Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

「佐伯祐三」展

2023年03月07日 | 美術
 「佐伯祐三」展が開催中だ。パリの抒情的な風景画で知られる佐伯祐三(1898‐1928)のわずか30年の人生、そのうちのパリ生活だけなら、わずか3年にすぎない、まるで生き急いだように見える人生と画業をたどることができる。

 佐伯祐三のパリ生活は2回に分かれる。最初は1924年から1925年までの約2年間、次は1927年から1928年までの約1年間だ。本展では最初のパリ生活で生まれた作品を「壁のパリ」、次のパリ生活で生まれた作品を「線のパリ」と呼んでいる。それぞれの時期の作品の特徴を端的に表す命名だと思う。

 日本の木造家屋とは異なるパリの石造建築の、ザラッとした壁の手触りに着目して、その再現を目指した「壁のパリ」の作品群と、壁や広告塔に貼られた何枚ものポスターに踊る文字に着目して、文字がまるで生命を持ったかのように自由に飛び跳ね、画面のいたるところに散乱する「線のパリ」の作品群。

 だが、おもしろいことに、「壁のパリ」といっても、その作風がパリに着いてからすぐに生まれたわけではなく、短いけれども、やはり助走期間があったこと、また「線のパリ」といっても、その作風が2度目のパリ生活でいきなり生まれたわけではなく、「壁のパリ」の作品群にすでに萌芽状態で存在したことも、本展を通じてよくわかる。「壁のパリ」と「線のパリ」は画然と区切られるわけではなく、重なり合いながら、一気に進んだ。

 加えて感動的なことは、「線のパリ」で佐伯祐三の画業が終わるわけではなく、さらにその先に進もうとしていたことだ。亡くなる1928年の2月に佐伯祐三は友人たちとパリ郊外のヴィリエ=シュル=モランVilliers-sur-Morinに写生旅行に出かけた。同地で描かれた作品群からは文字が消えて、明確な輪郭線が現れる。明らかに画風が変化する。だがその変化は突然断ち切られる。3月にパリに戻ると、佐伯祐三は体調を崩す。精神的に不安定になる。6月に自殺未遂を起こし、精神病院に入院。8月に亡くなる。

 本展でもっとも惹かれた作品は、「壁のパリ」でも「線のパリ」でもなく、ヴィリエ=シュル=モランで描かれた「煉瓦焼」(本展のHP↓に画像が載っている)と、同地からパリに戻ったときに描かれた「郵便配達夫」(チラシ↑に使われている作品)だ。

 「煉瓦焼」のオレンジ色の強さは、画像ではわからないかもしれない。わたしは何かに打たれたように感じた。「郵便配達夫」は多くの人に知られた作品だ。背景にあるWAGNER(ワーグナー)の文字は、佐伯祐三が音楽好きだったことを思い出させる。両作品には、あふれる生気と簡明さ、あえていえば無邪気さが共通する。それを“絵本”性と呼んでみたい。
(2023.3.3.東京ステーションギャラリー)

(※)本展のHP
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