Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

鈴木優人/読響

2023年03月10日 | 音楽
 鈴木優人が指揮する読響の定期演奏会。1曲目は読響創立60周年記念委嘱作品の鈴木優人の新作「THE SIXTY」。60人のオーケストラのための“60”の数字にこだわった作品だ。全体は3つのセクションに分かれる。そのうちの第2のセクションがもっとも長い。独特の感覚の(その感覚をどういったらいいか。現代的で、明るく、軽い、しかし類似のものが見当たらない、一種名状しがたい感覚だ)音の重なりが延々と続く。そこに「YOMIURI NIPPON SYMPHONY ORCHESTRA」の30文字を音列化した「読響音列」が綴りこまれる。それにくらべると、第1のセクションはいわゆる現代音楽だ。一方、第3のセクションは調性音楽だが、あっという間に終わる。

 2曲目はイェルク・ヴィトマン(1973‐)のヴィオラ協奏曲。ヴィオラ独奏はアントワーヌ・タメスティ。演劇的要素を盛り込んだ曲だ。冒頭、指揮者が登場するが、独奏者はいない。指揮者は指揮台に立つが、何もしない。するとオーケストラの後ろにいた独奏者がピチカートで音を出しながら、オーケストラのあいだを歩き始める。やがて弓を見つけて高々と掲げる。ワーグナーの「ワルキューレ」でトネリコの幹に突き刺さったノートゥングを引きぬくジークムントのパロディか。

 弓を手にした独奏者は縦横無尽に弾き始める。チューバその他のパートが独奏者を威嚇する。独奏者とオーケストラの闘争だ。ついに破局に至る。瓦礫の中から独奏者が静かに身を起こす。オーケストラとの融和が訪れる。独奏者はノスタルジックな音楽を奏でる。その音楽は消え入るように終わる。

 じつにおもしろい作品だが、そのおもしろさはたんに演劇的なおもしろさにとどまらず、協奏曲という音楽形式の解体、あるいは問い掛けを思わせ、しかも音楽的なヴィヴィッドさを有している。また演奏もタメスティの圧倒的なソロ(+パフォーマンス)、鈴木優人指揮読響の研ぎ澄まされた音、ともに息をのむほどだった。

 アンコールが演奏された。バッハのヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ第1番から第3楽章だったが、そのとき鈴木優人がつけた伴奏は、右手でチェレスタを弾き、左手でピアノを弾いた。高音部はチェレスタの音、低音部はピアノの音だ。それが不思議な音色を生み、またヴィオラの音と調和した。

 3曲目はシューベルトの交響曲第5番。弦楽器は12‐12‐10‐8‐6の編成。そのせいかどうか、低音部がはっきり聴こえる演奏だった。第1楽章の冒頭など、第1ヴァイオリンが細く(あるいは痩せて)聴こえたのは、わたしのこの曲のイメージが、フワッとした音のイメージだったからかもしれない。
(2023.3.9.サントリーホール)

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