青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

“幻・列車”と仮面ライダーと大阪万博!

2023-06-17 | 昭和・懐かしい北摂の風景

シン・仮面ライダーの話も下火になりましたが、僕にとっての「仮面ライダー」は1号ライダー・本郷猛であり、最大でも「ストロンガー」まで。今も続くライダー人気は凄いけれど、平成ライダーには仮面ライダーと言いながら、バイクに乗っていないライダーもいるし、フリーターというのまで。頭脳・運動神経とも抜群の主人公が仮面ライダーであった昭和とは随分様変わりしました。

本郷猛=藤岡弘が本当にカッコ良かったのは、大阪万博ロケの体を張ったアクションでした。吹き替えなしでバイクを運転し、アクションをこなす藤岡は素晴らしかった。

大阪万博会場跡・エキスポランドのジェットコースター「ダイダラザウルス」のコース上で、危険なアクションを繰り広げる藤岡。このダイダラザウルスも2007年に解体されました。撮影日は1971年3月22日。会場のエキスポランドは遊園地なので、この施設を活かした高さのあるロケは迫力満点。初の大阪ロケは話題性も充分でした。

万博終了後、遊園地としてエキスポランドがオープンしたのは1972年で、ロケをした1971年3月は、オープンに向けての準備期間中でした。

第5話から番組オープニングにも使われたバイクのカットは、エキスポランド中央階段。この階段はアングルによっては延長線上に太陽の塔が見える位置にある。背後の多くのポールは各国の国旗を飾っていたものですが、2016年に中央階段が改修された際に姿を消しました。

万博ロケは、そもそも当時千里丘に毎日放送の本社放送センターがあったので、至近距離にある地の利を活かすために、早くからの決定事項だったそうです。

大阪万博は1970年3月15日から9月13日の会期中183日間で、のべ6421万8770人の来場者数を記録しました。これは国際博覧会史上2位。これだけの人を捌くのに、電車が無ければお話になりません。しかし、万博開催の翌年1971年に万博会場跡の万博公園に行くには、電車はありませんでした。

大阪市営地下鉄で、当時最も北にあった駅は「江坂駅」でした。万博に併せて千里ニュータウンが開発されており、江坂より北には「北大阪急行電鉄」の建設が決まっていたので、仮駅の千里中央駅を建設し、江坂ー千里中央間の南北線を建設。そして、万博開催中は中国自動車道の敷地を借りて、万博に「万国博中央口駅」を作り、千里中央駅(仮駅)とを結ぶ臨時線である「会場線」を造りました。開通は万博開会直前の2月24日。驚いたことに、万博開催中のみ電車を走らせたのです。昭和のパワーを感じます。

これがその千里中央駅(仮駅)と万博会場を結んだ北大阪急行会場線の写真です。写真右奥に見えるのが、中国自動車道の上り線用地に設置された「万国博中央口駅」。写真左上はガスコンビナートではなく(笑)フランス館で、順に太陽の塔の大屋根、三菱未来館、日本専売公社の虹の塔が写っています。左の土手の上に出来ている大行列は、アメリカ館に入るためのものです。

万博開催時にはこの電車が、ラッシュ時並みの最小2分半間隔で運転され、梅田駅から万国博中央口駅までを24分で結びました。とにかく混雑していたのを覚えています。子供の僕が生まれて初めて経験した寿司詰め状態のラッシュでした。



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