三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

聖霊降臨後第6主日の聖餐式

2014年07月24日 | 聖公会の礼拝
日本聖公会 立教学院諸聖徒礼拝堂
(住所:東京都豊島区西池袋3-34-1)

立教大学チャペル(日本聖公会)の祭壇正面の右側に、両翼を広げた鷲の姿の聖書台がある(下写真)。これは、戦時中に立教大学の小川徳治教授(1905-2001年)が英国聖公会のウィルソン主教の知遇を得たことに由来する。陸軍少尉として召集された小川氏はシンガポールでウィルソン主教を保護し、さらに宗教活動も認めた。戦後、立教チャペルを再建する際(注)、ウィルソン主教は聖書台を含む教会用具の提供を申し出た。つまり、この鷲は鳩のような「平和の象徴」と言えるだろう。

7月20日(日)、立教大学チャペルで、聖霊降臨後第6主日の聖餐式に参列した。午前10時、振り香炉と行列用十字架を先頭に、司祭団が厳かに入堂。福音朗読は「毒麦」のたとえ話(マタイ13・24-30、36-43)。この日は東京教区の環状グループ(豊島区などの教会群。カトリック東京大司教区「宣教協力体」に相当)の説教交換日で、清瀬聖母教会、及び全生園聖フランシス・聖エリザベツ礼拝堂の井口諭司祭が話された。私にとって井口司祭の説教は、昨年10月の聖霊降臨後第21主日以来だ。

「毒麦を抜こうとする僕(しもべ)たちに、主人は『育つままにしておきなさい』と言います。『ままにしておく』は(ギリシャ語の)“アフィーエーミ”という言葉で、去らせる、放棄する、罪を赦すという意味があります。麦はパンになり、毒麦はそのパンを焼く燃料になるでしょう。主イエスは清濁合わせて、一緒になって欲しいのです。両方を愛するがために、主イエスは十字架につけられたのです」。“アフィーエーミ”の不思議な意味に「毒麦男」の私もしんみり。ハンドベルの優しい音色が心に沁み入った。


立教学院諸聖徒礼拝堂の「鷲の聖書台」
(英国マンチェスター大聖堂で使用されていた!)

(注):戦時中、軍部によって倉庫(!)とされたチャペルは、説教壇、聖書台、会衆席などが防空壕の材料となり、大理石造りの聖卓は破壊の跡が残されたままで、堂内は惨めな姿になっていたという。このような狂気の時代が、安倍晋三によって再び現実となりつつある。だが、相変わらず「昭和のテレビ中毒世代」はヘラヘラ笑いながら、目先のカネと飲み食いのことで頭がいっぱい。自分たちの子や孫が戦争や原発事故の犠牲にならない限り、多くのニッポン人は本日も「絶賛思考停止中」。

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲譜2(キリエ、大栄光の歌、サンクトゥス、アニュス・デイ)、入堂聖歌:314「みもとに集い 恵み受け」、続唱聖歌:440「神の言葉よ」、奉献アンセム(聖歌隊奉唱):「I will worship(詩編138・2)」(ダイソン)、奉献聖歌:427「世界の国と民の神よ」、陪餐アンセム1(ハンドベル奏楽):464「I need thee every hour(恵み深き)」、陪餐アンセム2(管楽合奏、聖歌隊奉唱):「二階の広間で」、陪餐聖歌:256「地に来たまいし神」、派遣聖歌:389「主イェスよ われらの礎となり」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)

◆主な参考文献など:
・『チャペルニュース・第576号』から五十嵐正司主教(立教学院チャプレン長)著「鷲の聖書台」 (立教学院諸聖徒礼拝堂・2014年)
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