酒に酔いしれ、音に酔いしれ、ライブの魅力に酔う。ディスコやカフェバーも確かに良かった昭和。でも、ライブハウスも忘れてはならない小粋なスポットでした。
最初はブルース中心。サザンロック・オンリーの頃もあったし、ジャンルには拘らないのが、ここバーボンハウスでした。バーボンハウスと言えば知らない人はいないくらい、大阪ではメジャーな大阪で1番広いライブハウスでした。
大阪・北区茶屋町の「シネマ1・2・3」が入っていた、百又ビル地下一階にありました。トム・ロビンソン・バンドやラリー・コリエルもここのステージを踏んでおり、突然、長江健次なんかも演ったりしました。竹内まりややプリンセスプリキュアも、ここで歌いました。桑名正博を生んだのもここ。
「バーボンハウス」「バナナホール」「バラード」の3つのライブハウスを指して、「大阪3B」と呼ばれたましたが、3店舗全て現在はありません。
これだけの広さのお店が、いつも一杯になるのは流石で、カウンターで飲むことに専念するお客さんも多くいました。
このお店が閉店になったのは、1990年1月6日の事故の為。東のX-JAPAN、西のCOLORと当時呼ばれたインディーズバンドCOLORのライブ中にファンが将棋倒しになる事故が起き、1名が亡くなりました。この後バーボンハウスは閉店状態となり、そのまま消えてしまいました。
お店が無くなる・・本当に些細なことから事故が起き、あんなに有名なお店が消えてしまうとは思いませんでした。残念です。