風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

枯れきった川をわたる

2014年07月20日 05時02分44秒 | 風竿の釣り師烈伝

種田山頭火の自由律による俳句に

「枯れきった川をわたる」

という句がある

短いことばではあるが、何とも味わいのある句である。

最近になってこの句の良さが判るようになってきた。

 

人間は中々枯れることが出来ないものであるが、自然の営みの中では、水がたち枯れた、乾ききった川があり、近道でもあるのだろうか、

その川を漂泊の俳人といわれた山頭火がトボトと歩くのである。

わたりながら、その枯れた川と枯れきれぬ自分とを対比しながら、歩いているのであろう。

それは、この岸からあの世へと続く、彼の岸までと続く三途の川なのかも知れない。

 

最近は世俗を離れ、得度出家しようとは思わなくなったが、その昔は禅の世界に憧れ、日曜日の朝は必ず武雄の廣福護国禅寺に参禅したものである。

変わり者といわれていた峰松大雲老師は、いつも日曜参禅会に訪れる若者をとても大切にして下さったものだった。

臨済宗のお寺でありながら、曹洞宗の開祖道元禅師の「正法眼蔵」の輪読書会などもやっていた。

やや、私たちには難解な仏教聖典ではあったが、擦り切れた作務衣に身を包み結跏趺坐での参禅のあとの読書会は、とても素晴らしいものであった。

2年間凛として毎週欠かさずに通ったものであったが、その頃はいつ得度を受けようかと真剣に考えていた時期でもあった。

それだけ私の「業」というものの深さに手こづっていたのかも知れない。

 

磯釣りを始めた頃から次第にお寺に通わなくなった。

大雲和尚から

「尾形は最近来ぬが、何をしておるのか・・・。」

という詰問を受けてはいたのだが、白波砕け散る海の素晴らしさに魅入られた私は二度と参禅会には戻らなかった。

磯釣りに没頭して20年余り、風竿という釣号まで与えられるほどに、五島列島から男女群島まであらゆる磯に立ち尽くしたものであるが、

それもやがて仕事の忙しさにつれて、数年に一度しか行かないようになっていた。

かって、釣り番組の準レギュラーまで務め、月刊誌のエッセイを連載執筆していた磯釣り師尾形風竿は世間から忘れ去られた。

少し時間に余裕の出来た昨今、悪友の誘いを受け、その途絶えていた海に出かける。

今日、五島に石鯛を追って出かけるんである。

 

枯れきった川を渡れるようになるには、まだまだしばらくはかかるようである。

 

 

 

 


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1 コメント

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よかよか・・・ (さがのひと)
2014-07-20 06:09:05
父の口癖です、
関東人の標準語を喋る父の唯一の佐賀弁
それが、「よかよか」 「よか~よか」
        時に「よかたい」が付け加わります。
心温かく、優しく心に響きます。

風竿さんにも、この言葉を送ります。
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