風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

企業戦士必見⇒凄惨!「地獄の宿泊研修」とは?

2009年04月21日 23時54分02秒 | 風竿の信用金庫は頑張るのだ

今年も4月のある日、わが田舎信用金庫では通称「地獄の研修」が行われたんである。今年入ったばかりの新入職員のうち男性だけ5名を含め、若手の渉外担当職員35名程がしごきの対象なんである。   

ヘヘヘッ!信用金庫に入ってしまえば、もうこちらのもの。体罰なんぞしようものなら、血相を変えて学校に怒鳴り込んでくる過保護の親もここにはいないし、教育委員会もない。

あるのは、経済社会において生き抜いていける人材を育て上げるという錦の御旗だけが唯一我々年長者を鬼のコーチ役へと誘っているのだ。

丸一昼夜と半分、睡眠時間もそこそこに知的で本質的な陰湿極まりない凄惨なしごきが始まるんである。

我々教官が準備する「究極のしごき」とは   

何でも自分で考え自分で答えをひねり出せという、セルフモチベーション(自助力)を磨くプログラムなんである。

高額なコンサルタントの大先生を雇うお金もノウハウもないわが田舎信用金庫。

はじめに5人の内部講師による、モノの本質に沿った戦略的な素養を考えさせ、植え付ける座学があり、次に6つの分科会に分かれて、それぞれのテーマに沿った徹底的な議論が展開され、それを「問題ツリー」という我が田舎信用金庫独特の問題解決手法に基づいた論点整理を行い、それを参加者の前で判りやすく理路整然と発表せねばならないのだ。

我々には「戦略方程式」という財産的考え方があって、信用金庫とは・・・・・

 

(本来どうあるべきか)(こうありたい)(現状はこうだ) = だからこうしよう

            お客様に対して

 

この方程式に従って色んな戦略上のテーマを自力で解き明かしていかねばならないのである。この方程式のミソは常に分母はお客様であるということ。決して自分の都合で物を考えてはいけないと厳しく教えこんである。

我が田舎信用金庫では常々、戦略・戦術というからには必ずが存在するのだが、それでは一体我々の敵とは誰なのか」という問いかけから研修会がはじまるのである。

誰が戦略目標なのかがきちんと判っていないと戦略も何もあったものではないから、ごく当たり前のことを、きちんとさせておくことが肝要。

始めた頃は「ハイ!それは同業者です・・・。」とか「敵は自分自身です・・・。」等の的外れの答えが返ってきていたが、最近は全員が敵をきちんと理解してくれているのがうれしい。

敵はお客様の一点だけなのだ。これが判れば戦略は簡単明確

ビジネスの戦争においては敵を殺すわけにはいかなくて、敵のハートを射抜き我が陣営に入っていただく戦いなんである。顧客とはそういうことである。お客様のハートを射抜くことに全力を傾けること、それができれば仕事の8割は成功、商品はあくまでも手段であり、単なる道具なのだ。

同業者は金融という市場をお互いに切磋琢磨して盛り上げ、広げて成熟化させていく仲間であり、同志であり、ライバルなんである。しかしこの単純明快な理論が、インテリジェンスの高い筈の金融界において案外理解されていないのも信じられない事実

目先の問題処理にばかり目を奪われていると、あたかもそれだけで仕事が済んだように錯覚してしまい、いつの間にか本質からは、かけ離れた世界へ移動してしまっていることがこの世の中には多いんである。まさに貧すれば鈍するということが私たちのまわりに、いくらでも行われているのだ。 

目先の問題が、問題ツリーでいう葉っぱ、枝は戦術、幹が戦略、そして一番大切なのが根っこ・・・・・ただし根っこは土の中だから見えないところがミソ。根っこがしっかり大地に根を張ってさえおれば、木は自ずから育つのである。

根っこはつまり・・・信用金庫としての存在意義・コンセプトなんであるのであるのである。エヘン

そんなことを丸一日、寝る間を惜しんで一所懸命に議論するのが、我が田舎信用金庫がここ5年ほど続けている通称「地獄の宿泊研修」

しかし若い諸君は元気一杯明け方でもへっちゃらで、おおいに議論を繰り返し展開するんである。「云いたいことは、前向きなことに限り何でも云ってよろしい。経営者の批判もおおいに結構!」といってあるから、何でも云ってくる。そして教官・オブザーバーは聞き役として、それぞれの部屋を行き来している。

本来誰もが持っている筈の潜在能力を開花させるために自分の力を出させるためには、小うるさい制約事項など取っ払ってやったほうが、お目覚めが早いのだ。

ということで・・実は地獄なのは、我々教官側なのよ・・・・・。

頑張っている若手職員を前に眠るわけにもいかず、さらし首よろしく、何でも聞いてあげてガス抜き役も果たさねばならず、かと言って自分力を発揮させるために、一切余分な手助けはしない取り決めとなっているから、眠い目を擦りながら、老体にムチ打って頑張るしかないんである。 

究極の研修とは自分で学ぶことを教えることなんである。

んな訳で、今年も布団に入ったのは外が白み始める明け方の4時半でありました。 トホホホ・・・・・・。地獄

オブザーバー&教官の皆様お疲れ様でございました。これであと一年休めるね・・・。  でも若い諸君と語り合えるのはやっぱり楽しい。