風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

LABOONを聴いて・・・・

2012年12月11日 23時27分00秒 | 風竿日記

最近よく思うこと・・・・・

一昔前に滅多に音楽ライブなど殆どない武雄を、音楽の溢れる街にしようと、いろんな仕掛けを地中に埋め込んでいたのだが、それがやっと芽を出し始めたように思えてならない。

ごく自然に、街角で気軽にライブ音楽に触れる機会のなんと増えたことか・・・・・。

相変わらず小さな街であることと、音楽的な嗜好性の多様化からか、中々観客動員には結びつかず、企画した時など胃痛を味わうこととなり、みんな苦労している。

我々の多感な時代は、音楽と言えば何でも喰いついたものであった。

それだけ街に音が乏しかったというのもあるが、若い吸収力というか、ハングリーだったというか、音に飢えていたんである。

西洋文化とまでは大げさには云わないまでも、とにかくラジオから聞こえてくる、甘いアメリカンポップスのしらべにうっとりしたものである。

                           

音楽は、その地域の文化的なレベルを図る十分な目安になると思うのだが、

いろんな音楽を肌で、目の前で、日常的に生活習慣として愉しむという暮らしは、まだまだ欧米諸国に比較すると日本は劣っていると思えてならない。

たとえば海外のリゾートに行けば、レストランやバーにはいつも生演奏がセットされていて、皆さんで、ごく自然に食事をしながらライブに耳を傾けている。

ところが日本はどうだ・・・・。

ピアノに自動演奏させて喜んでいるくらいなのだ。

情緒よりもコストが日本人の意識。

すぐお金に換算しようとする。

儲かるか、儲からないのかが価値判断のスタンダードなんである。

そりゃー赤字ではやってけないのは判るけれど、音楽という文化は元来お金に換算すべきものではないんである。

その意味で、とりわけ若いミュージシャンが、わざわざ東京から、この田舎町たる武雄に、しかも、わずか1000円の入場チケットで演奏をしてくれるのだから、

これは行かない手はないとばかりに、「LABOON」というバンドのライブに出かけたのであった。

少しでも音楽を愛しているのなら、この小さな街だからこそ協力しなければと思ったからである。

うちのバンドのドラムスコ山下勇希と、LABOONのドラム・ヴォーカルが大学の同級生ということで、おつきあいをしたのもあるが・・・・。

しかし、これが・・・・・目茶苦茶良かった。

        


トランペットとトロンボーンのホーンセクションが二枚看板という5人編成のバンドで

「とても新しいのだけど、どこか懐かしいサウンド」

というのが彼らを評するに、云い得て妙ではなかろうか・・・。

いわゆるジャズではないが、R&Bらしくもあるし、Funkyでもあるし、かといって泥くささはないし・・・・。なによりポップで若者らしい。

なんとも不思議な気持ちにさせられる。オリジナリティもあるし曲つくりのセンスも中々いい・・・。

R&Bっぽいアレンジが多かったので、オリジナル・ラブやSing Like Talkingの佐藤竹善あたりが好きなのかとも思ったが、それは彼らに対して失礼というもの。

要するにだ、基本的に彼らの解釈による演奏なのだろう。

いわゆる「ノリ」は本来のR&Bとは確かに違う。早い曲は前につんのめる位にたたみ掛けるべきだし、8/6のリズムは思い切りアフタービートでためるべきなのだが、それを若い彼らに臨むのは酷というもの。

そもそもの老人病・・・べきであるとか・・・・こうでなくちゃ・・・というのは老化現象の最たるものなんでもある。・・・と自戒

総じてショーマンシップもあり、楽しくいいライブだったのだが、プロならば・・・という点も確かにあったのも事実。それは彼らの可能性と若さに免じて帳消しにしたいが、難点は少しだけで、本当に素晴らしいライブであった。

                   

オフ・ステージの玄関口で、新しいCDを一所懸命販売している彼らに見送られることになった。

まあ、しかし、自費出版でCDも作ったらしく、プロとしてやっていく決意のようだから、それはそれとして応援したいと思う意味から、私も1枚買わせて貰った。

本当のR&Bのノリを教えたい衝動をかろうじて抑えながら、「頑張ってね・・・。」と声をかけて会場INPUTを後にした。

彼らの若いみずみずしい感性に、年寄りが汚れをつけて何になるだろうと思ったのである。