西教会が見えてきました。
木が邪魔していますが。
西教会のすぐ側にアンネ・フランクの家があります。
西教会の広場には、屋台があり、気になりますが、
お腹一杯なので、見ただけです。
そして、
ひっそりとアンネの像が立っていました。
アンネ・フランクの家に到着
覚悟していましたが、すっごく並んでます!
オンラインで予約した方がいいという情報は持っていたのですが、
予定の目途が立たず、並ぶ覚悟で来ました。
こんなに並んでいます…
でも、この空間(並んでいる所だけかも知れませんが)にはWi-Fiが完備されているのです~
時間つぶしが出来ます。
それに、並んでいる間、日本語のガイドを頂けました。
読みながら、待ちました。
日本語がおかしいですが…
読んでいるだけで、涙が出そうでした。
アンネの両親と姉とアンネ一家は、ヒトラーの反ユダヤ政策の為、
ドイツのフランクフルトからオランダのアムステルダムに脱出してきますが、
その後、オランダも占領されます。
オットーの会社の建物に潜むこととなり、アンネ一家他8人が、裏部屋の隠れ家に約2年間暮らしていました。
その後発見されて、アウシュビッツ強制収容所に送られてしまいます。
その生活が書かれた、『アンネの日記』。
訪れる前に読もうと思っていたけれど、読めなかったなぁ・・・
1時間ぐらいは並んだと思います。
ミュージアムカルトで入場出来ました。
隠れ家を隠す為の動く本棚(本物ではないようですが)、
壁にはアンネと姉のマルゴーの身長が書かれてるのを見ると、
あぁ、本当にここに暮らしていたのだ、と実感。
常に静かに過ごさなければならない8人。
これをサポートした人が4人いたようで、彼らのリスクもかなり大変なものだったのが、分かります。
8人のうち、生き残ったのは、父親のオットー・フランクのみ。
解放後、妻や二人の娘が収容所で亡くなったと知った時を思うと、辛いです。
アンネの日記等は、協力者の一人が保管していたそうです。
戦争後アンネに渡そうと思っていたようですが、オットーに渡すこととなってしまいました。
なぜ、このような生活を強いられたのか、人種差別や戦争のことを深く考えることとなりました。
長い間並んだけれども、行って良かったです。
隠れ家は、いまも
保存されているのですね。
ポスターの前の少女
ちょうど、アンネと
同じ年くらいでは・・
なにを
思うのでしょう。。。。
・・はなこころ
アムステルダムを訪れることになるまで、知りませんでした。
父親のオットーが隠れ家をミュージアムとして残そうと奮闘したそうです。
それが今現在へと残っていて、価値あるミュージアムとなっています。
当時はまだ、混んでもいないし外観もお洒落じゃなかったです。
何年後かに再びアムステルダムを訪れた時に、
同行者がアンネの家に行ったことがないということだったので、
連れて行ったら、お洒落な外観と、すごい行列にビックリしました。
今は、日本語のパンフレットもあるんですね。
しかも、不思議な日本語って、誰が作ったんでしょうね。
表紙の日本語は、変ですが、
内容はとっても充実していました。