平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

平御幸のデッサン講座~第6回 角度、その絶対性

2012-06-30 03:15:33 | Weblog
 地球は丸い。この真理に辿り着くまでに、人類は実に無駄な時間を費やしました。広大な海で水平線と呼ばれるものが、誰も実際に水平かどうか測られなかったことに驚きです。四国の海でさえ、物指しを当てれば両端が下に丸くなるのに。

 物の長さというものは、常に相対的なものでしかありません。背の高さを誇る人も、隣に巨人が来れば風に飛ぶイナゴと一緒です。だから、デッサンでプロポーションを測るときも、基準に何を選ぶかで結果は違ってきます。また、物指しや量り升の基準となる度量衡(どりょうこう)も時代で異なり、英米はいまだにヤードポンド法です。

 ところが、角度というものは時代や国で異なるということはありません。ディグリー、グラード、ラジアン、の3つの計測法の違いはありますが、分度器は世界共通であり、また時代に左右されない絶対性があるのです。絶対=神の領域ですから、角度は神の支配する世界でもあるのです。

 このことに気が付いたのは、古代遺跡の解析を行うようになってからですが、古代遺跡は角度にこだわったものが圧倒的に多いのです。これが僕の古代史の出発点です。農業に必要な太陽の観測。航海に必要な星の観測。すべてが角度を計測することで成り立っています。それが偏見を助長するのか、海軍は陸軍より賢いというイメージがあります。陸軍で角度というと、大砲を撃つ時の角度くらいでしょうか。

 この講座で早い段階で注意を促したのですが、モチーフを観察する時に、垂直と水平の基準をしっかり作れば、大半のものは正確に描けます。しかし、形の取れない人は、何度注意しても角度を間違うか、角度を測らないで描こうとします。

 円柱で、上の楕円が下の楕円より厚くなる。上の楕円より下の楕円が幅広になる。このような逆パースは、きちんと角度を測れば間違うわけがないのです。幾何形体で角度を間違う人は、石膏像でも静物でも角度を間違っているのです。鼻梁や眉のライン。首の傾きなど。石膏像は角度を間違う要素がふんだんに盛り込まれています。幾何形体程度で角度を間違う人は、もっと複雑な石膏像や人物で形を取れるはずもありません。

 角度を測るという行為は、正確にやれば間違う恐れのないものです。だから、角度で失敗する人は、角度を測る時に何かが間違っているか、あるいは角度を測らないで描いているのです。これについては、正しく見るという事で解決するしかありません。

 絵画で角度が大切になる透視法。1点透視、2点透視、3点透視、の3つがありますが、デッサンの場合は、作品の構図で使う透視法とは違うのです。構図の場合は、1点透視か2点透視で問題ありません。物を見下ろす構図の時にだけ、下にも焦点(消点)のある3点透視法になります。しかし、幾何形体のデッサン時は、描くもので透視法が異なってくるのです。

 まず、球体はどこから見ても同じなので透視法は必要ありません。使えば歪むだけです。次に、皿などの楕円は奥に焦点のできる1点透視。円柱は下が細く見えるので、下にも焦点の出来る2点透視。円柱が横になったら3点透視となります。

 四角い角柱などは、真正面から見たら奥と下の2点透視。斜めから見たら3点透視となります。きちんと観察して、きちんと測り、きちんと描けば、意識しなくともこのようになります。透視図法が満足にできない人は、透視図法が理解できていないか、観察の仕方が悪いのです。僕は面倒なので透視図法の補助線は最小に留めますが、それでも不自然になることはありません。形が不自然な人は、物の見方が悪いのです。

 なお、幾何形体が苦手な人は、透明な素材や薄い紙などを使って、工業製品の写真をトレースする訓練が有効です。日本古来の技法である伝意模写の応用ですが、トレースで綺麗な形をイメージできるようになれば、モチーフを観察した時も目が迷わないのです。ただし、デッサンするときには、正しい形が取れるまで修正が必要です。間違ったままで放置し、勝手に次の課題に移っても上達しません。紙が擦り切れようが黒くなろうが、できるまでやるという姿勢が不可欠です。そのようにしない人は教えても無駄ですから。

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平御幸のデッサン講座~第5回 色と形

2012-06-29 18:16:22 | Weblog
 今回のデッサン講座は、理論的な内容になっています。というのも、読者が初心者なので、実技編を展開する段階にないからです。読者からの作品が俎上にあれば、これを叩き台としての技術指導もできますが、楕円に苦労している現段階では到底無理です。実技編は改めて展開する予定です。

 ということで、今回のテーマは「色と形」です。読者の大半は色と形は別々のものと考えていると思いますが、その考えは間違っています。色と形は切っても切り離せないものであり、「形が狂う」というのは「色が合っていない」のと同じなのです。「形有色、色有形」と書き、「形は色を有し、色は形を有する」と読みます。漢文的に合っているかは分かりませんが。

 また、「良い形は良い色を獲得する」と考えて間違いありません。逆には、「悪い形は色を悪く感じさせる」となります。これは、実際の美術的な現象だけでなく、色を性に置き換えても成立します。性的な欲求や嗜好や願望が色彩として表に出るからであり、性的に不健全な人は、絶対に美しい形と色彩で描くことはできません。

 テレビなどでオカマのタレントを持ち上げますが、オカマが描く作品は、どうしても取れない黒ずんだ汚れが感じられます。聖書で同性愛を禁じているのは、霊的に正しいのです。これで獣姦が加われば、はっきりと分かる黒さが現れます。近代絵画は、人間のマイナス面から生まれた異様な作品を持ち上げ、結果的に健全な色彩と形を失ったのです。

 デッサンを何時間もしているのに一向に良くならない。こういう時は、最初の形の段階で躓いていることが多いのです。逆パースだとか、角度が違っているとか、プロポーションが違っているとか、余りにも基本すぎる段階で間違うと気が付きにくいものです。

 形は意志であり、意志の強い人は形もしっかりします。意志薄弱の人は、蛭児(ひるこ)のように形が定まりません。単純な人は形も単純になり、姿勢の悪い人は間違った方向に努力します。要するに無駄をするのです。また、石膏デッサンでも自分に似るので、男でも女でも、美形は得するように出来ています。この呪縛から逃れるには、余程の修正能力が必要となります。自分の癖を知り、癖が出ないように修正するのです。

 初心者だけでなく、プロでも間違って使う言葉に「汚い色」というものがあります。「汚い色を塗るな」と教える人があれば、その人は色彩について何も分かっていません。色の場合、あるのは「明度と彩度と色相の変化」であり、汚い色という項目はないのです。ドブ水のように、どんなに汚い色と思われるものでも、デッサン力がある人は、そのような色が必要となる場所に適宜に使って有効活用します。汚い色と口に出す人は、デッサン力がないと自白しているのです。

 闇があるから光の価値が分かる。悪があるから正義が必要と分かる。デッサンの場合は、何も描かない真っ白が光であり、そこから黒い陰影を付けて行く訳ですから、自然と闇へと向かうのです。だから、最初から闇に向いている人は、デッサンも闇の黒さに向かうのです。光が表現できる価値が分かりましたかね。次回は、角度について言及します。

追加 なお、SNSで、怒られるのが怖くて隠れて描いている人。隠れてないで恥を晒さないと上達しませんぐ。

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平御幸のデッサン講座~第4回 幾何形体の重要性

2012-06-28 03:55:11 | Weblog
 絵を描きたいと思う人は最初に、大半が花か風景を描きたいと思います。難しいと思われる人物画を最初の課題に選ぶ人は少数です。しかし、花は易しそうで難しく、風景は思いの外に絵になってくれません。それで妥協点として静物画が選ばれます。でも、結果は悲惨。なぜでしょうか?それは、静物画も花も、基本は幾何形体にあるからです。幾何形体をパスして、上手になった人は皆無です。

 絵の基本が幾何形体にあるという事。一番分かりやすい例は、静物ならリンゴ。花なら百合です。リンゴは花弁が5枚の花から実ができます。従って、実も横に切ると五角形の名残があり、尻の部分は完全にファイブスターとなっています。どんなに丸く見えるリンゴでも、この五角形のニュアンス一つでリンゴらしさが出るのです。

 次に百合ですが、百合は二つの三角形が重なった6弁ですが、厳密にはチューリップと同じく外側の三枚は萼(がく)です。従って、二つの三角形が重なった六芒星が基本形となります。バラ科の桜や梅やリンゴは5弁だから五芒星が基本。この二つの星を、あらゆる角度からフリーハンドで綺麗に描くことができなければ、その応用形態である本物の花弁は描くことができません。

 花弁の数が8枚のコスモスは、十字が二つ重なった基本形。花弁が10枚のものは、五芒星が二つ重なったものとなります。花弁がどんなに複雑に見えようが、花弁の付け根部分では基本形なのです。その基本形から、花弁の動きや厚みなどの違う個体差となるのです。

 しかし、五芒星も六芒星も、フリーハンドで自由自在に描くことは簡単ではありません。頭の中で、イメージトレーニングを何ヶ月もやって、初めて綺麗に描くことが出来るようになります。ですから、最初に直方体や立方体から始め、次に円柱で楕円を描けるようになり、それから角錐や円錐でトレーニングします。

 西洋画は概して花が下手ですが、レオナルド・ダ・ヴィンチは例外的に上手です。これは、彼が幾何図形の達人でもあった必然で、東京芸大の油絵科程度ではろくに花も描けません。そういう意味では、花弁がやたら多くて、基本となる幾何図形がイメージできないバラは、西洋画のモチーフにしても粗(あら)が出ないという効果があります。バラばかり描く人は、基本的にデッサン力がなくて誤魔化しているのですよ。

 ということで、円柱の観察の仕方を掲載します。この程度でも理解できない人が多く、大半の人は上の楕円の方を(短径方向に)厚く描きます。また、楕円を直接描かないで、パースの付いた四角(要するに台形)を描き、対角線と十文字で長径と短径を出し、そこから綺麗な楕円を描きます。人の目は左右差があり、また利き目によっても見え方が違ってくるので、画面を逆さまにして何度も補正します。


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韓国全土の渇水と危険な人工島

2012-06-26 14:24:19 | Weblog
 今日は花王の株主総会に合わせたデモが行われました。暑くなった中での行進、お疲れ様でした。でも火曜日というスケジュールでは、参加したくても出来ない人が多いのでは。

 花王不買の引き金になった韓国。昨年はソウルの洪水で大変でしたが、今年は一転して全土が日照り状態です。雨雲はことごとく韓国を避け、最初から役に立っていない気象予報システムのスパコンに八つ当たりとか。でも、このような渇水が続くと、その反動か、巨大な水害が起こるものです。

 昨年のソウルの洪水で、秘かに注目されたのは、漢江に浮かぶ3つの人工島でした→公式サイト。これらは鎖で係留されているのですが、そのうちの数本が切れて、下手すれば切れて流される直前まで行ったのです→こちら。盛岡の夏祭りに舟ッコ流しというものがありますが、巨大人工物が流される姿は祭りの比ではありません。これを見逃したら、せっかく韓国が破綻してもクリープの入っていないコーヒーです。ということで、観賞ポイント(ソウル 月明かり虹噴水 ライブカメラ)を紹介します(映像が出るまで時間がかかります。画面をクリックするとプラグインがインストールされます)。

 ソースは「ニュースミーナ」ですが、独自にグーグルアースで建設途上の施設も発見→37°30'25.01"N/126°58'53.62"E。ソウルは田舎だからなかなか更新されないみたいです。この施設は営業停止状態ですが、管理が出来ないようなら余計に流される危険があります。でも、海を超えて日本に流されて来るのだけはご勘弁。流されてきても、謝罪も弁償もいたしません。

 朝鮮半島の渇水は南だけでなく北朝鮮でも起こっていますが、宗主国の中国でも、あの三峡ダムも渇水で大変だとか。反日が呼び寄せる天の怒り。水神も太陽神も怒ったら容赦無いですから、日本人も他所事ではありません。対岸の火事を眺めて、日本人の魂を清めるきっかけとしましょう。

【韓国】104年ぶりの日照り ソウル市が対策本部を設置[06/19]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1340100706/

【韓国】韓国各地で干ばつ深刻化、野菜が大幅値上がり[06/20]

http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1340151953/

【レコードチャイナ】三峡ダムが深刻な渇水状態、上流の大型ダム群が原因―香港紙[06/09]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1339211998/

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芸大の不正入試

2012-06-25 23:19:18 | Weblog
 ピエタのデッサンをしていると、芸大に入った年の不正入試事件がフラッシュバックして、怒りの成分が多くなって困ります。

 1973年の日本画の試験は最初から荒れていました。一次試験が例年の石膏像ではなく、何とススキやイガグリが置かれた静物だったのです。こんなもの誰も描いたことはありません。しかも、二次試験の着彩は、例年の花ではなくて鳩でした。

 この年に限ってなぜ、試験方法が変えられたのでしょうか。卒業の時に、この年の担当だったH教授は目の前でこう言いました。石膏デッサンは無意味だと。僕は、石膏デッサンに対するあまりの無知に怒り、睨みつけて嫌味をたっぷり言ってやりました。デッサンも分からないエセ教授に、デッサンのことは言われたくありません。

 この教授に対する嫌悪感は、同じく才能のない平山郁夫に対する嫌悪感とは違う独特のものがありました。その理由が分かったのは、民主党政権になって日曜美術館の解説が朝鮮人の姜尚中になったからです。H教授と全く同じ顔(狐顔)をしているではありませんか。何と、H教授も隠れ朝鮮人だったのでしょうか。これで謎は全て解けますけど。

 というのも、この年の試験で合格した連中は、それはもう酷い者ばかりで、武蔵野美大や多摩美大はおろか、女子美も入れないような、見た目からの素人が片手以上もいたのです。また、僕がいた新美だけではなく、他の研究所もトップクラスは軒並み落ちていたのです。二軍級から三軍レベルが合格して、前評判の高かった者は僕と数人を除いて不合格。今でも、この年を下回るレベルはないでしょう。

 入学式の後のアトリエで、一人で腕を組んで目をつぶっていた男はぷっつりと来なくなりました。あまりの場違いぶりに耐えられなくなったのです。しかし、残る低レベル連中は、ずうずうしくも居座りましたね。当然のような顔をして。そりゃ当然でしょう。だって、在日朝鮮人枠で入ったのでしょうから。試験も、彼らの低レベルでも誤魔化しの利くモチーフが選ばれ、また主犯を迷彩で隠すカモフラージュ要員も何人もいたと思います。

 当時の芸大日本画の派閥は、院展の平山郁夫が中国派。同じ院展でも吉田善彦教授が正統日本画。訳の分からない創画会の工藤派と、同じ創画会の朝鮮派閥のH派となっていたのでしょうか。この中で最も弱いのがH派で、自分の立場を強くする子飼いを試験で選んでいたのでしょうね。

 吉田善彦教授は、僕が卒業制作になかなか顔を見せないので、初めて描きはじめたら廊下をパタパタ(スリッパ)と走ってきてこう言いました。精一杯の笑顔で、「あなたが居ないと締まりませんね」と。そして、卒業後に奈良の古美術研究施設にいらっしゃった時に訪問したら、喜んで僕の手を引っ張り、先生好物のマロングラッセを僕の手にてんこ盛りに持って「さあ、お食べなさい」と何度も言いました。かつてのクラスメイトも目撃しています。

 僕はこれらの厚遇に感謝しつつも、吉田先生が僕に何を期待していたのかは悟れませんでした。今に思えば、吉田先生は、芸大が汚鮮されている危機感から、僕に正統な日本画を描いて欲しかったのかもしれません。その後、同級生のグループ展で、少し遠くからですが吉田先生ご夫妻に頭を下げて挨拶できて良かったと思います。

 その怪しいH閥で入った男ですが、朝鮮人の多い東京の北に住み、朝鮮人の好む格闘技部に入り、朝鮮人のようにエラを広げて大学院でもイラストを描いていました。線を引いて色で塗るだけの仕事は、芸術的な絵画ではなくイラストなのです。僕はイラストだと嫌味を言ってやりましたが、当時に在日のことを知っていたら喧嘩になっていたでしょう。一度やりかけましたけど。

 予備校の新美の時から疑問だったのですが、やたらに在日の生徒が多く、おそらくは民潭や総連が文部省と取引をして、在日枠を確保したのだと思います。それで構成員に号令がかかり、子弟の美大志向が強まったのだと思います。武蔵野美大出身の島田荘司も在日臭いですし。しかし、僕の真似ばかりして、そこそこうまくなった男は何年も合格しませんでしたから、少年院に入ったとかの犯罪履歴や、その他の北か南かなどの不合格基準があったのだと思います。

 ということで、怒りと闘いながら描き進めているピエタ。まだ七割ですが、途中経過を公開します。芸大の石膏室でミケランジェロのモーセ像を描いて以来の石膏デッサン。最初は木炭削りの犠牲にするためにいい加減に描きはじめたものですが、途中から本気モードになって、ファンデーションが終わったあと、最終的な形の決定の作業です。細部を掘り起こす前段階のトーンの調整を、僕はファンデーションと呼んでいます。


できるだけ遠くから見てください。離れれば離れるほど空間と立体感が分かります。

 僕のデッサンの特徴は、木炭は落雁の質感になることで、これは家がお菓子屋だったことから、木枠から外したばかりの落雁が好ましい色となっているからです。だから、僕のデッサンはどこか甘い香りがするのです。

 また、もうひとつの特徴は、霧の中から現れるように形が決まって行く事で、石膏と空間の両方を同一視してトーンを乗せていることから生じる現象です。イラストには空間がない。このデッサンは空間が最優先される技法です。だから、初心者は絶対に真似しないでください。背景を描かないで形が取れるようになるまで、この技法は封印されるべきものです。

 ファンデーションから形を修正しながら仕上げるには、木炭の細くて硬いものをピンピンに尖らせ、擦筆とパンや練りゴムなどで細部描写をします。そうするとバランスが崩れるので、また大きなトーンを見直し、再び細部描写を続けます。しかし、眉や額からベールにかけてなど、隔たっているものを一つの形としてトーンを乗せている部分が多数あり、トーンを大きく見る勉強になるので、参考作品として掲載しました。細部描写なら鉛筆のほうが何倍も楽です。

 顔の表情などは、頬のラインや、眉からまぶたに出来る陰影の線一本でガラリと変わります。右目は悲哀系に振って右下がりのラインを強調して描いています。左目から頬と周囲のほとんどは描いていないので、右目とともに最終的にどうなるかわかりません。首からベールにかけてと、手前のコスチュームも手付かずなので、空間を壊さないように描いて行きます。

 このデッサンは、百人の人が見ると、表情が百通りに感じられると思います。耳なし芳一のように、成仏できない無数の霊が絵を通して天に昇るからです。イーゼルはヤコブの梯子であり、天への階段なのです。だからこそ、痩せるほどのエネルギーも必要となるのです。だからと言って恐れることはありません。霊を閉じ込めているわけではなく、逆に解放しているからです。僕はこうやって徳を積むのです。

 なお、モデルと資金があれば、人間のモデルのほうが良いのは当たり前です。石膏でこれだけ描いて行けるということは、人間なら人間らしく描けるということです。レオナルドはモデルと楽団を雇う資金に不足しませんでしたからね。

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マリアが見ていたもの~ピエタの正解

2012-06-24 00:04:09 | 古代史と聖書
 今回の問題は、純粋に観察力が試されるものでした。ミケランジェロはなぜ、このように刻んだのか?石膏像でそのように感じられるポイントは一カ所だけです。それは、マリアの頭の後方のベールです。

 このベールは、マリアの顔を除いて見ると、向かって右側を向いていることが分かります。マリアから見て、左斜め方向を向いているのです。従って、マリアは今の姿勢の前に、左斜めを見ていたことが分かります。ここから、マリアはベールを脱皮のように置き去りにするほど、強く速く、顔をイエスに向けたことが分かるのです。

 マリアの向かって右の顔は怒りが消えていません。それを表すのが、ベールの(向かって)右半分の険しい屹立なのです。まるで、人を拒む冬山の氷の崖のように屹立したベール。実際に描いてみると、極めて異質な感じが否めず、絵画的な処理に困ります。予備校生程度の実力だと、完全に浮き上がるかもしれません。

 では、マリアは左斜めに何を見ていたのか?それは回答者が現れたように、左に象徴されるサタンに属す側。イエスを磔刑にした為政者やサンヘドリンと呼ばれた祭司たちです。もっとも、実際の場面では既に居なかったでしょうけど、ミケランジェロはベール一枚でマリアの敵を暗示したのです。

 マリアには誤解が多いですが、イエスの激しい気性から考えて、その血はマリア譲りだと考えられます。小柄で強気で目がパッチリしていたマリアは、年の離れた夫のヨセフがカワエーと萌えるタイプだったと思います。そんなマリアが、怒りの矛先を納めて、預言されていたイエスの死を受け入れたのです。それが、向かって左側の魂が抜けたような顔なのです。

 このように、ミケランジェロは脱げ落ちそうなベール一枚で、マリアが直前に見ていたものとマリアの動きを表現したのです。モーツァルトが、交響曲第35番の第一楽章で「火の出るように」と演奏の指示を出しているのと同様に、芸術にはパッションが不可欠です。優雅さとか、慈悲深さだとか、美しさだとか、そのような建前のようなマリア像は、ミケランジェロの好みではないのです。ミケランジェロは火の玉の情熱を持つリアリストで、綺麗事の妄想家ではなかったという事です。


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正しく見ることの難しさ

2012-06-23 11:20:10 | Weblog
 昔に大阪で教えていた頃、向こうには私立美大がたくさんありましたから、普通の大学は絶対無理という超低レベルの子供を、無理やり美術系に押し込もうという親が大勢居ました。完全に美術を誤解していますね。でも、大阪芸大なら誰でも入れますから。

 美術はスーパーコンピュータが最も苦手とする分野で、いまだに強弱と勢いを付けた線を引くことができません。優れた画家が線を引く時、そこには強弱だけではなく、スピードの変化と筆圧の違いもあるのです。特に、スピードの変化はコンピュータでは数値化できません。もっとも、平山郁夫みたいな、単調で硬質な線を引くのは出来るかもしれませんが。コンピュータの描く線は、厳密に言えば線ではなくドットの集まりか、計算で出したものなのです。

 しかし、コンピュータが優れている場合もあります。それは見るということです。コンピュータの目はCCDなどの個体撮像素子であり、最初から長方形の中に人間で言う網膜が収まっています。トンボなどの目は、このCCDのようなものが外に湾曲配置されたもので、大きくて重い水晶体というレンズがないので、飛ぶ時に有利な軽量化ができるのです。

 CCDは、最初から四角いので、構図で形が歪(ゆが)むことはありません。水平のものを斜めに見ることはないのです。しかし、人間は水平に見ることだけで四苦八苦する生き物です。デッサンを学ぶ初心者の90%は、この水平が理解できないのです。

 静物を描くとき、モチーフは正方形の台の上に置きますが、初心者はまず台の稜線の角度が違ってきます。特に、メガネを掛ける人は、フレームのラインとの相対的な角度で見るため、余計に角度が狂いやすくなります。台の稜線の角度を見る場合、イーゼルをモチーフに正対させ、イーゼルの横棒に対する角度で測るしかありません。しかも、顔は正面を向け、決して目の端で見ないという前提があります。

 デッサンで形の取れない人は、姿勢が悪く、物を正面で見ないで、斜めに構えて見ています。何を見るにしても、斜めから見るのです。これは左翼脳や放射脳のように、心と霊性によって脳が偏向しているからです。

 また、そのような人は、イーゼルをモチーフから遠くに置こうとします。ひどい人は、モチーフが左肩の方角に来るようにイーゼルを設置します。これでは、正しく見しようとすると、首を90度も回転させねばなりません。人はフクロウのように優秀ではないのですから、目の端で見て目の端で描き、メチャメチャに形の崩れたデッサンになります。しかし、本人は正しいと思っているのですから余計に困ります。

 正しく見るためには、必ず顔をモチーフに正対させ、イーゼルはモチーフに出来る限り近付けて、目の移動距離を最小にします。その上で、常に水平線と垂直線に対する角度で測るようにします。間違って描いた台の稜線との角度で測ると、間違いの上塗りになりますが、大半の人はこれをやります。救いようがありません。

 メガネをかけている人は、1インチ程度の長方形の穴を切り抜いた紙を用意し、これを左右のレンズに貼って視野を狭めます。こうすることで、歪(ひずみ)の多いレンズの端や目の端で見ることができなくなり、いやでも顔をモチーフに正対させることになります。また、常に水平線と垂直線が見えているので、角度を間違うことがありません。競馬のブリンカー効果です。

 間違った形を自覚する方法ですが、普通の人は逆さまにしたり鏡に映して見る事で、間違いに気付きます。間違いの大半は左右の不均衡なので、逆さにすると不均衡が倍に拡大するからです。これでも分からない人もいるので、そのような人は、ガラスかアクリルの透明な板を用意し、その板をモチーフに正対させて、透けて見える光景をホワイトボード用のペン(要するに消せるもの)で描きます。これは透視図です。これを紙に描いたデッサンの上に置き、比較することで間違いが分かります。

 デッサンは目の訓練ですが、厳密に言うと、目から入った情報を処理する脳の訓練なので、脳のシナプスが形成されるまで時間がかかります。最低でも三ヶ月は正しく見る訓練として必要です。トーンとか立体感は半年後に分かってきます。芸大レベルは二年は必要です。

 何も訓練されていない日本人の九割以上が、正しく見るということができていないわけですが、美大生の大半もできていないので、むやみに落ち込む必要はありません。東京芸大の工芸科を出ていても、倒れた缶の楕円を正しく描けない人がいる世界ですから。知らなかったことを知ることが出来る。出来なかったものが出来るようになる。その第一歩が正しく見るという姿勢なのです。

 ということで、姿勢の悪い人は姿勢を正すことからやり直しです。

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ピエタの難易度

2012-06-22 06:37:26 | Weblog
 ミケランジェロはピエタを幾つも作っていますが、最初のピエタは気に入らなかったのでしょうか?

 これは憶測ですが、このピエタには原型があると思います。それは、レオナルド・ダ・ヴィンチの『岩窟の聖母(ルーブル美術館蔵)』のマリアです。なぜそう思うのかですが、実際にデッサンをしてみて、いつの間にか岩窟の聖母を描いている自分に出会うからです。特に、向かって左の垂れた髪(ピエタではベールを被っている)は、ピエタでは頬より遠くに位置しますが、描いていると岩窟の聖母のように手前に表現したくなります。また、目も岩窟の聖母のようになってきます。

 岩窟の聖母のマリアは、首を左に傾げています。これもピエタと似ている所です。ですから、ピエタの依頼者は、ミケランジェロに岩窟の聖母に似せるように指示したと考えられるのです。実際に、ルーブル版の岩窟の聖母は何年も前に完成していましたし、ミケランジェロのレオナルド嫌いの説明にもなります。芸術家はプライドが高いですから。

 しかし、ミケランジェロのピエタには、幾つかの独創的なポイントがあります。まず、マリアの年齢です。イエス磔刑時のマリアの年齢はおそらく56才。ミケランジェロのマリアは、ホッペタの張りからどう見ても16才前後です。また、しっかりと閉じた口も処女性の強調に思えます。処女マリアという幻想は別として。

 この口は、少し前に突き出ていて、お世辞にも美人のそれではありません。また、表情自体も仏像のようであって、一見すると穏やかです。しかし、目を見れば分かるように左右で顔の表情の差が大きく、向かって左の「諦めや悲しみ」に対し、向かって右は「静かな怒り」に見えてきます。固く結んだ口は、苦渋と言うか、じっと耐えている表情なのです。

 マリアに抱かれるイエスの肩を見れば分かりますが、イエスの右上腕は付け根で脱臼しています。十字架上で、自らの体重で肩関節が外れるのです。また筋肉に力が入らなくなっているために、マリアの指が食い込んでいます。これほどリアリティにこだわったミケランジェロですから、実際に磔された死体も見ているのでしょう。

 このように複雑な造形と感情の入り混じった作品ですから、決して美人ではないマリアから独特の美しさが醸し出されるのです。従って、描く立場で言えば難易度は特Aです。難しいと言われるブルータスはAですから、初心者は間違っても買ってはいけません。初心者はアバタと呼ばれるビーナスか、ラボルドかミロのビーナスで修練を積んでください。飾っておくだけなら別ですが。

 さて、ここで問題です。このピエタの被るベールには、極めて特徴的な表現があります。ミケランジェロはなぜ、このようなベールの形にしたのか?石膏像を見ただけで分かります。これが分かれば、美術鑑賞眼に長けています。心理学者の素質アリです。答えは宝塚記念の日曜日に書きます。ヒント?それは動きです。

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平御幸のデッサン講座~第3回 遠近法

2012-06-21 09:54:31 | Weblog
 遠近法とは、いくつかある透視図法の総合的な呼称です。パースと言ったほうが馴染みがあるかもしれません。幾何形体は例外なく透視図法で正しくなければならず、お皿やティーカップなどの工業製品でも、その支配下にあります。

 従って、幾何形体を描かせてみれば、作者の工学的なセンスが露呈します。デッサンは、観察力における工学的な頭の働きと比例するのです。僕は小学校後半の愛読書が『自動車工学(おそらく)』でしたから、デッサンの勉強をするようになっても形で苦労したことはありません。

 僕が創りだした名言に、「作るものの立場で見ろ」というものがあります。工業製品でも何でも、自分が作る側で見ることで、観察力が何倍もアップするのです。どんなに複雑な工業製品でも、必ず設計図があり、その設計図を引いた技術者がいるのです。その技術者の苦労に比べれば、出来上がったものを観察して描くなど大したことではありません。

 透視図法については独自の勉強するしかなく、ここでは補助的なアドバイスに留めます。とは言っても、極めて大事なことですが。

 透視図法で大事なのは、比例関係や角度を測る方法です。デッサンの場合は、自転車のスポークを利用した測り棒を使いますが、これが正しく使える人は数%です。大半の人は、何を描くにも測り棒を床に垂直にして使います。

 しかし、この方法が有効なのは、モチーフが目の高さにあるときだけです。石膏の大半は目より高いところにあり、静物画の場合は目より下になります。この状態でも律儀に床に垂直にしている生徒は夥しいほど。これで天井にあるものを測らせたら、測り棒の直径しか見えません。

 測り棒の正しい使い方は、モチーフと目との間を結んだラインを直角に切ること。手首は固定したまま腕を伸ばし、肩の軸回転だけで測り棒を上下させます。また、同じ事は、構図を決める時に使われる、十字を描いたフレームにも当てはまります。このフレームを、先と同じように床に垂直にして静物を眺めている生徒は、構図の最初の段階で失敗しているのです。

 さて、遠近法には空気遠近法というものもあり、遠景をぼかすことで距離感が表現できます。予備校では、これを静物の花でも使い、遠くの花はぼかして、近くの花は克明に描くなどします。しかし、僕はこの技法に疑問を持ったので、独自の仮想逆パースを考案しました。

 逆パースとは、源氏物語絵巻などに代表される、日本独自の空間表現です。名前のように、遠くに行くほど広がるのです。西洋のパースは奥に行くほどが狭くなりますから、立体感を表現する利点とは別に、心理的に圧迫された感じが否めません。絵を観る人は、絵画の外から眺めるだけです。対して逆パースは、絵を眺める人は、自分も絵の中の空間に引き込まれるのです。だから心理的に自由な遊びが出てくるのです。

 この逆パースを工夫し、僕は遠くにあるものをぼかさず、極めて克明に描くことにしました。ただ、手前のものと差別しないと空間が感じられないので、僕は絶対的な位置関係という技法で対処しました。

 絶対的な位置関係とは、自分の目からの距離を感じさせる技法です。花が目から1mの位置にあれば、絵を見た人が同じ1mとして感じられる表現。口で言うのは簡単ですが、実際に描く場合には相当な力量が必要となります。この表現方法で遠くの花を描いた場合、ぼかさなくとも遠くにあることが感じられます。従って、絵を観る人が遠くの花を見る時は、手前の花よりも先にある空間に誘われるのです。逆パースと心理的に同じです。

 僕は、このような技法を誰にも話しませんでした。話して理解できるレベルの人は空気遠近法で満足していましたから。だから、僕の絵を見た時に何かが違うという感覚には陥ったと思います。

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平御幸のデッサン講座~第2回 月と反射光

2012-06-20 05:22:19 | Weblog
 デッサンの勉強をする場合、最初に描かされるのは石膏の幾何形体です。なぜかと言うと、人体でも花でも、幾何学的な構造が根底にあるからです。また、幾何形体には立体感の表現の基本となる要素が凝縮され、複雑な彫刻でもこの基本から外れることはありません。

 立体感の説明として一番分かりやすいのは月です。夜空に浮かぶ欠けた月は、なぜ立体的に見えないのでしょうか?立体的に見えないからこそ、古の人は平らな円盤だと思ったのです。

 その理由は、月には反射光がないからです。月の表面には太陽からの直接光だけが当たり、陰と影の部分は真っ暗になります。これは地球上では起こらない現象です。なぜかと言うと、地球上のありとあらゆる物が反射光を浴びているからです。具体的な例を上げましょう。下の画像は白い箱ですが、片方は台紙と壁を赤くしています。その結果、何もない場合は青白く感じた陰の部分が赤く染まっています。この赤く染めたものが、台と壁からの反射光です。


反射光の部分は明るく彩度が低い


このように反射光の部分は赤く染まる

 古いデッサンの技術書では、この現象を光の回折(かいせつ)で説明しています。大阪で教えていた時に、武蔵野美大の油絵出身の先生が回折ではないかと質問してきました。そこで、赤い布切れの付いたハタキを石膏像の近くに持って行ったら、石膏像の陰の部分が赤くなったのです。生徒が驚くほど一目瞭然でした。ちなみに回折とは、光や音で起こるエッジでの乱反射で、スピーカーの場合にも、バッフルの角で音の乱反射を起こし、音を悪くすると言われています。乱反射では月の陰が真っ黒になる説明は出来ません。


石膏では顎の下や鼻の下などが反射光で明るくなる


顎の下だけでなく、頬などは全体が赤く染まっている
胸の切り口は、黒い台座が剥き出しの所は反射光も黒い


 もしも、月の近くに反射光を投影する物体があれば、月の陰の部分はほのかに明るくなり、立体感が感じられるようになります。では、反射光をデッサンではどのように表現すべきか?それは、木炭でも鉛筆でも、彩度を下げてやれば良いのです。

 デッサンの基本として、明度の変化は誰でも付けますが、実は彩度の変化が重要なのです。同じ明るさでも、彩度が下がると引っ込みます。絵の具の場合は、ホワイトを混ぜれば彩度は下がりますから、遠景を表現したい時はホワイトを混ぜます。

 木炭で彩度を下げるには、ガーゼで擦るのが有効です。鉛筆の場合は、同じように擦るか、3H以上の硬い鉛筆で描きます。一口に彩度を下げると言っても、多様なやり方があり、僕は一度練りゴムで抜き取ってから指で擦っていました。練りゴムで紙の表面を傷めることで、木目の細かい色調になるからです。逆に言えば、明るい部分のトーンの変化は余り擦らないで、鉛筆や木炭の生の色を使うと有効。こうして、「明るい・暗い・反射光」を描くことで立体感が出てきます。

 また、トーンの変化は、マス目を塗り分けるグラデーションで、デジタル的に理解できます。グラデーションを作る場合、マス目を一個ずつ塗ったら失敗します。最初に一番黒い色から白い色まで、一気呵成に塗るのです。だから、最初だけが強くて、あとは惰性で弱くなる感じです。このようにして作ったベースを、マス目で分割して修正すれば綺麗なグラデーションが出来上がります。

 グラデーションの性質として、境目が強調されるという現象が起こります→こちら。隣接する色面で、濃い側の端はより暗く感じられ、薄い側の端はより明るく感じられます。絵画は目の錯覚を利用する芸術ですが、グラデーションも目の錯覚なのです。これを積極的に利用することで、石膏デッサンでも色面の変化を強調できるのです。

 今回のまとめとして、以下のようになります。

1.立体感を出すには「明るい・暗い・反射光」を観察して描き分ける。
2.反射光は、擦るか硬い鉛筆で彩度を落とす。
3.グラデーションの基本は、「境目が強調される」という現象。
4.以上により、陰の最初の部分が強調され、そこから一気に反射光となる。
5.反射光の部分は明るく見えても、光が直接当たる部分よりは絶対に明るくはならない。
6.トーンの変化を見るには、目を極限まで細くして観察する。

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平御幸のデッサン講座~第1回 イーゼルを作ろう

2012-06-19 15:29:08 | Weblog
 読者の一人が毎日デッサンをするというので、こちらも支援体制を整えることにしました。読者は全くの素人なので、本当に一からの始まりです。

 まず、デッサンと言っても鉛筆と木炭の二つあります。鉛筆は線や形を掘り起こす作業に強く、熟練すると石膏デッサンも彫刻刀で木を削る感覚で出来るようになります。

 対して、木炭の場合はトーン(調子)の表現に優れています。特に、木炭を指で叩いて紙に押し込んだり、ガーゼで擦り込むことで、立体感や空間を容易に表現することができます。鉛筆デッサンが彫刻刀にたとえられるなら、木炭デッサンは塑像に粘土を指で塗る感じです。

 デッサンに必要な用具は、鉛筆の場合にはステッドラーの3B~4Hと、練り消しゴム(練りゴム)と消しゴムです。ステッドラーは高価ですが、指で擦る技法で威力を発揮します。レオナルド・ダ・ヴィンチのスフマート(Sfumato)という技法は、薄い色の塗り重ねですが、鉛筆の場合にも何重にも重ねて色彩感を出すことができます。鉛筆は芯が丸くならないように、常に尖らせておきます。

 木炭デッサンの場合は、木炭の種類がたくさんあるので、自分で試して指に合うものを選ぶしかありません。大面積用に柔らかく太いもの、トーンを描くのに良い柳製のもの、細部描写には細くて固いものを選びます。いずれも、アルミなどが巻いてあれば剥がし、専用の用具で木炭の中心の黒い芯を抜き取っておきます。

 他に、木炭紙とカルトンとガーゼと食パン。食パンは消しゴム替わりですが、予備校の時は空腹時にかじったものです。糖分の少ないものがベスト。糖分が多いと木炭紙が汚れます。ガーゼは、軽く叩いたり擦る時に使います。それから、木炭で床が汚れるので養生は大切です。

 木炭デッサンで欠かせないのがイーゼルですが、これは高価だし、丈夫なのは置き場所に困るので自作します。棚を作る時に使った、18ミリの切れ込みの入った120センチ高の脚が2本(大作を制作するなら180センチでも一向に構いませんw)。支えとなる90センチ高が1本。ヒンジが一個。カルトンを乗せる横木と、左右の脚を連結する板が三枚とネジ少々。

 今回はミニミカエルを作った時の450ミリ幅の余り板を活用したので、ネジが25ミリでも少し長く、ワッシャーを二枚重ねにしてネジが裏に出ないようにしました。脚のネジ穴は最初から設えてあるので便利ですが、長いネジが使えないのは想定外でした。ネジ穴は微妙にずれていたりするので、現物合わせが良いでしょう。



 支え木となる90センチ脚は、ドア用のヒンジで固定します。今回は三穴の物を使い、本体側と合わせて6個の穴。向かい合った三角形でイスラエルの集合を表しています。支え木を固定する板は、部分的に二枚重ねにして、ネジ穴が貫通しないように配慮。ネジは5ミリ径の16ミリ長です。ヒンジと同色のガンメタルブラックが手持ちにあったので、それを使いました。強度は十分です。支え木の切れ込みには、紐を付けて本体の横木と結び、脚が開き過ぎて倒れるのを防ぎます。



 カルトンを乗せる横木ですが、9ミリ厚の板を二枚重ねにして挟み込むだけでも落ちません。しかし少し緩いので、何かで楔(くさび)を打ち込めば万全です。神の契約を想起させます。描いている最中にカルトンが横木からずれて落下が心配な人は、横木に出っ張りを付けておけば安心です。画鋲でも大丈夫です。カルトンの大きさや椅子の高さによって、横木を差し込む位置が変わります。カルトンは、木炭紙大が一つは必要。木炭紙を曲げないように保存するためです。画用紙用にハーフサイズもあれば便利。





 木炭紙は、木炭を削るために一枚は犠牲が必要です。最初に失敗したものを使えば一石二鳥ですが、実際には削った木炭が上に重ねた一枚に転写するので、二枚は犠牲になります。木炭紙は指で叩いて木炭を押し込むためのクッション領域が必要で、最低でも5枚程度は重ねて使います。一番下の二枚は犠牲ですが、出来上がった作品は下に敷くと劣化するので製作用のカルトンから外して保存します。

 鉛筆でも木炭でもパステルでも、最後はフィクサチーフと呼ばれる定着スプレーで固定します。メーカーによって名前が違いますが、頭を固めるヘアスプレーと原理は同じです。かけすぎてシミにならないように注意。ガス警報機と狭い部屋でのガス中毒にも注意。

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ピエタ~贅沢な勝利の女神

2012-06-17 17:56:04 | Weblog
 一週間かけて、部屋の片付けが終わりました。石膏像を設置するためです。とは言っても、本棚作りから始め、FM FANなどは出版年順に整理。トランジスタなどは型番ごとに小分けの袋に入れ、取り外しパーツもデータを記入するなど、想像以上に大変でした。

 前からやろうと思ってズルズルと放置していた、壊れたテスターの修理や、遺失物の捜索などもやり、ヤマハの貴重なFETも無事に発見。スピーカー工作で出た余り板も赤マジックでサイズを記入して整理。最後に残った仕事は、石膏像を乗せる台の製作です。

 石膏像はミケランジェロのピエタの首なので小さいのですが、常設のスクリーンが白いので、その枠の中に収めなくてはなりません。最初は余り板を有効活用できるように、ケーヨーデイツーに行って木材を物色したのですが、多目的の組立ボックスが目に止まりました。これならスペースに工具も収められそうですし、798円と兎に角安い。

 それで持ち帰って組み立てし、石膏を乗せてみたら、ピエタの表情が硬い。ピエタは下から見上げると表情が豊かになるのです。それで、昼ごはんのついでにスワローズのリアルタイム実況を観たら、5回と6回にちまちまと点を取られて負けています。勝利の女神は何が気に喰わないのだろうとしばし考え、はたと気がついたのはピエタの台座。やはり安物ではダメみたいです。

 競馬でグルヴェイグが勝ったので、気を取り直してもう一度ホームセンターにキコキコ。今度は脚8本と焼桐板2枚で7770円のゾロ目。値段が10倍も違います。持ち帰って野球の実況を観たら、何と9回2アウトからバレンティンの3ランホーマーが飛び出して逆転していました。やはり勝利の女神は贅沢です orz。



 勝利の女神は、ヨセフならアセナテのようなもの。ヤコブならラケルです。アセナテは祭司の姫君なので、牢獄暮らしの長かったヨセフとは正反対。幸い、ヨセフは持って生まれた高貴さで、牢獄暮らしでも品が下がらなかったようで、アセナテと共に古王国の見事な芸術を生み出しました。ともすれば質素になるヨセフの尻を叩いたのはアセナテなんでしょうね。

 ということで、ようやく石膏像も設置し、少しずつ絵を描く感覚を取り戻したいと思います。それにしても7770円とは、神様は雲間から顔を出した太陽の中で、きっとほくそ笑んでいたんでしょうね。

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格と塩梅

2012-06-16 06:17:29 | Weblog
 皇室の家紋の中にケルビムと蝶を見つける問題。まだ自己申告待ちですが、おそらくは2つとも分かった人はゼロなのでは。ケルビムについては、三笠宮に辿り着いても、そこから逆さまに見ている人が大半でした。カッバーラの基本は鏡像反転で見ること。鏡に映せば、見えなかったものも見えてくるのです。これは石膏デッサンで形を修正するときにも有効です。

 常陸宮の蝶は、羽を広げた姿を真正面から見るという、90度回転させた視点が必要でした。不正解者は、蝶は上から見るものという先入観が邪魔したのです。このような先入観、決め付け、思い込み、見たいものしか見ないという願望、これらが素直な目を曇らせているのです。5分で見えなかったら、いくら考えてもダメなことが多いのです。

 このように、読者の大半は「下手な考え休むに似たり」を実践したわけですが、おそらくは僕よりも生真面目なのです。僕は皇室の正式な名前も覚えていないし、秋篠宮の長男の名前も覚えようとしてもすぐに忘れるので、諦めて覚えないことにしています。三笠宮の亡くなった殿下も読み方を忘れて分かりません。僕は天才ですけど、名前と英単語と公式は天才的に覚えられないのです。覚えられたらハーバードでもどこでも行っています。

 僕は、おそらくは子供の時の事故で脳の記憶領域に欠陥があり、それで日本を離れないで古代史の謎解きをするに至ったのです。これは日本にとって幸いです。NHKの大河ドラマの前身として、土曜日に『鉄砲小弥太』を放送していましたが、5才の僕は小弥太という字も認識していましたし、鉄砲を種子島と呼ぶことも理解できていました。ただ、鉄砲を撃つ場面は怖じけていました。いまだに覚えているのだから、記憶障害が起こったのは小学校に入ってからですね。

 ところで、今回不正解だった読者から、どうやったら見えるようになるか、良い訓練方法はないかとメールがありました。これには直感力を鍛えるしか方法はありません。直感力を鍛えるのは、何事にも格付けや重み付けを与える目を養うのと同じです。今回の場合、秋篠宮を除くと、宮家の格付けとして三笠宮と常陸宮が抜きん出ています。他の宮家に目が向くことがそもそもの間違いの元なのです。また、デザインされた線や形にも重みの違いがあるのです。

 僕は競馬でレイティングという言葉を使いますが、レイティングの正しいあり方は、デビュー戦を見ただけで、その馬の能力値を推理するというものです。もちろん、晩成血統の場合にはデビュー戦で負けることも多いのですが、レイティングを与える事で相馬眼を鍛えることになります。競馬と格付けは切っても切り離せないのです。

 このような格付けの世界の代表が美術です。美術は、作品の放つ数々の要素を通して、作者の才能の輝きに価値を与えるのです。だから、売れているか売れていないかではなく、また世間的な評価が高いか高くないかでもなく、純粋に自分にとって価値があるかないかが自問されるのです。才能のない者が、才能のある者を直感で見抜いて、嫉妬したり邪魔する世界でもありますから、天才は常に孤独となります。

 才能のない者は、才能ある者に道を譲ることでしか徳は積めません。才能ある者を証しすることで、才能ある者の先にある神を証しできるという、この悲しい現実が才能のない者の宿命なのです。しかし、現実には才能のない者の下克上が一般的です。でも、天才というのは、神を証しするのが宿命なので、才能のない者の下克上も世俗の醜聞に過ぎないのです。天才は神を見ているから天才なのですから。

 では、直感力を鍛えるにはどうすればよいか?まず、計量という行為からやめましょう。特に料理では塩梅が大事ですから、調味料をスプーンで量るなど愚の骨頂です。塩加減や醤油加減は量らないで、手でさっと決めましょう。ご飯を炊くときも計量カップは使わずに、適当にお米を入れて適当に水位を決める。何度か失敗すれば塩梅は分かります。計量に頼るのは、生地やあんこやクリームを作るときだけですね。

 頭の使い方としても、「こうでこうでこうなるから」という垂直式の考え方だけではダメです。仮説を立てて、「もしもこうならどうなるか?」という奥行き式の推論が必要です。加えて、二つ以上のものを比較する水平的な考察。これで三次元的な立体思考が育まれるのです。日本人は特に二つ目の仮説が苦手です。苦手だから、単に仮説にすぎない進化論をありがたがり、真理であるかのように信奉するのです。

 垂直式の考え方は、学校で習ったことを金科玉条とする人に多く、僕のように学校の先生は馬鹿だからという顔をして立たされ坊主になった人は、二番目の仮説に長けているのです。学校は、未来の天才を馬鹿な教諭が潰す、本当にろくでもないところですからね。こんなところから立体思考が出てくるわけがありません。

 ということで、物事を多角的に見られない人は、下手でも良いから絵を描いてみるのが良いのです。見えていないものは描けないし、それが自分の見ている世界の全てなのですから。自分の限界が見えるのが絵の恐ろしい所です。石膏像を逆さまにしたり後ろから描くのも、自分を別の観点に立たすという意味があるのです。立場を変えれば見え方が変化する。自分の立場に固執する人は、常に一方向からしか見えない(見たくない)ということですね。

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天の戦車~メルカバー

2012-06-15 07:57:27 | 古代史と聖書
 12日の問題の回答を提示します。次のように見えたら正解なのです。


三笠宮家紋のケルビム
Y字の交点が帯の結び目で、一番下の波は正座の膝頭



常陸宮家紋の蝶
蝶結びと言うように結び目がすでに蝶を表す


 三笠宮のケルビムは、翼を持つだけでなく、冠(烏帽子)に衿の付いた着物、それに帯の結び目まである完璧な姿です。三笠宮は、流暢なヘブライ語を修得されたほどなので、カッバーラについても知識はあったと思います。

 これが見えないとは信じられないニダね、失格者は全員反省汁www  < `д´ >。

 対して、常陸宮の蝶は、平家の家紋である蝶を知らないと連想できないかもしれません。逆に言えば、家紋には平家の蝶をイメージさせる狙いがあり、そこには平家のルーツである北イスラエルのエフライム族を想起させる目的があるのです。常陸は北イスラエル系の鹿嶋神宮の本拠地であり、遡れば佐渡から大陸へと続くのです。

 北イスラエルというと、現在の天皇は北イスラエル系であり、皇太子ではなく秋篠宮に北イスラエル系は続きます。その根拠は、最近になって取り沙汰された火葬です。火葬は天武・持統陵が始まりで、これは北イスラエル系の救世主思想である仏教の影響です。天皇陛下も火葬をすることで、北イスラエル系であることを暗示されているのです。従って、昔みたいな諡だと◯武天皇となるのです。

 秋篠宮は高野槙(こうやまき)がシンボルですが、高野槙は日本にしか原生せず、朝鮮半島で発見された武陵王の棺にも使われていました。これは、百済が日本の統治下にあったことを意味します。また、百済の都であった熊津は、現在の朝鮮読みのウンジンではなくコムナル(古莫那羅)が正しいのです。ですから、日本の歴史教科書で朝鮮読みをするのは間違いです。

 秋篠宮の高野槙は、マキで牧を連想させ、さらに羊飼いの牧夫を連想させる狙いがあるのかもしれません。しかし、持統天皇(ウノノサララ)の宇野は広大な牧場とも考えられるので、槙を牧柵に見立てたデザインからも、持統天皇とのつながりが感じられます。

 蛇足ですが、皇太子妃について鬼女が三代前がどうのこうのと勘違いしていますが、戸籍のない八咫烏が平民になる場合、八咫烏と云えど結構メンドイという事です。八咫烏は基本的にイエスの弟子の祭司集団。イエスを十字架にかけたサンヘドリン(Sanhedrin)も祭司集団ですが、祭司は金で象徴され、第13部族と位置付けられるので、これが13日の金曜日として宣伝されたのです。従って、二つ目の答えはこれです。

 さて、宮家の家紋は十四菊花紋ですが、これは7×2で、7つの角を持つメノラー(七支樹)と呼ばれる二本の燭台を表しているのです。また、メノラーは基本が牛の角であり、変化したものが春日大社の鹿の角なのです。鹿の場合は「然(しか)り」も暗喩していますが。

 天皇の十六菊花紋は、四四十六でユダ族の獅子を表します。これで、エゼキエル書に出てくる天の戦車メルカバーに描かれる4つの生物、すなわち「人(南)・獅子(東)・牛(西)・鷲(北)」が揃いました。もちろん、宮家の四方の菊は戦車の車輪です。人と鷲が居ないって?それはケルビムの顔と鷲の翼です。

 このように、天の戦車とは皇室そのものを指すのですが、これが世界に拡大されると、獅子(英国)、牛(インド)、鷲(ロシア)となるのです。ロシアの軍旗は鷲に竜退治のミカエルです。人が足りないようですが、これは自由の女神を掲げる米仏のどちらかでしょう。こうして、皇室外交で培われた親日本の各国が、竜に象徴される中国を包囲しているのです。中国の属国である韓国は、当然のように竜の子分扱いですね。

 それにしても、今回の問題に対しては不出来すぎです。完全な合格者がゼロはひどい。「人は見たいものしか見ない」という典型的な例題になりましたね。答えを書かなかった者は論外です。間違っだけ救いがあるというものです。

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ケルビムを探せ

2012-06-12 09:47:53 | 古代史と聖書
 試聴会でへたへたに疲れた関係者諸君。そろそろ回復したと思うので、恒例のクイズを出します。「皇室の家紋にケルビムを探せ」がテーマです。

 宮家の家紋は菊の紋章ですが、アレンジされたデザインの中には、蝶やケルビムが隠されています。今回は、蝶とケルビムの両方を見つけたら正解です。これはカッバーラの初級。

 あまり易しいのも何なので、カッバーラの中級以上の問題も用意してあります。こちらは、「不吉とされる13日の金曜日をカッバーラで説明せよ」がテーマです。

 13日の金曜日はイエスの磔刑の日から来ているという説もありますが、そのような歴史的解釈ではない正しい答えがあるのです。

 さて、試行錯誤中のバスレフは又してもユニット交換。手持ちの中からFE83Enを取り付けてみました。これがバランスが良く、重低音の量感は無理ですが、静かな環境では重低音もかろうじて聴こえます。ソプラノは艶やかで、パーカーッションも歯切れよく、ユニットをあれこれ交換した中では一番ですね。流石はFE88ESの母体です。



 このバスレフは板厚が薄く、大きなユニットでは箱が負けてしまうようです。改めて15ミリ厚で再設計したいところ。FE83Enは、共振のしやすさの指標であるQが0.8と高く、箱のない平面バッフルでも使えます。口径は小さいですが、Qが高いので大きめのバスレフにフィットします。ちなみに、バックロードで使うユニットは、Qは0.2~0.5が適当です。

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