どこにでもあるような、普通の、ありきたりの雑草が
実はとんでもなく光を放っているものだ。
それは雑草などという失礼な固有名詞などで片づけられる問題ではない。
断じてない。
たとえば、幼いころの夏休み
ラジオ体操に行く小道に咲いていたツユクサ
朝露にお日さまが映ってキラリ
「素晴らしい・・・・。」と、しばし見とれて、感動したものである。
小学校の理科の実験で、赤い水溶液に浸したりしたツユクサ
もう、時効ではあるが、大変申し訳ないことをした。
たかが雑草だと軽んじていた訳でもないだろうが、
当の本人にしたら、迷惑千万なことであったろう。
朝咲いたかと思うと、夕方には萎んでしまうことから
英語ではDay flowerというんだそうだ。
侘び寂びの日本語の世界では、万葉集の古来から、「儚いもの」の代名詞に謳われた。
老境に差し掛かり、雑草と呼ばれるカテゴリーの草花に俄然興味が湧いてきた。
それは今まで気付かなかった、小さな存在に対するお詫びの意味もあるのだろうか。
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