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中上健次『枯木灘』(河出文庫)

2018-02-04 | 書評「な」の国内著者
中上健次『枯木灘』(河出文庫)

自然に生きる人間の原型と向き合い、現実と物語のダイナミズムを現代に甦えらせた著者初の長篇小説。毎日出版文化賞と芸術選奨文部大臣新人賞に輝いた新文学世代の記念碑的な大作!(アマゾン内容案内)

◎戦後生まれで最初

 戦後生まれで、最初に芥川賞を獲得したのは中上健次です。そして戦後生まれで、もっとも優れた業績を残しているのも中上健次です。村上春樹(推薦作『1Q84』全6冊、新潮文庫)がヨーロッパの石畳を優雅に歩いているとしたら、中上健次は肩で息をして紀州の「路地」を駆け抜けました。46歳。あまりにも早すぎる逝去でした。
 
 中上健次のたどった道には、谷崎潤一郎(推薦作『痴人の愛』新潮文庫)、大江健三郎(推薦作『万延元年のフットボール』講談社文芸文庫)の足跡が残っています。一方、村上春樹の道は、川端康成(推薦作『雪国』新潮文庫)、三島由紀夫(推薦作『潮騒』新潮文庫)が舞うように通り過ぎています。学者ではないので、ていねいには説明ができません。しかし私の脳裏には、くっきりと2つの道が浮かんでくるのです。
 
 現に中上健次の「一番はじめの出来事」(河出文庫『十九歳の地図』所収)は、大江健三郎の文体そのままです。その後中上健次の文体は、怒っているような短いものに変化しています。大江健三郎が「四国の村」に固執したのと同様に、中上健次は「紀州」を描きつづけました。
 
 中上健次の生まれ育ちを、家系図的に表記するのは難しいことです。発表されている年譜によって、微妙にちがっています。ここでは『中上健次選集12』(小学館文庫)にしたがうことにします。もっともシンプルに書いてあるからです。中上健次作品を理解するうえで、生い立ちのことを無視するわけにはゆきません。

(以下引用) 
1946年 木下ちさとの第六子(三男)として、和歌山県新宮市に生まれる。父は鈴木留造。
1953年 新宮市立千穂小学校入学。母・ちさとともに、中上七郎父子と暮らしはじめる。
1959年 異父兄・木下行平自殺。新宮市立緑ケ丘中学入学。演劇部、合唱部所属。
1960年 緑ヶ丘中学生徒会誌「みどりが丘」に「帽子」を発表。
1962年 母の婚姻にともない、正式に中上姓となる。和歌山県立新宮高校入学。

 中上健次作品を読むとき、彼の生い立ちを知っていなければなりません。その点について、同世代作家の言葉を紹介します。
 
――(前略)中上健次自身、この「路地」で生まれ育ちました。『枯木灘』の設定と、作者自身の生い立ちは、ほとんど正確にかさなっているといっていいでしょう。(三田誠広『書く前に読もう超明解文学史』集英社文庫P194より)

◎『枯木灘』の前に『岬』を

『枯木灘』(河出文庫)の作品のはさみこみ資料には、紀州の地図と主人公の「秋幸」を中心にすえた登場人物図がのせられています。このことは中上作品を象徴しており、『枯木灘』を語るうえでの大切なポイントとなります。

『枯木灘』は、『岬』(小学館文庫『中上健次全集12』所収)と『地の果て至上の時』(小学館文庫『中上健次全集10』所収)の中間に位置する3部作のひとつです。いずれの作品も「秋幸」という主人公と、その実父「浜村龍造」が登場します。

「秋幸」には3人の父親が存在します。ひとりはバクチやケンカで刑務所入りする実父。それに母フサの最初の夫であった「西村勝一郎」。秋幸は西村姓で役場に届けられています。そして母フサが幼い秋幸を連れて嫁いだ「竹原繁蔵」。秋幸にとっては義父にあたります。

――秋幸はフサの私生児としてフサの亡夫の西村という籍に入り、中学を卒業する時に、義父の繁蔵が自分の子として認知するという形で竹原の籍に入った。その男は浜村龍造と言った。秋幸は子供の頃から、自分がその男やその男の子供とは無関係だと思っていたにもかかわらず、浜村という言葉を耳にし眼にするたびに体がほてる気がして、それが不思議だった。(『中上健次選集1・枯木灘』P58より)

『岬』のときの秋幸は異母妹を犯します。『枯木灘』では異母弟殺しとなります。主人公は一貫して罪を犯し、罰せられたがっています。実父の汚らわしい「血」との、決別のためです。それは作品に大きな影を落としつづけます。。

 中上健次は46歳で筆をおきました。1974年に『十九歳の地図』(河出文庫)を書いてから20年にもならないうちに、世を去ってしまいました。『岬』で芥川賞を受賞し、『枯木灘』では、毎日出版文化賞・芸術選奨新人賞を受賞しています。

 中上健次作品は人間関係が複雑で、何度も行きつ戻りつをくりかえさなければなりません。したがって、思いきって休日を費やし、集中する方がいいようです。しかも寝転んでは読めません。

 中上健次の初期作品は、1人称で書かれていたために読みやすいものでした。『十九歳の地図』は都会に出てきた予備校生が、現実に背を向け未来を夢想する小説です。新聞配達のアルバイトをしながら、「ぼく」は世間との接点を電話に求めます。この作品には紀州の香りはありません。

『枯木灘』を読み終わって、私は2つの作品を頭の中に並べてみました。東京を舞台とした作品では、どろどろとした人間関係は描いていません。接するすべての人が、他人のような世界なのですから。
 
 中上健次が紀州を舞台にしたとき、はじめてそれが可能となります。「風土」と「しがらみ」と「血縁」。この3点がひとつになって、中上文学が輝きを増します。3部作の最後である『地の果て至上の時』(『中上健次選集10』小学館文庫)とあわせて、中上健次の世界を堪能していただきたいと思います。
 
 主人公「秋幸」に関して、なるほどと思った文章があります。紹介させていただきます。

――「秋幸」という登場人物は、ギリシャ神話でいえば、宿命として父を殺すオイディプスで、オイディプスは、諸悪の根源は自分だと思いはじめる。この「一番悪いのは自分だ」というのも物語の基本です。それが『枯木灘』などの小説の支えになっていた。
(『座談会昭和文学史6』第26章「昭和から平成へ」のなかの井上ひさしの言葉、P387より)

◎中上健次は名文家である

中上健次の文章を賞賛する3冊の本を紹介します。『枯木灘』の冒頭部分について大隈秀夫と石原千秋は、まったく同じ言葉に着目しています。プロが目をつける部分は同じなのだな、と感心してしまったほどです。

――大隈秀夫『名文はだれでも書ける』(初出1982年、番町書房P114)より引用
 前にも述べたとおり、中上は短いセンテンスを積み重ねて物語を展開させていく。「空はまだ明けきっていなかった」「花はまだ咲いていなかった」などの表現が象徴的である。「夏ふよう」の木を背景に取り入れたところなど、季節が春から夏へ移ろうとしているのをそれとなくにおわせている。
 最初の段落の後半にある「つるはしが好きだった」「シャベルが好きだった」「秋幸はそう思った」などの短い文がスピード感をあおりたてる。
 
――石原千秋『名作の書き出し』(初出2009年、光文社新書P121)より引用
 ここに書き込まれた「夏ふよう」は、中上健次の紀州サーガの中ではほとんど聖なる樹としてある。それが、冒頭部では二つの否定表現の連なりによって語られているのである。「空はまだ明けきっていなかった」「花はまだ咲いていなかった」。では、空が明ければどうなるのか。花が咲けばどうなるのか。その期待や疑問がこの物語の構成力となっていることはまちがいない。
 
――『国文学』1978年臨時増刊号「現代作家110人の文体」より
 光は撥ねていた。日の光が現場の木の梢、草の葉、土に当たっていた。何もかも輪郭がはっきりしていた。曖昧なものは一切なかった。いま、秋幸は空に高くのび梢を繁らせた一本の木だった。

このように中上健次の文章は、高く評価されています。私も文章修行では、中上健次の作品をテキストにしていたことがあります。

 最後に入手可能なすばらしい本を紹介します。柄谷行人『坂口安吾と中上健次』(講談社文芸文庫)です。中上健次が唯一心をゆるしていた柄谷行人が書いているのですから、読みごたえのある著作といえます。もう1冊は、高山文彦『エレクトラ』(文春文庫)です。こちらは中上健次の生涯をたどった評伝です。

◎ちょっと寄り道

中上健次作品を通読するなら、『中上健次選集』(全12巻、小学館文庫)がお薦めです。中上健次の娘・中上紀は『彼女のプレンカ』(集英社文庫)などを発表しています。
(山本藤光:2010.04.05初稿、2018.02.04改稿)

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