小学生の頃は、今よりとても寒い日々が続いていた。
道は舗装などされてなく、霜柱をサクサクと踏みしめながら、通学したものだ。
当然軒先にはつららが垂れ下がり、悪ガキ共は青鼻を垂れながら通ったものだ。
それでも全然寒かった記憶はない。
教室は低学年だけ石炭式の「ダルマストーブ」が焚いてあった。
ダルマさんが真っ赤になって怒っているように、赤々と燃え盛っていた。
冬の間だけ「弁当ぬくめ」があった。
それぞれのお弁当を大きな蒸し器のような木箱で温めるんである。
煮立った漬物の匂いがプーンと漂うとお弁当の時間。
当時の日本は一般的にとても貧しく、その分今よりずっと心は優しく、そして逞しかったように思える。
オカズの少ないいわゆる日の丸弁当の子供も多かった。
そんな子は決まって弁当箱の蓋を立てて、隠して食べるので、格好の標的にされたものだった。
「ワーイ!空弁当!今日も空弁当!」
囃子立てる悪ガキも、実は日の丸弁当に近い中身であった。
まあ日の丸を象徴する梅干しと、コンブの佃煮にタクアンが3切れくらいのハナシ。
塩クジラが入っていれば充分食は進んだし、ウインナーなんて無かった時代。
卵焼きの入っているお弁当はそれなりに裕福な家庭であった。
豪華なお弁当も、オカズの少ないお弁当も、日の丸弁当も
みな仲良く平等に、全部一緒に温めた「弁当ぬくめ」、
・・・・・・・なんかいいよね。
昭和33年頃のお話なんでありますが、
文字通りほのぼのとした、温かい思い出なんである。