山本藤光の文庫で読む500+α

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三木卓『野鹿のわたる吊橋』(集英社文庫)

2018-03-10 | 書評「み」の国内著者
三木卓『野鹿のわたる吊橋』(集英社文庫)

ぼくは36歳の独身。スポーツ新聞社の整理部に勤めるサラリーマン。酒場で飲んでいたぼくが、タバコを買いに外に出ると、白いワンピース姿の彼女がいた。瓶の中に指が入って困っていた。指をぬいてあげたことが、恋のはじまりだった。不思議な魅力をもつ彼女。恋人も家族も会社もすて、いつのまにか、ぼくは彼女の虜になっていく。…魔性の女を描く、長編恋愛小説。(「BOOK」データベースより)

◎三木・野呂・宮原・坂上・森内・後藤の輝いていた時代

1970代の前半に、三木卓、野呂邦暢、宮原昭夫、坂上弘、森内俊雄、後藤明生などを盛んに読んだ時代があります。しかし「山本藤光の文庫で読む500+α」には誰一人取り上げていません。それぞれの代表作は、次のようになります。

三木卓『砲撃のあとで』(集英社文庫、初出1973年、収載作「鶸」で芥川賞)
野呂邦暢『草のつるぎ』(文藝春秋、初出1974年、芥川賞受賞)
宮原昭夫『誰かが触った』(角川文庫、初出1972年、芥川賞受賞)
坂上弘『野菜売りの声』(河出書房、初出1970年)
森内俊雄『幼き者は驢馬に乗って』(文藝春秋、初出1971年)
後藤明生『挾み撃ち』(集英社文庫、初出1974年)

どの作品も捨てがたいのですが、入手しがたいことで推薦は見送りました。これらの作家はいわゆる純文学ですので、文庫化されることはあまりありません。そんな背景のなかで、比較的入手しゃすい1冊を紹介させていただくことにしました。

◎良質な恋愛小説

三木卓小説の出会いは、創作世界へのデビュー作『ミッドワイフの家』(講談社、初出1973年)からです。詩の世界にいた人ですから、文章が輝いていて印象的でした。その後、芥川賞受賞作の
『砲撃のあとで』を読んでとりこになりました。

『野鹿のわたる吊橋』は、良質の恋愛小説です。私は三木卓作品のなかで、本書がいちばん好きです。

主人公・吉永修司は、スポーツ新聞社の整理部に勤める36歳の独身です。現在、つき合っている29歳の和美がいますが、そろそろ関係を清算しようと考えています。

修司は夫に捨てられた妹・実子の救済のために、和美から200万円を借金しています。そんなとき、修司は迪子(みちこ)という不思議な女性と出会います。

深夜煙草を買いに出た修司は、自動販売機の傍らにうずくまっている女性を発見します。それが迪子との運命的な出会いでした。迪子は瓶に指をはさめ、抜けなくて困っていました。修司は飲んでいた店へ引き返し、油を借りて瓶から指を抜いてあげます。

修司が迪子と再会するのは、1ヶ月後のことです。地下街の靴屋で、客の足元にひざまずいている彼女を発見します。修司は靴を注文し、会社に連絡がほしいと告げます。しかし1週間が過ぎても、音沙汰がありません。不思議に思って靴屋に行ってみると、迪子は退職していました。翌日、迪子から連絡が入ります。注文の靴を届けたいといいます。

修司は待ち合わせ場所に、油を借りた居酒屋を指定します。雨が降っていました。迪子ははじめて出会った、自動販売機の傍らにいました。足元には靴箱が置いてありました。修司は自分の部屋へ、ずぶ濡れの迪子を案内します。

――突然、あることに気づいて飛び上がりそうになった。それはベッドのことである。前夜、化粧の濃い和美が無断でもぐりこんでいたベッドには、まだ香料の移り香が残っているはずだった。/ぼくはいそいで新しいシーツと蒲団カバーを取り出し、ベッドメイキングをした。枕も予備のものに替えた。(本文より)

どこへも行くあてもない、迪子との同居がはじまります。彼女は暇があれば、部屋の隅で寝ています。修司はそんな迪子に夢中になります。迪子は性愛の場で、いうがままになっています。そんな2人に変化が起きます。不感症みたいだった迪子が、絶頂を知るのです。主と従だった2人の関係が対等の立場に変わります。

やがて合鍵をもっている和美が、2人のもとに現れます。修司の母親が唐突に訪れます。2人の関係を知った妹の実子は、仲を裂こうとします。

作品の後半は意外な展開が待っています。頼りない迪子に、逞しい個性が宿るのです。疎遠だった母親。別れようとしていた恋人。自分では何もできない妹。

修司のずるずる引っ張っていた日常が、迪子という陰のある女性との出会いで変化をみせます。この作品はそうしたしがらみを乗り越えようとする男と、自我を取り戻そうとする女の、怪しくも艶めかしい物語です。
(山本藤光:2000.10.10初稿、2018.03.10改稿)

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