嫁姑の仲となる和宮と篤姫ー将軍御台所とはいえ出身も考えもまるで違った二人が同じ大奥という環境の中で一緒にいて、またお付きの女中もそれぞれ多く、そこでも対立してさぞ大変だったことでしょう。しかし、この二人は江戸城明け渡しで大奥を出て明治に入ると二人で芝居を観に行ったりしていました。本当に二人の仲はどうだったのだろうかと関心が深まります。私は二人が歴史と哲学をしっかり持っていたところに鍵があると思っています。二人とも歴史書を好み考え方こそ違っていましたが、自分にしっかりとした生き方ー哲学を持っていました。このことから違いはおろか激動の時代を乗り越えてお互いが理解しあえるところまでいったのでしょう。
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