばし考えこんでしまいました。女の胎内ならわかりますが、「男の胎内」と表現されている意味は、なんなのでしょうか。
 
――そこは男の胎内のような場所だと思った。飾りがなくて、でも居心地がよく、柔らかくて暖かい。(中略)この部屋は、彼の体であたしの心。(本文より)

主人公はトラックの飾り気のない運転席を、男の温もりと感じています。では、それにつづく「あたしの心」とはなんなのでしょうか。そこがわかりません。「あたしが求めるところ」となっていればすんなりと先に進めました。赤坂真理は前作でも、私の読書に待ったをかけています。一見、きれいに流れているような文章を、独立させてみるとつながりません。つぎの箇所もそうです。
 
――走り出すとまた風景がめくるめく変わって、それは風景が自分の表面からたえず引き剥がされていくようで、体液のしみ出た擦傷をこすられ続けるみたいに、体の表皮がいつまでたっても形成されない感じで、外の空気に対する防御がない。体の表面に、ふしぎな過敏さと鈍さとが同居しはじめる。(本文より)

最初のセンテンスは、わかりやすいものです。「風景が変わる」のは、トラックが走っているから当然です。次のセンテンスもわかります。難しいのはそこから先です。外に向かっていた著者の視点が、突然内面に変わります。「自分の表面から、風景が剥がれ落ちる」のです。ここでも「自分の内面」ではないことに注目したいと思います。

そして「外の空気に対する防御がない」と結ばれます。流し読みができないのが、赤坂真理です。くり返しになりますが、赤坂作品の魅力は、細部へのこだわりです。そのことについて、著者自身が阿部和重との対談で、つぎのように語っています。

――「資料はよく読む。もともと文学の本を読むより、自然科学の本を読むほうが好きだったの。(中略)あと、スペックオタクと関係するのかな。たとえば銃があったとすると、撃鉄が弾の後ろを叩いて、火薬が爆発して推進力が与えられその推進力にスピンが加えられることでまっすぐ前に、その間薬莢が排泄され……、とかいうのが好きなの。」(「文藝」1999年春号)

むむむ、というしかありません。
(山本藤光:2010.10.29初稿、2018.02.28改稿)
 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿