風竿の「人生の達人」烈伝

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ある平戸のおばあさまのこと

2015年06月28日 01時41分12秒 | 風竿の釣り師烈伝

その昔、と云っても二十年までもならないのだが、

私は多少有名な釣り人であった。

狂ったように、月に3度は磯に立っていた。

主戦場は平戸宮の浦、五島列島、果ては男女群島から鹿児島県甑島、大分県の鶴見までも遠征したものだ。

言いようも無い孤独感に苛まれ、磯に逃避行していたのかも知れない。

ターゲットは真鯛・クロ・石鯛・そしてアラ

それなりの大物も仕留めたし、石鯛に至っては軽く300は釣ったであろう。

宮の浦は丸銀釣りセンター、船長の茂ちゃんとは顔馴染みを通り越して友人として今もお付き合いを頂いている。

五島はあじか磯釣りセンター。社長の昌樹ちゃんとは親友付き合いをして頂いている。

昨日、この二人のお母様が亡くなられた。

大正8年のお生まれというから、おん歳95歳の大往生である。

このお母さんは、とても良く出来たお方であった。

釣りに行くと良く声をかけて頂いたものだ。

とても心配性の一面を持っておられたが、普段は腹の据わったまっすぐのお方であった。

お母様から長い手紙を2回ほど貰ったことがある。

内容は個人情報だから遠慮するが、とても神経の細やかな素晴らしい手紙であった。

長男の茂樹、三男の昌樹のことを宜しく頼むとの文面であったが、それだけ私のような者を信頼して頂いていたことが、当時とても嬉しかった。

明日はお葬式に平戸まで行くつもりだ。

津吉の斎場だというから、まだ平戸大橋が架けられる前、フェリーで宮の浦まで初めて行った港のある所である。

そしてドングリウキのような頭をした瀬渡しの親父さんが、旦那さんの銀太郎さんであった。

今頃、早逝されたそのご主人と久しぶりに再会を果たしておられることであろう。

ご冥福をお祈りするばかりである。

 

                      尾形風竿 拝    合掌

 

 

 


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