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1853年のペリー来航は幕末史の大きな出来事して注目されています。時の老中首座阿部正弘はその対応に迫られました。それは突然にやってきた出来事ではなく、前もってオランダから知らされ幕府首脳もその対応に苦慮していました。注目すべきはペリー来航の出来事そのものではなく、阿部正弘の政治手腕の一日一日です。鎖国は幕府の措法ー開国に反対意見の多い幕閣に対応しながら開国に向けた準備を始めた阿部正弘。長崎から浦賀に外交交渉の場を移し浦賀奉行の選任と対応を任せていきます。同時に軍艦建造・台場築造・海軍操練所設置と防衛体制も進めていきます。そこには既成概念にとらわれない新しい人材登用・育成と阿部正弘の一日一日が歴史を創りあげていったのです。
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