「ちやうどその頃(咸臨丸で渡米するころ・万延元年1860年・勝海舟38歳)、おれは熱病を煩つて居たけれども、畳の上で犬死をするよりは、同じくなら軍艦の中で死ぬるがましだと思つたから、頭痛でうんうん言つて居るをも構わず、かねて通知しておいた出帆期日も迫つたから、妻にはちよつと品川まで船を見に行くといひ残して、向ふ鉢巻で直ぐ咸臨丸へ乗り込んだよ」(勝海舟「氷川清話」より)
咸臨丸は万延元年1860年1月13日品川を出帆して同年の5月5日に浦賀に帰着しています。勝海舟は具合が悪いのにもかかわらず、妻に半年ほど何も言わずに留守したことになります。勝海舟らしい行動です。
ここのところ頭痛が続きあまり体調は良くないのですが、まあ世の中の具合もあまり良くなく様々なことが起きてきます。こういうときに勝海舟を想い起こすと、まあ世の中なんてこんなものだと、動きたくなるものです。世の中の困っている小さな一人ひとりの声に耳を傾けて、自分のできるところから動いていきたいと思います。
咸臨丸は万延元年1860年1月13日品川を出帆して同年の5月5日に浦賀に帰着しています。勝海舟は具合が悪いのにもかかわらず、妻に半年ほど何も言わずに留守したことになります。勝海舟らしい行動です。
ここのところ頭痛が続きあまり体調は良くないのですが、まあ世の中の具合もあまり良くなく様々なことが起きてきます。こういうときに勝海舟を想い起こすと、まあ世の中なんてこんなものだと、動きたくなるものです。世の中の困っている小さな一人ひとりの声に耳を傾けて、自分のできるところから動いていきたいと思います。
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