平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

外はソドム

2018-06-05 06:18:50 | 古代史と聖書
8世紀の唐の詩人・杜甫(とほ)の有名な歌に、『岳陽楼に登る』というのがあります。

昔聞洞庭水(むかしきくどうていのみず)
今登岳陽楼(いまのぼるがくようろう)
呉楚東南坼(ごそとうなんにさけ)
乾坤日夜浮(けんこんにちやにうかぶ)
親朋無一字(しんぽういちじなく)
老病有孤舟(ろうびょうこしゅうあり)
戎馬關山北(じゅうばかんざんのきた)
憑軒涕泗流(けんによりてていしながる)

この中に出てくる呉楚とは古代中国にあった国。南の海に面した呉の国は、滅亡後に日本に渡って広島の呉に住んだ。呉服の呉です。卑弥呼の鏡を作ったのも呉の職人と言われています。対して、楚は洞庭湖の反対の北側に位置しました→こちら

この呉と楚の位置関係を逆にしたのが、旧約聖書の『創世記』で神に滅ぼされるソドムとゴモラ。北にゴモラで南にソドム。どちらもソとゴの組み合わせです。偶然でしょうか?

ソドムとゴモラが滅ぼされるシーンは、『創世記』の19章に描かれています。しかし、出てくるのはソドムの方だけでゴモラはなし。しかも、旧約聖書の地名は時代に沿ったものではなく、けっこう後付で呼ばれている地名が多いのです。だから、滅ぼされた当時にソドムとゴモラと呼ばれていたかは甚だ怪しい |д゚)チラッ

それで、原点に帰って、ソドムが滅ぼされた時のキーワードをほじくり返してみました。驚くべきことに、漢字で「ソ」と読まれる文字が山ほど ( ´゚д゚`)エー

まず、2人の神の使いがソドムやってきたのが夕暮れですが、これを表したのが外という文字。2人の天使をかくまったロトの家の戸の外は暴漢だらけ。

外→戸+夕べ
粗暴→ソ

ロトは外に出て戸を閉め、ソドムの暴漢に訴えます。これが訴が「ソ」と読まれる理由。

訴→ソ

ところが、暴漢はオカマを掘るために天使を渡せと要求し、危険を感じた天使は、おそらくロトの袖を引っ張って中に入れ、暴漢たちの目を暗黒プラズマで覆い隠します。手で引っ張ったからソ・デ。

袖→ソドム+手

ソドムは不潔だったのでネズミやウジ虫がウジャウジャ (ToT)

鼠→ソ
蛆→ソ

このように、ソをソドムを指す言葉と理解すれば、ソと読まれる文字の悪徳の限りが理解されるのです。嫉(そね)む、猜(そね)む、妬(そね)む、呪詛の詛(そし)る、反(そむ)く、背(そむ)く、北(そむ)く、暗(そら)んじる、害(そこ)なう、賊(そこ)なう、殺(そ)ぐ、騒(そう)、などなど→漢字辞典(音訓検索「そ」)

ソドムは余りの穢れのために、正しい名前では呼ばれず、「それ」とか「そこ」とか呼ばれたのではないか。今だとイットと呼ばれるみたいに。

上の言葉の中の「北」という文字は、ソドムの北に位置したゴモラを指すのではないか。ソドムの方を向くからソムク。ゴ・モラからモラルという言葉が生まれたとか。よそ者のロトが四方から囲まれたので他所をヨソと言う。それにしても、ゴモラの謎を解く材料が少なすぎる (_ _;)

節分の「鬼はそと福はうち」という慣用句。これをソドムとロトと天使という構図で眺めると、鬼はソドムの暴漢、福は二人の天使で、戸の内と外の違いが天国と地獄を分ける。仕切り板一枚の違いは大きい ヽ( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄;)ノ

6月6日 追加

ゴモラについて記載がない理由は、おそらくカッバーラの阿吽(あうん)にあると思います。というのも、口を開いてソドムを語り継ぎ、口を閉ざしてゴモラをあえて語らず。読者がコメントで書いているように、ゴと読まれる漢字は口が付くものが多い。ゴモラを表す言葉の代表は「口籠る」で、モニョモニョと口籠ることでゴモラは記憶されてきた。カッバーラ恐ろしす (´・ω・`)
コメント (8)
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