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80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

家具と私(35)

2010-12-19 12:23:59 | 家具


これは婦人倶楽部1985年9月号にとりあげていただいたもので、

洗面台と居間の僅かなスペースに置かれたのが、この戸棚、間口85

センチ上段の奥行き32センチ、高さ110センチ、下段の奥行き

45センチ、高さ115センチ

浴室の前にあるので、下着や着替えもなども入れられるようになって

いる。

体重計も使うときだけにおろし、普段は棚に収めている。

衛生用品、洗剤類をたっぷり飲み込む戸棚と紹介されているが、テイッ

シュペーパー、トイレットペーパー、洗剤、石鹸、歯ブラシなどの

買い置き、タオル、体重計、テーグルクロスや暖簾類、古新聞、下着

など、浴室、洗面所で必要な物はすべてここにまとめられている。

上段の扉裏には水枕が掛けてある。

下段にはお風呂に入るときに脱いだものを掛けられるパイプがついている。

(つづく)

家具と私(34)

2010-12-15 18:59:15 | 家具


 これは主婦と生活社の美しい部屋50号「1986年6月1日発行)に載せて

いただいた記事で家事机の向かって左隣にあるのが、テレビボードで、テレビの

上はスライドレールで軽く引き出せるようになっている引き出しで、ビデオテープ

が背表紙を上にたてて収納できるもので、引き出しを開ければ何がどこにあるか

一目で見られるようになっていた。

 テレビの下には大きい引き出しを作りスライドレールを取り付けて大きいものが

軽く出せるようにした。この中には分厚い写真帖がたくさん入った。


その下の台輪の中にも普段使わない大事な物が入れられた。

その右側の扉の中には、棚板が二枚ついて、書類など分類して入れられるようにした。

その下には深さの違う浅い引き出しをたくさん作って、家中の細かい物をいれられ

るように考えた。

このために何度も入れるもののサイズをはかり、引き出しの中が何センチと何センチ

になればいいかをよくよく検討したのである。

忙しい私が、立ったままビデオテープを取り出して、セットできるので便利

になった。

下の写真はダイニングテーブルセットで、狭い団地生活では収納する場所が

少しでも多く欲しいということから、普通のテーブルと椅子であれば、膝の

上からテーブルの裏までの間は無駄な空間になるのでそこを利用しようという

事と、更にその下のスペースも無駄なく使えるようにと考え、人数が多い時

のために、テーブルを伸張式にし、テーブルの下にワゴンを二つ入れること

にした。

そのうちの一つ写真中ほどの右下には炊飯器が入っている小さいワゴンがあ

り、その中には棚板が一枚入っていて炊飯する時には上の蓋を開けて炊飯す

れば、蒸気が上に出て行くので、周囲が熱くならない。炊飯器の棚の下には、

トースターが入り、それを使うときには炊飯器を入れてあるところの蓋を閉め

て、その上に載せて使えるようにした。

このワゴンの扉裏にはタオル掛けを作って、テーブルの上でお雑巾が欲しく

なった時のためにタオルを入れておいた。

この炊飯器のワゴンが入っている反対側に伸張式の板をとりつけた。勿論それ

を出す時には下側に支えがでてくる仕掛けが両側にある。

 テーブルの真ん中には、天板にポータブルコンロが入る箱がついていて、

ポータブルコンロと、スペアのガスを常時収納して置けるが、コンロを使用

する時には中に入れてある棚板を高さを調節するためにしつらえた箱の中の

ダボの上にセットして、コンロを載せれば、テーブル面の高さにお鍋を置い

ているのと同じになるので、お鍋をつつく時に高すぎて困る事のないように

また、火が当たって回りがこげる事のないようにしてある。

このコンロが入っている両側には浅い引き出しがついていて片方にはナプキン

や、お布巾など、反対側にはお箸やスプーンなどが入れられるようにしたのである。

下に入っているもう人一台のワゴンはキャスターつきで、その下に足が入れら

すきやきとか焼肉などをするときには、サイドテーブルとして引き出して、

その上にいろいろ載せられるように考えていた。

ワゴンは両面開きで、中には中仕切りがあって棚板が片方にはついていて、お菓子

の型類だとかお菓子を作るための道具が入れられていた。

椅子も普通の物では収納できないので、一人用のものを二個と二人がけの物を一

台作りその下側にはキャスターをつけて、坐る時と、お掃除に便利なようにして

あったが、一人がけの一台の方には古新聞が1ケ月分入るようになっていた。

もう一台には何でも必要の時に入れられるようにした置いた。

大きい方の椅子の両側にはポケットをつけ、片方は新聞たて、もう一方は、

鍋敷きとか、ラップ類などが立てて入れられるようにしてあった。

 (つづく)

家具と私(33)

2010-12-14 16:02:01 | 家具


これは婦人倶楽部1985年の9月号に載せていただいたものであるが、

食器棚の横の家具はキッチンへの出入り口で、できるだけ収納力のある家具

を作りたいと思っていたが、出入り口なので、入り口近くの奥行きを少

なくして、食器棚側は食器棚と同じ奥行きに設定して斜めに作ることにした。

(下の図参照)

一番下には買い物袋を掛けるフックがついている。

棚板が二段ついていて、棚板は可動式、その上は空間にして扉をつけず、

電話器やメモ帳、ペンなど置けるスペース。一番上は本棚で料理本など入れて

ある。

その手前の収納庫の下の方にはお茶類だとか、みかん箱がそのまま入れ

られるようになっていて、大勢の来客の予定があるときにはお茶の急須から

お湯のみまで並べておける大きなお盆が入り、ビールの買い置きだとか電気

製品やゴルフバッグも入っている。

棚板には工夫があり、奥に普段あまり使わない大きいものを入れ、その前に

低い物を二段入れられるようにもしてある。

   (つづく)

家具と私(32)

2010-12-13 16:40:13 | 家具


 団地での生活をよりよくするために次にキッチンの家具をいろいろと考えて

いった。 同時に、家を展示場にしようと思って、家中の壁や天井などを自分で

塗装し明るい感じに仕上げていった。

 上の写真は、リビングブック 1985年10月号に取り上げていただいた時の

もので、写真向かって左側から、ご説明すると、まづ、私の足元にあるのが、折り

たたみ式踏み台で背の低い私がてんぷらなどを揚げるときには顔の直ぐ近くで揚げ

るという事は、油がはねた時に顔に飛んでしまうので、少し高くしたかったし、

流し台の縁にまな板を載せて物を切るのは高すぎて肩が凝るという事もあり、一方

天井近くに収納しているのものを取る時には、もっと高くしたかったので、折り

たたみ式にしたのである。 これはあまり軽すぎると動きやすいので、なるべく

重くしたかったのと、中に物を入れたいと思ったが、それにこだわると、頑丈に出来

ないので、こんな形になった。

手前下のお茶道具が載っている物は、公団のシンク下には配管が見えていて、あまり

見栄えが良くないのと、無駄な空間になっていたので、何とか有効に使いたいので

考案したワゴンで、左右の公団作り付けの家具にあわせて作った。中には棚板も

ついていて結構いろいろ収納できた。

てんぷらや炒め物をするときなど材料を並べておいたりすることが出来、また、

ワゴンの動きが、あまり良すぎると、上の物が落ちてしまう危険性があると思い、

奥側にだけキャスターを取り付けてみた。ワゴンを出し入れする時にはとってを

持って少し持ち上げる。ちょっと、ぶつかってもワゴンがあまり動かないので安全

であるし、ワゴンを開く時にはとっての両側にあるボタンを押さなければ扉が開か

ないようにしたので、ワゴンを出し入れしやすくできた。

シンクの上の方の棚は団地についていた物だが、私がペンキで塗って色を合わせた。

その右の食器棚は一番下の扉を開くとフックが右にも左にもついているので、料理用の

器具をぶら下げる事が出来たし、更に扉裏には篭3個を取り付けてあるので、収納力

がアップした。

 その上には板がスライドして出るようにしたので、配膳の時にも役立ち食器を出し

入れする時にも便利であった。

その上の引き出しには中にトレーを入れて「左右にトレーは動く)細かい物を小分け

して入れられるようになっていて、その下には布巾やお絞りなども入れられた。

その上の棚を造るときには一般的の食器棚は当時、棚板が真ん中で別れていて、右に

入らない大きい物は左にも入らない事があったりで不便だと思っていたので、どこで

区切るかを充分考えて仕切りをつくったし、棚板を載せるダボをたくさん取り付けたの

で、入れやすく、たくさん入るようになった。

   (つづく)

家具と私(31)

2010-12-12 13:16:37 | 家具
家事机でたくさんの忘れられない方々がある。

中部地方のあるお若い方から再度ご連絡をいただいた。

いろいろと器用な方でご自分でお子さんの物など手作りされていて、

私の家具があったら、どんなに便利だろうと言って、再度お手紙下さったり

電話でお話していたのだが、ご主人さまはお近くのスーパーマーケットの

店長さんでとっても、こんな金額は出せないと思うので、残念だけれども

どうしても、夫に言い出せないので、我慢しますということになって、

こういう方にこそ家事机を使っていただきたいと思いながら、私もどうしよう

もなくて、思い悩んでいたら、或る日お電話をいただいた。

 買ってもらうつもりでなくて、ご主人様に一応話したところ、
 
 ”そういう時にこそ、お金を払うべきだ。”とご主人様が仰って、ローン

で買って下さるということになったというお話しで、いいご主人様だと思い、

また、いつもいい奥様だからこそ、ご主人様がそういってくださったの

だろうと思ったら、急に涙がこみ上げてきた思い出がある。

 
 ある金曜日の事、藤沢のさいか屋さんの家具売り場へ始めて出させていた

時の事、新聞の記事からおいでくださった多分40代ぐらいの奥様が、とても

念入りに家事机を見ておられて

 ”明日だんな様を連れてくるわ。”と仰ってお帰りになったのだが、翌日の

土曜日のお昼近くに、お二人で来られて、奥様は家事机の前に直ぐ飛んで

来られたのだが、ご主人様はその上の階の食堂の方へ行かれようとされて、

エスカレーターに乗られてしまって、すでに半分以上も行かれていたのだが、

いくらだんな様が ”食事の後でいいだろう”と仰っても、奥様は、まるで、

駄々っ子のように家事机にしがみついて少しも動こうとされなかったので、

ご主人様は呆れ顔で

 ”そんなに欲しいのか、後で必ず買ってやると言うのに”と苦笑されながら

戻ってこられて買ってくださったのである。

私は考案者としてこんな嬉しい事はないと思って涙が出た。

本当にいろいろな方が喜んでお使いくださったことは、今持って、感謝感謝である。


家具と私(30)

2010-12-07 11:17:07 | 家具
 下駄箱を考えながら、今度はなるべく近くて量産できそうな工場で試作品を

作ってもらいたいと思っていた。

 電話帳で調べた横濱のある工場へ試しに手紙を出してみたら、部長さんから

何時でもお出でくださいとお返事をいただいたので、出かけてみたが、多分

40代ぐらいの菜っ葉服を着た浅黒く背の高い痩せぎすな人が出てこられて、

事務所で少しお話しを聞いていただいた後、では工場を御覧になりますかと

言われて、ついて行った。

事務所を出た直ぐ裏の工場の建物の手前に高さ1メートル以上もあるかと思われた

ベルトコンベヤーというのだろうか、出来た製品を載せて運ぶための物かと思うの

だが、直径10センチぐらいで奥行き45センチぐらいの円筒形のものがつながって

右から左へゆっくりと移動していたのだが、案内してくれていた部長さんは、その

上にひょいと乗ってさっさと奥へ行ってしまわれた。

背の低い私は仰天したが、何とかしてその上に乗っていかなければと思って、

手荷物をまづ上に載せて、さて、どうやったら登れるかと思いながら辺りを見回し

たが、何一つ踏み台になりそうな物がなかったので、戸惑っていたら、見かねた

50代ぐらいの工員さんが近づいてきて、手を貸して下さったので、苦労しながら

も、どうやら上に登り、荷物を追いかけて取り、部長さんの後を追って行く事

が出来た。

工場の中の机の上で家具の側面図のダボはこうして描くとのだと説明された記憶は

あるが、あまり製品を見せられた記憶がない。何を言われたいのだろうかと思いな

がら、あたりをそれとなく観察していたのだが、あまり高級品を作っているわけで

はなさそうであった。 マア、団地の下駄箱だから、あまり高級すぎても困ると

思ったので、それでは、一応お見積もりを出してくださいとお願いして帰ってきた

のだが、なかなかご連絡がなかった。時々電話をしてみたりしていたが、ヤット

お見積もりを電話でご連絡をいただいたので、それでは、書類にして送ってくれと

言ってみたのだが、忙しいから、電話でいいだろうといわれてなんとなく厭な気が

したのだが、それではと、私が相手の言葉を復唱して録音しておいた。

最低2台からといわれたので、どうしようかと思ったが、お隣の奥さんが、出来た

ら欲しいといっておられたので、原価で買ってもらう事にして、他の人にはお値段

を言わないでねとお願いして、2台注文した。

 十日ほどして出来上がった代金を振り込めというので、請求書を見たら、とんで

もない高額を要求されていた。

 びっくりしてすぐ部長さんに電話を入れたら、

 ”この間のは量産の時のお値段です。はじめに作るのは、図面代や色々経費が

  含まれているのは当然だ。”とのお返事。

 そういうことが有り得ると思って色々ご質問をしていたのにと、口惜しく思った

 が、もうどうしようもなく、言われるままにお払いしてしまった。 

 お隣には、高くいただく訳にもいかず、そのままはじめにお願いしたお値段で

 買っていただいた。

  それから工場の休みの日に横浜で会いたいとのご連絡があり、どう

 いうことなのかと思いながら指定された喫茶店に行ってみたが、彼はコーヒーを

 前に口を開かない。私から何かお願いするかと思っていたのだろうかといぶかっ

 たが、私は彼のお人柄には疑問を感じていたので、それ以上何かをお願いする

 つもりはさらさらなかった。お互いに黙ったまま1時間以上もいたが・・・。

 それきりで、以後お目にかかったことはない。

(つづく)

家具と私(29)

2010-12-05 11:26:48 | 家具


 次に団地の方々が何に困っているのだろうかと考えたら、下駄箱ではないか

と思えた。

実際、私の家でも困っていた。団地に入った時についていた下駄箱は高さ

70センチ奥行き38センチ、間口85センチぐらいの大きさで、引き戸

を開けると棚板が二枚、申し訳程度についているだけの物で、三段なので、

下に箱を入れて上に靴を載せてもいくらも入らなかった。

夫のゴルフ道具の入れ場や灯油の置き場にも困っていたし、息子たちの

野球のバットも、夫の釣竿も邪魔になっていたのである。

そこで、間口いっぱいに作る事と天井までの空間を目いっぱい利用しよう

と考えたのである。

運び入れやすいように4部分に分けて作った。

材質は表面材にポリエステル化粧版を使い、色は玄関がとても狭いので

少しでも明るい感じにしたくてアイボリーを選んだ。

サイズは ①  間口 450  高さ 490   奥行き  380

     ②  間口 630  高さ 490   奥行き  380

     ③  間口 450  高さ 1,760 奥行き  380

     ④  間口 630  高さ 1,760 奥行き  380

     総丈  2,250にした。


 奥行きは400は欲しかったが、どうしても380しかとれなかった。

 天井の高さは、いっぱいなので、取り付けて倒れる心配がない。

  ①の下、つまり底は③とつながるように穴が開けられるが、「蓋がある

 ので、そのまま蓋の板を載せておけば靴が入る)釣竿だとか

 ビーチ パラソルが入るように長い物も入れられるように作った。

 写真では傘を斜めに入れて貫通している處を見せたつもり。

 ①には靴だけなら8箱入る。


 ②には12箱。

 ③に棚板を入れることが出来るが、8段になるので、約20足入るので、

 ④にも20足入るので全部靴を入れるとすると約60足入る。

 ④の上部はオープンスペースでお花などを飾ることも出来る。その左側には

 フックがついていて靴べらを掛ける事が出来る。右はライトのスイッチ。

 その下は引き出しがあり、中には、印鑑、ハンカチ、テイッシュペーパ-

 ボールペンや折り畳み傘数本が入る。

 引き出しの下から、スライド板が出せるので、そこで、回覧板にお名前を

 入れるなどのちょっとした書き物や領収書に印を押す事などが出来るし、

 お金を払う時に並べて確認できるし、店屋物をとった時にも載せられる。

 「熱に強いメラミン仕上」

 その下側の開き戸を開けると扉裏左に折り畳み傘など掛けられるフックが

 4個と下には篭がついていて、靴拭きの道具が入れられる、右側の下には

 タオル掛けがついているので、雨にぬれた時に使えるし、その下には

 スリッパが立てて入れられる篭つき。この中側の一番下の段だけは靴先を

 手前にして入れると、篭の下に入るので、無駄無く空間が使える仕掛け。

 その奥の靴の棚は、棚板のダボが多くついているので、好きなところに棚板

 を移動できるし、棚板ごとスライドさせられるので、靴の出し入れに必要な

 持ち手の大きさ分の空間が節約できるので、棚板の上に空きがなくても靴が

 容易に出し入れできる仕組み。

 ③の扉裏にはフックがたくさんついているが、これは必要なければ倒せるもので

 邪魔にはならない、此処にはゴルフシューズが一個づつ袋に入れて掛けてあるし、

 野球帽なども掛けられる。

 その下側に傘たてが一個ついていて、野球のバットも入れられるし、灯油のパイプ

 も入る。

 中の下には灯油缶1個入り、その上には固定の棚板がついているので、長い間に

 ゆがみにくくなっているし、その上にゴルフ道具でも釣り道具でも何でも入れられる。


 扉を閉めると扉の表には等身大の鏡つき。

 (つづく)
 

 



 
 


家具と私28)

2010-11-28 15:51:00 | 家具
 それから暫くして、あるマスコミ関係の方から電話が入った。

西友の薬缶に関するアイデアに応募された女優さんが、懸賞金の30万円は

いただいたけれど、その後、おやかんが売れてもお金を払ってもらえないので、

もし、家具を考えた方が、契約金をもらえていなかったら、記事にしてくれと

言われているので、あなたはちゃんとアイデア料を貰っておられますかとの事

であった。

 アイデア料というものは一時金と、売れた後、一個いくらでいただく物と

あるが、その方はもうすでに一時金で30万円いただかれているので、もう

いただけないはずであると申し上げた。

 私は直ぐに、アイデア料の支払われなかった伊勢原のメーカーに電話を入れて、

今こういう電話が入ったと告げたら、すぐ、10万円が振り込まれた。

 その後蛇の目ミシンへ手紙を出したら、契約をしたいので、お出かけくだ

さいとの返事が来たので、立川のその会社まで出かけて行ったが、毎日

アイデアに関して、約300通の手紙がきているのだが、こんなすばらしい

アイデアは、初めてだと仰って、契約したいと言う事になったのだが、素人

のアイデイアが製品になったら、大勢居る開発関係のデザイナーの立場が

なくなるから、品物は作れないと言う事で、ただ、何かの時のために自分たち

も一口かんで置こうといったものであって、60万円いただいたが、その代わ

りに高級ミシンを買わされてしまった。

(つづく)

家具と私(27)

2010-11-26 01:51:43 | 家具
 3月16日からKデパートに出かけて、私自身が家具の説明をさせて

もらうことにして、それを報告がてら、実家へ息子たちと一緒に行った。

私が母の面倒を見に当分実家へ行かれないので、春休みの間息子たちに

母の世話を手伝って貰う事にしたのだが、父と母はデパートに出展できる

ようになった事をとても喜んでくれた。

この時、母が、”千恵子、良かったね。”と言ってくれたが

母は三日後に亡くなって、最後の言葉になってしまった。

私はお葬式以外はデパートにつめて家具の説明を一生懸命にしたのだが、

店長さん以下かわりがわりに来てくれてエール贈ってくれて、お客さんは

私の説明を聞いて、とても喜んでくれたので、毎日張り合いがあったが、

家事机の上で使えるポータブルミシンをつけて、19万8千円と言う

お値段も割りと高かったためか、主人と相談して買うと言う話しばかりで、

少しもご注文がないまま十日あまりが過ぎてしまった。

ところが最後の日には20本、展示会が終ってからもご注文が25台来た

そうで、デパートの方々は大喜びであった。

大体家具というものがあまり売れない物であると言うことを知ったのは、

その後で、何倍も売ると豪語されていたデパートの方達が、土・日で1本売れ

たらいいけどなあと言ったのを耳にしたときであった。

そんなに売れない物なのかとびっくりしたのだが、取り掛かってしまったもの

で、続けてやるしかなかったのである。「笑い)

その後、4月10日から2週間展示会をしたデパートの方は86本売り上げた

ので、売り場の女性たちにはこれは売れる家具だからもっと入れてくださいと

言われたのだが、商売敵のデパートに出し抜かれてしまったと言う理由で、店

の改装を機におろされてしまった。

係長さんにはとても優しくしてもらえたので助かったが、次長さんにはヘンな

いじめを受けた。

昼休みの食事の時にお前たち、今日は俺がおごってやると言って私の隣から一人

づつデザートの注文を聞き、私の前で終るというのであった。

ご自分の対応が遅れたのに、私のせいにしておられたのは笑止千万と、私は平気

な顔をしていたのだが、心のうちでは面白くなかった。


 そんな風で、家具としては抜群の売れ行きだったようだが、その売り上げの3%を


(工場出し価格で)いただく事になっていたのだが、kデパートの方へ家具を入れ

ていた伊勢原の工場からは契約金は支払われなかったのである。

その前には、夫がたまたま一緒に工場へ行ったときに社長に、自分の娘の結婚の世話

をしてくれと土下座をして頼まれた。

夫が弟に頼み、会社の人を紹介したが、その時には御礼は仕事で返しますと言って

いたにもかかわらず、娘さんは幸せになったのに、ちゃんと契約していたお金は

1銭も支払われなかったのである。

86台売り上げた方のお金はちゃんと支払われたが、工場出し価格なのでいくらも

振り込まれなかったので、毎日通った足代の方が高くついてしまったくらいであった。


(つづく)

家具と私(26)

2010-11-25 19:23:42 | 家具
その後主婦の友昭和52年9月号の付録に取り上げられたり、The Key 新聞

に取り上げてもらったりしていたのだが、頼まれてやっていた家庭教師の仕事

をヤットやめて家具に取り掛かれたのが昭和54年のはじめであった。 

デパートなど5社に手紙を書いたら、直ぐ、新宿のデパートから電話が来た。

新しく家具の課長さんになられたばかりの方から電話をいただいて、とても

いい物だと思うので、是非工場へ見に行きたいと言ってくださった。

2、3日して、課長代理の方とお二人で伊勢原の工場へ見に来てくださった。

売り出す方向で考えていきますので、他のデパートには内緒にしていてくださ

いと言われたのである。

日ならずして、新宿のほかのデパートから電話をいただいたが、うちの専属

工場でやらせようとお話ししておられたのだが、こちらでも、他には黙って

いてくれと仰ったのである。

最初のデパートでは、どんどん事が進んでいって54年の3月16日から

2週間の家具の催しに出していただけることになって56万部のチラシが

刷り上ってきた。

もうこの時点では黙っているわけにもいかないと思って、後発のデパートに

他のデパートでやることが決まったと話したのである。

そのデパートでは何の進展もしていなかったのだが、この話に驚いて、

 “其処のデパートの話しはなしにしてくれ。 ”と言われたのである。

それでも、

 ”御社は何もしておられないのだから、それならお断りさせていただき

 ます。”と言ったら、

 ”あんたは馬鹿か。うちの方が何倍も売れる。考えて見なさい。”

 といわれたのだが、チラシまで作ってしまわれたデパートを棒に振ったら

 新任の課長さんは首になってしまわれるかもしれないと思ったので、私は

 ”大変申し訳ないけれど、如何しても他社は駄目と仰るなら、御社をお断り

 させていただきます。”と言った。

 ”いや。いや。それならうちもやるよ。”と言うことで4月の10日から

 急遽売り出すことになった。

(つづく)