goo blog サービス終了のお知らせ 

80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

こどもを叱る

2009-06-18 07:18:51 | 教育
 この間のことです。地下鉄を降りて、エスカレーターに乗りましたら、頭の上で、大きな怒鳴り声がしました。
 それに呼応して、子供さんの泣き喚く声が聞こえたのです。要するに、子供さんが早く降りてこない。ぐずぐずしているということなのですが、大勢の前で、子供さんの全人格を否定するような言葉さえ使っていました。そこまで否定してはいけないと思って、私が何か言おうとしたら、30台ぐらいの女の方が、すでに抗議してくれていましたので、私は何も言いませんでしたが、よくあれだけ大きな声が出せるなあと思うほど本当に大きな声でした。

 やせぎすな背の高い人でしたが、どんなにおしゃれをしていても、多分誰もすてきな人とは思わなかったでしょう。

 私は幼稚園の先生でしたが、 こどもを叱るというのはとても難しいことだと思っていました。同じ様に叱られても、子供さんによって受け取り方が違います。

 例えば、おうちで、一度もも叱られたことのないお子さんと、何時も大声で怒鳴られているお子さんとでは同じことを言ってもショックが全然違います。叱られたことのないお子さんは、びっくりしてしまうでしょうし、ショックも大きく、どうしようかと考えるでしょう。普段がみがみ言われているお子さんは、びくともしないでしょうし、効き目も少ないと思われます。

 だから、叱り方は相手を見て叱らないといけないと言うこともあります。でも其れが、あまり違いすぎると不公平感を子供にもたせてしまうでしょう。此処が本当に難しいのです。

 まあ、叱るより諭す方がいいのでしょうが、それもなかなかできません。

 でも、ちょっと視点を変えたら、いいこともあります。

 幼稚園で音楽会があると言うので、木琴の練習をしていたときのことでした。
もう終ろうとした時に、あるお嬢ちゃんがお漏らしをしてしまったのです。

 練習に入る前にこども達にトイレに行かせたのですが、その時には行きたくなかったのでしょう。
 
 何とかこのお子さんを傷つけないようにと思ったのですが、とっさに私の口から出たのは

 ”ねえ、みんなで○○ちゃんに拍手を贈って上げようよ。だって、本当に一生懸命に木琴をやっていたから、お漏らしをしてしまったのよ。なんでも一生懸命にやるってことが大事なの。○○ちゃん えらかったわね。”という言葉で、みんなで拍手して上げたのです。

 ちょっと(?)自慢させてもらうと、その後、彼女は幼稚園の先生になると言って、すべての面で、私をはるかに超える立派な先生になってくれました。

 でも、これは一所懸命やっていない子供さんには通用しませんからお気をつけください。

 やはり木琴の練習をしていた時のことです。みんながどんな風にしてやっているのかと気をつけて見ていましたが、どうしても、一人の坊ちゃんがどんな風だったか彼の居た場所が死角になっていって分かりませんでした。
 
 其れでも一人一人良く頑張ったねといいながら頭を撫ででいきました。ところが、そのお子さんがどうだったのか分かりませんでしたので、ふと迷いましたが、何時も一生懸命やって居られるお子さんのことでしたので、まず間違いないと思って頭を撫でてしまいました。

 そのとたんに
 
 ”先生、うそついた。僕頑張っていなかった。”と、言われてしまいました。

 私は慌てて謝りましたけど、子供さんはなかなか手きびしいものです。


絵本袋

2009-04-15 17:36:15 | 教育
約40年も前のことである。
私は幼稚園の先生として、4歳児を受け持っていた。
6月の長雨の続いた後の、気持ちよく晴れあがった朝のことであった。
園児たちは、エプロンをつける時間も惜しいような感じでお庭に飛び出していって、お砂遊びに夢中になっていた。
 ところが、一人だけ椅子に坐って外に出ようとしないお子さんがいたのである。私は不思議に思って近づいて行き声を掛けた。
”ねえ、お外へ出て、みんなと一緒にお砂遊びをしましょうよ。”
”僕、行かなーい。” 良く見ると、彼はひざの上に絵本袋を載せて、いかにも大事そうにそれを撫でていたのである。
"夕べ、お母さんが寝ないで、僕のためにこれを作ってくれたんだって”
”あら、よかったわね。可愛い刺繍がついているじゃない。お母さんにありがとうって言えたの?”といいながら、私は胸がいっぱいになって両手で彼を抱きしめたのである。
 幼稚園の方から、絵本袋を手作りしていただくようにお母さん方にお願いをしていたのであるが、彼のお母さんはご商売をして居られたので、中々暇ができなかったのだろう。他のお子さんたちが、絵本袋を持ってきて、可愛い刺繍やアップリケを自慢げにみせあったりしていたので、私はとても気になっていた。

 "お母さんありがとう。彼はとっても喜んでいますよ。ご苦労様”と、私は心のなかで叫んだのである。
 もしかしたら、親子の情ってこんなことから育つのではなかろうか?