セピア色の写真の中には昔の記憶がそのまま詰まっている。
表紙の写真は50年以上も前のもの。
そして次の写真は私が中学に入学した時の一枚。
当時大学生だった兄は現在仕事をリタイア、引き続き良いポストをとの、「三顧の礼」を丁重にお断りして、ゆっくりと好きなゴルフを愉しみながら、ゆったりとした余生をと思いきや、壮絶な介護と自身の体の変調に苛まれている。できることなら代わってあげたいくらいだ。
そして次姉の洋子は一族の中でも美人の誉れ高かったが、久しぶりに会った彼女は快活さはそのままに、体系はすっかりおばさんに・・・
還暦もとうにすぎたのだから仕方が無いか・・・・・。
長姉の雅子が旅立って三年の月日が経とうとしている。
死の直前に見舞った時には、「大丈夫だから頑張れ」という私に、今から「もっと仲良くしようね」と何回も何回も繰り返し言った。
末期ガンだったので、僕は涙を堪えるのがやっとだった。短く「ウン、ウン」と頷くばかりのお見舞いが最後の別れであったのだ。
隣同士で育った最も近い6人の従兄弟、今にしてよくよく考えると本当の兄弟だったのである。
多良のお寺で姉の三回忌を済ませると、そのまま肥前鹿島駅から「白いかもめ」に飛び乗って佐賀市へ
久しぶりに鹿島から列車に乗った・・・・。何十年ぶりだろうか。
洒落た列車内のインテリアとスマートな車体・・・・
鹿島の人々が長崎本線存続を訴えた、この列車に対する愛着がよく判るような気がした。
哀しい供養から一転して職員の結婚式
頭の中もお祝いモードに切り替えねばならない。
おめでとう、前途に幸多かれ 良かったね美紀ちゃん。
一杯、しあわせにおなりなさい。
11月にはママになるという。いいお母さんになることでしょう。
光のシャワーを浴びて、ただでさえ眩しい花嫁は天使の如く輝いておりましたよ。
職員の幸せはそのまま田舎信用金庫の幸せ、よろこびなんであります。哀しみも、またそう。庶民の一番近いところに居る金融機関ならばこそ、職員と共に分かち合い、泣き笑いするのが私たちの職場なんであります。
夜は結婚式の酒で勢い余った山崎流ゴルフ家元ヒロちゃんのお供で、またしても武雄川端界隈を痛飲行脚の奈良漬状態
哀しみと慶びが同居した喜怒哀楽の一日でありました。