柴山昌樹君がいよいよ還暦を迎えた。
あのあじか磯釣りセンターの社長にして、潮風のスパリゾートサムソンホテルの社長という男
韓国企業のサムソンとは一切なんの関係もないのだが、よくあのホテルは韓国企業なのですよね・・・・。
と聞かれることが多いのだが、いやいや彼の所有する男女群島行きの高速瀬渡し船の名前から付けただけの話なんである。
昭和60年頃からの付き合いだから、もうかれこれ30年近くにもなるのだろうか・・・・。
武雄サンデー倶楽部との交流から、武雄市のセンチュリーホテルで祝賀会が行われることになったのだ。
私は、実はこのイベントの言い出しっぺなのだ。
実行委員会にはあまり参加できなかったのだけれど、発起人の一人に加えられていた。
吉原会長の下、ありがたいことに<みんながよく準備をしてくれていた。
かって私が釣春秋に書きまくった、家元ヒロちゃん、アンパンマン水口さん、ウツボ杉光兄貴、ヤッタル藤岡ちゃん、
境短竿、黒岩藤竿、コンビ二のり坊、教祖小田、アヒル中島、娯楽石鯛クラブの面々など、地元勢が集結していた。
そして、遠くからも懐かしい顔ぶれがひしめきあっていた。
釣春秋の川藤社長は勿論、川辺会長、河野編集長、今は九州磯釣連盟の会長となられた牛島さん、熊本の田中長久さん、伊万里の川原会長、木須釣具さん、もう数え切れない方々が、
「おい風竿、どげんしよったとや・・・・。最近会わんねぇ。」
なんである。
男女群島や五島列島の名磯の名前がつけられたテーブルに集う160名の釣り人の熱気で異様な雰囲気の中
僕達のバンドはいつものようにビートルズナンバーを演奏して高らかに唄ったのだ。
演歌がお似合いの釣り人の世界だと思ったが、それがあにはからん哉、大うけしてしまったのであった。
司会はこれまたRKBのフィッシュアイのリポーターを長くやっていた、あの元気印の永田裕美子なんである。
彼女も縁あって今は武雄市で大活躍している。
そんな懐かしい顔ぶれに囲まれて我が親友柴山昌樹は満面の笑顔であった。
「あじかのまさき」も初老を迎えて顔つきが穏やかになってきたという人もいるが、長い間、板子一枚下は地獄の世界で生きてきた海の男が還暦くらいでおとなしくなるはずは無いんである。
僕らは最後に「抱きしめたい」を熱唱したのであった。
会場ではみなちゃんことアンパンマン水口氏も
素晴らしいたくさんの仲間に囲まれて「あじかのまさき」も満足の夜だったに違いない。
それはまさに、そのまま彼の人生の縮図でもあった。
昌樹ちゃん還暦おめでとう。
これからも老け込まずにお互いに頑張りましょう。
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