陶芸教室/森魚工房・しはんのひとりごと

工房しはんが陶芸を通して、日々にふと感じたり、深く想ったり、ひらめいたり、バカバカしく考えめぐらしたりしてることです。

クジラ3号・つづき

2006-09-30 11:03:42 | Weblog
ド正面からじゃわかりづらいので、セクシーな横顔も。
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クジラ3号

2006-09-30 11:01:12 | Weblog
陶芸教室/森魚工房の門番・クジラ3号です。
今週からこの子がみなさんをお出迎えします。
どうぞよろしく。
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かんげん

2006-09-29 23:24:52 | Weblog
工房では3ヶ月に一度、「還元」焼成という焚き方で作品を焼き上げてます。
普段の焚き方は「酸化」焼成といいます。
土で成形した作品には通常、釉薬というガラスコーティングをほどこすんだけど、その色は釉薬が含有する金属によって決まるのね。
で、「酸化」というのはつまりサビつかせることで、鉄が混ざった釉薬なら赤さび色に、銅が混ざった釉薬ならろくしょうの緑色になるわけ。
だけど「還元」は逆に作品からサビを抜く焼き方なので、鉄系のものは冴えざえと研ぎ抜いた刀のような青に、銅系ならブロンズの赤になるわけ。
赤くなるはずのものが青く、緑になるはずのものが赤に・・・(原理的にはだけど)
おもしろいでしょ?
会員のみなさん、それをふまえてどんどんいろんなチャレンジをしてみてください。
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さんま皿

2006-09-28 20:55:51 | Weblog
長すぎる皿は実にありがたい存在です。
見栄えもするし、何にでも使えます。
でも意外と家庭の食器棚になかったりして。
「そうか、そうだったのか」とひざを打ち、工房HPの陶器販売コーナーにさんま皿をアップしました。↓
http://moriwo-koubou.hp.infoseek.co.jp/hainbai/hanbai.html
これ一枚持ってるだけで、絶対重宝すると思いますよ~。(せんでん)
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沖縄帰りの男

2006-09-27 23:49:44 | Weblog
遅めの夏休みをいただいて、石垣島にいってきました。
母親ほか年長者数名を連れてのざんげ旅です(ずいぶん親孝行をしてなかったもので)。
稀代の晴れ男の異名を取る通りに、四日間すべてをドピーカンに晴れさせていただきました。
日頃のよき行いの現れでありましょう。
「エメラルドの海で熱帯魚とたわむれたい」という歳甲斐を知らぬ冒険家もいれば(母親)、「マングローブのジャングルで野鳥とたわむれたい」というアルピニストもいたり、また「琉球族の巨大なお墓をハシゴして精霊たちとたわむれたい」という建築家もいたりで、まったくまとまりのないスケジュールでしたが、実に多様的楽しさのあふれた旅となりました。
しかし石垣島や竹富島は、前週にやってきた30年ぶりとかいう凶悪な台風による無惨な爪痕がそこここに残り、痛々しい姿をさらしてました。
それでも秋口のかわいた日光が島を焼くと、へし折れた緑からは新芽がほころび、水は透き通り、波はなぎ、生物たちは巣穴から姿を現してくれてました。
自然の力はすごいものです。
さて、師範もそんな自然にヤスリをかけられてぜい肉がそげ、遊びすぎた小学生のように真っ黒になりました。
たまにはこんなリフレッシュも必要と痛感しました。
いよいよ創作の秋です。
クリエイティヴな毎日をおくりましょう。
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カレー

2006-09-22 16:25:54 | Weblog
冷蔵庫にタケノコが入ってたんで、ニンジンや鶏肉とあわせて煮たら「ちくぜんに」というやつになるかもしれん、と思い、かつおダシで煮込んだのね。
だけど途中で、どうやって味付けするのかわかんないことに気づいた。
そこでシンクの下の調味料コーナーをまさぐってるとカレールーが出てきたんで、まてよこれを入れたらうまそうだ、と思い、鍋に放り込んだ。
急遽タマネギも刻んで、インド方面に進路変更。
だけどルーのブロックは半分しかなかったんで、全然煮物の量に足りず、結果しゃばしゃば。
しょうがないんで、やはり余ってたハウスのシチューパウダーもぶち込んでみた。
するとどうよ、今流行りの(もう流行ってないか)「スープカレー」になってしまったではないの。
スープカレーを発明した人物も、やはりこうしたプロセスをたどったに違いない。
それにしても和風ダシのタケノコスープカレー、おすすめです。
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窯詰め

2006-09-21 20:13:11 | Weblog
陶芸の窯(かま)の中では、「タナイタ」という陶板と「ツク」という支柱をつかって棚を組み上げ、そこに作品を並べていきます。
いろんなツクの中から欲しい高さのものを選び、それにあわせてちょうど同じような高さの作品をタナイタの面積いっぱいに効率よく敷き詰めてくわけです。
ぎりぎりぎっしりが理想的。
言えばパズルですが、少しでも作品が触れ合ってると釉薬(ガラスコーティング)が溶けてくっついてしまうので、となり同士数ミリの間隔を保ちつつ、ピースが最もうまく噛む組み合わせをチョイスしてく、という作業になります。
なかなかぴったりとはいきませんが、なにしろ膨大な電力を消費する窯焚きなので、少しでもすき間をなくしてロスを抑えたいのです。
組み合わせにあれこれ迷い、試し、やり直し、無理とわかったときには失望の涙に暮れ、うまくはまったときには恍惚に打ちふるえます。
つまり、なかなかたのしい。
棚を最後まで組み上げ、作品の最高到達点が窯の天井すれすれにきてると、刀がさやにピタリ納まったような空間の落ち着きっぷりです。
自分の心も落ち着きます。
窯詰めという「会心の作品」を組み上げたわけです。
生徒さんの作品をつかって、師範はひそかにこんな作品をつくってるのです。
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庭のお手入れ

2006-09-20 13:00:00 | Weblog
ピカピカま新しい秋の空にみどりが映えますねえ。
早起きして、草が伸び放題だった庭の手入れをしました。(ごめんなさい、ほったらかしで)
空気がかわいてて爽快なこんな日は、なぜだか緑をいじりたくなります。
そういえば死んだ父ちゃんも、会社を退職したら気楽な庭師になりたい、と引退後を楽しみにしてました。
それはかなわなかったけど、すばらしい枯山水(ふう)に整えられた実家の庭が残されました。
父ちゃんはこういうことが大好きだったんだよなあ・・・
ほのぼのと思い出にひたりたくなるのどかな秋の午後。
しかし、父の渾身作である実家の日本庭園は、今やとんでもないことになってます。
美大彫刻科で石彫を学んだ長男(ぼく)のアフリカ風プリミティヴな巨大石像が庭の中心にでんと据えられ、その周囲を、脱サラして花屋をはじめた弟が育てる苗の大群や、母の趣味の英国風バラ園が取り巻きます。
和洋アフリカ折衷の節操なし庭園・・・
父ちゃんは天国で苦笑いしてることでしょう。(怒ってなきゃいいけど・・・)
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牛丼

2006-09-19 17:19:14 | Weblog
駅前にものすごい人だかりができててびっくりした。
それが牛丼屋に並ぶ行列と知って二度びっくり。
雨降りの中、みんな淡々とたたずみ、ゆっくりゆっくりと入り口に近づいてく。
そんな状況でも、誰もがほくほく笑顔だ。
人々はそんなにも牛丼に飢えてたのか、と、食べ物のために行列などしたことのない師範には少々奇異に映る。
この牛丼屋さんは、一度意図的に味を落としたおかげで経営を破綻させたという過去を持つため、以降は決して味に妥協をしないと腹をくくったえらい会社だ。
そしてアメリカ産牛肉の輸入に快さいを叫び、満を持して牛丼の販売を再開したわけ。
だけど味のほうには納得がいっても、安全性への配慮はどうなんだろ・・・?
脳がスカスカのスポンジ状になるあの病気の危険性は忘れ去られた?
機能とかっこよさばかりを求めてヤバい車をつくり続けた自動車会社を思い出してしまう。
ぼくは、例によってまったく他人への配慮がないあの国が押しつけてくる肉を、まだ食べる気にはならない。
やさしさのないひとがつくった料理を、ぼくはおいしく食べることができない。
これは味覚でなく、自尊心の問題なのだった。
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神様

2006-09-17 23:12:12 | Weblog
ぼくが信仰するのは「窯神様」です。
窯神様は木こりの姿をして、工房の電気窯の上に鎮座しておられます。
いつも窯焚きの前にはお供え物をし(水だけど)、焼成の安全と、良き作品の恵みを祈願します。
・・・こんなこと書いといてなんなんですがぼくは、あらゆる宗教の崇拝する対象は鏡なのである、と思ってます。
ひとが神様なり仏様なりに手を合わせるとき、それは鏡に向かって拝んでるのだ、と。
「この願いを叶えてください」という祈りは、「自分はその願いを叶えられるべき存在だ」と考えてるわけであり、さらにその根っこに「自分はそれを叶えられるべく何をしただろうか?」という自らへの問いかけがあって、「オッケー、自分は叶えられるにふさわしい存在だ」という解答があるはずなのです。
偶像は自分自身との問答をするのに合理的なアイテムなのであり、つまり神様の正体とは自身の心を映す鏡に他ならないわけです。
「明日の試合に勝たせてください」とお祈りするあなたは、きっと神様という鏡の中に過去の自分の行為を反芻し、「これだけ努力したんだから」とか「少し練習をサボっちゃったけど」という内観をはじめるでしょう。
問答をする相手が自分自身なだけに決してウソはつけないし(というかウソ自体に意味がないし)、すべての真実が白日にさらされるわけです。
神様はなんでもご存知である、というのは、つまりそういうことなのです。
「いい作品をお与えください」と願うぼくは、本当にそれにふさわしい仕事をしてきたのか・・・?
すべてを見透かす鏡を前にして、ぼくは冷や汗がにじむのです。
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