Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

山岡重信さんを偲ぶ

2023年03月26日 | 音楽
 先日、ある偶然から、指揮者の山岡重信(以下「山岡さん」)が2022年6月20日に亡くなったことを知った。享年91歳。名前を見かけなくなってから久しい。どうしているのかと思っていた。91歳なら、天寿をまっとうされたのだろう。ご冥福を祈る。

 わたしは1971年4月に早稲田大学第一文学部に入った。そのときオーケストラに入ろうか、どうしようかと迷った。中学高校とブラスバンドをやってきたので、入りたい気持ちはやまやまだったが、オーケストラに入ると、オーケストラに明け暮れる毎日を過ごし、中学高校の二の舞になることは目に見えていた。文学をとるか、音楽をとるか。でも、やはりオーケストラに入りたい。そこである日、練習を見学に行った。そのとき指揮していたのが山岡さんだ。曲目はブラームスの交響曲第3番だった。さすがにプロの指揮者はちがうと思った。わたしは結局、オーケストラには入らなかったが、演奏会には必ず行った。山岡さんが指揮することが多かった。

 わたしは在学中に日本フィルの定期会員になった(家庭教師をやっていたので金があった)。数ある在京オーケストラの中で日本フィルを選んだ理由のひとつは、山岡さんが指揮するブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」がプログラムに組まれていたからだ。

 当時の日本フィルは文化放送・フジテレビを相手に争議中だった。苦難の時期の日本フィルを支えた指揮者のひとりが山岡さんだ。争議は1984年3月に和解が成立した。それを祝う演奏会で山岡さんはインタビューに答えて、「争議に入ってから、初めてリハーサルで音を出したときには、みんな泣いていました」と涙ぐんだ。その光景が忘れられない。

 山岡さんはその後、ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉(現在の千葉交響楽団の前身)の常任指揮者になった。千葉交響楽団はいまでは支援体制が整備され、楽員も増え、上り調子にあるようだが、当時は数少ない楽員が細々と活動を続けていたにすぎない。山岡さんはその時期のニューフィル千葉を支えた。

 争議中の日本フィルといい、ニューフィル千葉といい、そのオーケストラがもっとも苦しい時期に支え、オーケストラの灯りを消さなかった――それがわたしにとっての山岡さんだ。

 山岡さんのレコード録音は、読響を振ったLP3枚組「日本の管弦楽作品1914‐1942」(VICTORレーベルから発売)が代表作だろう。1972年の芸術祭大賞を受賞した。残念ながらCDには復刻されていないので、いまは聴けない。ネット上では新交響楽団を振った芥川也寸志の「チェロとオーケストラのためのコンチェルト・オスティナート」(チェロ独奏:安田謙一郎)がアップされている。音質は貧弱だが、ただ事ではない熱気が伝わる。
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