80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

沖縄慰霊の日

2012-06-23 11:44:40 | 戦争体験
今年も又、沖縄慰霊の日を迎えた。

戦時中はあまり、本土の国民には沖縄戦の模様は伝え

られていなかった。アメリカ軍が狭い沖縄にものすごい量の

爆弾を打ち込んで山が形を変えてしまったとか、日本軍の沖縄

守備軍最高司令官第32軍司令官、牛島満中将と、参謀長の

長 勇中将が摩文仁軍司令部で5月23日午前4時、自決され

た話はラジオで聞いた気がしているが、その後も、総司令官の

指揮なきまま、戦い続け、日本政府が終戦を発表してから二週

間目にして、停戦したと言うことを知らなかったし、沖縄は

全滅と言う報道を聞かされていたので、本当に全員亡くなられ

たのかと、思い込んでいた。

何回かに分かれて船で鹿児島に引き揚げ、疎開された方々もある

のは知っていたが、その後、映画のニュースなどで軍人も民間人

も大人も子供もアメリカ軍に投降していく姿や、姫百合部隊の

少女達の話に胸蓋がれ、あの激戦の中で、良くぞ生きていて

下さったという思いがこみ上げてきたが、その姫百合部隊の少女

達の隠れていた小さな深い穴の中にガス弾が打ち込まれ、多くの

少女達が苦しみながら亡くなっていかれたと聞いていた。



そんな中で、お一人奇跡的に助かられた方があったということを

今日、早朝のNHK テレビで拝見して、びっくりした。

これまでの長い人生、そのことで、どんなにお辛かっただろうと

言うことが、私には良くわかるような気がして、胸が痛んだが、

今までは辛くて人前でお話されなかったようだが、今は苦しい

けれど、それを言っておかなければならないお気持ちになられた

ようであった、




沖縄は日本でただ一箇所、地上戦が行われたところである。

上からの空襲でさえ大変なのに、ましてや、何時何処から米兵が

飛び出して、拳銃をつきつけられるか解らない状況はどんなだっ

たろうかと、四六時中そんな思いをしておられた方々のことを

思うと何時もきゅっと胸が締め付けられるのだ。




私の父は強い正義感の持ち主で、人種差別とか、いじめとか大嫌いの

人であった。

旅行好きであったが、母が23年寝たきりであった時は、私たちが、

たまには、私たちがいるのだから息抜きで何処かへ旅行してと言っ

ても、一度も出かけたことはなかったが、一人になって、私と近所

のお店に買物に行った時に当時73歳の父がふらふらと歩いていて

いるのに驚かされ、これからは、できるだけ毎日遊歩道などを歩い

てねといった私の言葉に、だんだん少しづつ長い時間、歩くように

なって行き、日本中はおろか世界中を言葉を勉強しながら、写真を

撮りながら83歳まで楽しんでいたのだが、その父が沖縄の話に

なった時、

”僕は沖縄に観光に行くことだけはできない。申し訳なくて・・・。”

と、言ったのである。私も、父の思いが良くわかって、言葉に詰まって

しまった思い出がある。



それから大分経って、私が一台七役の家事机を考えて、実用化し

て暫くたった時、いろいろマスコミや婦人雑誌に取り上げて頂いて

いたので、どれからかわからないが、沖縄の本屋さんの奥様から

雑誌では拝見した家事机を送って欲しいとお電話があったのです。

私は嬉しくて、すぐ静岡のメーカーに電話したのですが、どうして

も駄目だと断られたのです。何故かとの問いに、船で運んでいく途中

で、家事机に疵が付いたら、遠くて直しにけないからと、いわれ、

再三、交渉したのですが、諦めざるを得ませんでした。お断りの電話

をしたら、それでは、あの写真にあったエルナプレスを送ってください

と言う話になりました。 

それは、スイス製の非常に便利なアイロンで、当時全国送料無料で

お送りしていたので、卸業者さんへ電話をかけたところ、沖縄だったら、

送料が大分掛かりますよと言われてしまったのですが、その時、これは

なんとしてでも送料無料にしなければ、戦時中ご苦労された沖縄の方に

申し訳ない、沖縄も日本のうちなのに、送料別になったら差別ではない

かという気持ちがぐっと沸いてきて、輸入元に話してくれるように頼ん

だのです。

その方の説得力のお蔭で送料無料になりました。


私は、何故、家事机が途中で壊れたら、もう一度送ろうと言えなかった

のかと・・・


時々”後悔先に立たず”の反省をしているのです。

亡くなられた方々の御霊安かれと祈り、且つ、又

沖縄の基地問題が早く解決してくれるように祈ってやみません。


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