北大阪の阪急電車は、昭和50年代(1970年代)という早い時期から、踏切渋滞の解消や事故防止の為、線路の高架化工事には結構取り組んで来ました。「この踏切で、いつも長い間待たされたな~」と記憶に残る場所、ほとんどが今は高架化されて踏切が無くなっています。もしくは80~90年代と比べて自動車の交通量が減少したため、昔ほど渋滞が起きません。
今は踏切で車が混むというより、駅構内の人身事故で乗客が運転再開を待たされる時代になりました。どんな理由があるにせよ、他人に迷惑を掛ける行為は絶対に止めてもらいたいものです。
ここは昭和55年(1980年)の吹田市寿町1丁目、やなぎ遊園南端付近の踏切です。
この場所は現在もほとんど変わっていません。線路右側の建物は、当時の建物が今も残っています。ただその手前の空き地だった部分は、土地の有効活用なのかマンションやアパートになっています。無駄な空き地は、交通の便の良い場所では今はほとんど見かけません。
交通標識や消火栓の標識も、おそらく昔のものがそのまま今も使われていると思います。さすがに色落ちしているし、歪みも見えます。
建物は替わっても左端に写る新聞販売店は、上の写真から40数年経った今も残っています。しかし「看板」はかなり小さなものに替わりました。新聞配達というシステムが、そもそもいつまで残るのでしょうか。かなりの数の配達所が今では消えていますし、通勤電車の中で駅売りの新聞を買って読んでいる人も、今ではほとんど見掛けません。