(旧)東京で陶芸体験!陶芸教室/森魚工房(練馬区大泉学園)

↓こちらに引っ越しました。
https://blog.goo.ne.jp/forestfishfactory

枝豆(7/30/2006分)

2006-07-30 21:39:55 | Weblog
枝豆の採れたてを頂戴しました。
はさみでチョキチョキ切り離して、いっきに塩でゆでます。
これまでは「最近の冷凍枝豆はおいしいなー」と思ってました。
だけどとれとれの本物はケタハズレですね。
自分のうかつを呪いたくなります。
手間がかかっても、やっぱ枝から切り離すから枝豆なのです。
それにしてもあの安価な冷凍枝豆は、いったい誰がチョキチョキしてくれてるのでしょうか?
むかしきいた母親の話を思い出しました。
「この缶詰のみかんは、ロボットがいっこいっこ手でむいてくれてるんやよ。大切にお食べ」
枝豆も、やっぱしロボットがいっこいっこ切ってるのでしょうか?

はーばるらいふ(7/29/2006分)

2006-07-30 21:39:36 | Weblog
採れたての葉っぱのおいしさにつくづく感じ入る今日この頃。
ささやかな庭で家庭菜園のマネごとをしてます。
こいつがいい仕事をしてくれるのです。
めきめきと繁茂したシソの葉とサンショとバジルをむしって、包丁でざくざく刻む。
冷蔵庫から新ショウガを酢づけにしたものを取り出し、こちらは針のように刻む。
ごちゃ混ぜにして、大ぶりに切ったカツオの叩きにバッサとのっける。
香草たちの切り口から夏の青っぽい芳香が霧のように立ちのぼってきて、カツオの赤みの上に虹でもさしてる感じです。
それにポン酢しょうゆをぶっかけて、がつがつといただく。
あざやかな風味。
上半身裸に缶ビールがよろしい。
なつ、すばらしい。

急須(7/28/2006分)

2006-07-30 21:39:03 | Weblog
ここんとこ、急須を何個か挽いてます。
難しくて、煩雑な作業です。
工房ではみんなろくろ成形にあこがれます。
しかしその作業自体は、目的でなく技術のひとつと心得るべきでしょう。
それをどう生かすか、という部分こそが大切です。
体得して、そこから先が面白いわけです。
獲得した技術をいろいろに展開して、イメージを具体的に形にする。
それこそが創造的でいちばん楽しい作業なのです。

My 器(7/27/2006分)

2006-07-30 21:38:35 | Weblog
自分のつくった器で食べる食事のおいしさといったら・・・
工房のみなさんはすでに体験済みでしょう。
だけどこれを読んでくれてるひとの中にまだ100円ショップのメシ碗でごはんかき込んでるひとがいたら、ぜひ工房につくりにきてください。
ぼくは最近少しは上手に器をつくれるようになったと思ってるんですが、食卓で使ってるのは、結局昔々(陶芸はじめたての頃)につくったデコボコの器です。
愛着ってのはすばらしいです。
美しく整った器よりも、ヘタッピでも手になじんだ楽しい器のほうが、食卓にうるおいってものを与えてくれると思うのです。

ろくろ(7/26/2006分)

2006-07-30 21:37:49 | Weblog
工房にひとがいないとき、師範はよくろくろを挽いてます。
ちっとも飽きません。
鈴木五郎という陶芸家などは、「60年挽いてもまだ飽きねー」と言います。
「だっておもしろいもん」と。
大作家さまにしてこの心持ち(いや、境地か?)、さすがです。
飽きる、ということは、わかっちゃった、ということなわけで、わからないから飽きなくて面白いわけで、その心持ちがあるかぎりは死ぬまでずっと成長し続けられるわけです。
ろくろでつくってるものは器でなく、自分であるなあ、と思うのであります。

高騰中(7/25/2006分)

2006-07-30 21:36:57 | Weblog
工房のみなさんによく野菜をいただきます。
家庭菜園や市民農園で季節ものを育ててるひとが多いので、おすそ分けが頂戴できるのです。
長梅雨(豪雨?)のために野菜が高くなってるようで、非常に助かります。
ほんと、生徒のみなさんに食べさせてもらってる今日この頃なのでした。