風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

何をしたかではなく、何を遺したかだ

2013年06月28日 19時42分40秒 | 風竿の音楽夜話

Cncert for GeorgeのDVDは私の大切なライブラリーである。

2003年にロンドンのロイヤル・アルバートホールで開催されたこの追悼コンサートは

親友Eric Claptonの呼びかけでGeorge harrisonの親交のあった多くのミュージシャンが集まった。

あのインド音楽の大御所ラビ・シャンカールも自分の楽団を引き連れて参加

Georgeが愛してやまなかった楽器シタールが奏でられると、会場の高い場所にGeorgeは降臨した。

冒頭Eric Claptonの挨拶に続いて、追悼のスピーチを述べたラビも、今は亡き人となってしまった。

やがて、Eric Claptonもこの世からいなくなるであろう。

このブログを書いている私も、

そしてこのブログを読んで下さっているあなたも、いつかは・・・・

残念ながら、灰になって朽ち果てるのだ。

生命というものはそういう宿命を背負って生かされている。

このコンサートを観ていつも思わされるのは・・・

人間は何年生きたかより、どう生きたのか

何をしたかより、何を遺したかであるということ。

     

遺徳という言葉があるが・・・、

2002年に亡くなってからも、多くの人々の心の中に生き続けているGeorge Harrisonのあの控えめな笑顔と、深みのある優れた音楽の数々。

1980年にこの世を去ったJohn Lennonもまた同じであるが、私たちの心の中に今もなお鮮明に生き続けているのである。

人の一生は、星のまたたきの間にも満たないほどに、儚いものではあるけれど、

だからこそ、その短い生涯をかけて、何を遺したかであるのだと思う。

   

イギリス人だったGeorgeがインド音楽に傾注したその縁が、こうして彼の追悼コンサートへと繋がっていることを思う時

遺すべきものは、「人のご縁」であることはいうまでもないことであろう。

 

さて私は、一体どれだけの素晴らしいご縁を遺せるのだろうか。

もう人生も終盤だというのに・・・・。