平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

長野聖火の天意はノー

2008-04-26 23:19:39 | Weblog
 チベット問題に端を発し、各国で妨害活動や抗議活動が頻発している北京オリンピックの聖火リレー。今日の午前に注目された長野のリレーが開始されました。騒動は御存知だと思いますので、今回は北京五輪に対する天意を書いてみたいと思います。

 僕は今回のチベット問題は、胡錦涛主席を中心とする現政権に対する、上海閥の自作自演だと指摘しました。最初に暴動を起こしたチベット僧は、僧衣を着た中国側の軍人だったのです。そういう意味では中国国内の問題なのですが、チベットが中国人権問題の核心にある事から、このように政治的に利用されるのは予想される事です。インドの亡命政府でチベット独立を目指すダライ・ラマ14世ですが、ようやく政権側との対話にまで持ち込む事に成功しました。政権側の強硬路線が限界に来たからです。そんな矢先に始まった日本での聖火リレーなのですが、果たして天意はどのように下されたのか?まずは国土交通省のデータを御覧下さい。

 

 図は今日の午後1時にキャプチャーした日本の天気です。見事に聖火リレーのあった長野を狙い撃ちした雨模様です。リレーがスタートした8時頃から雨が降っていたようですから、このリレーは神様から観てノーだったことになります。もしも祝福があるなら、晴天か雨上がりの虹の中でのスタートとなったはずです。今度は気象庁のデータを見てみましょう。スタート時点での天気を大陸まで範囲拡大するとこうなります。

 

 このように、反日の北朝鮮や韓国、日本の中の反日自治体の沖縄などが雨模様ですね。特亜三国に同調して、天の怒りを買う日本の一日だったのです。では、日本はどの様にしたらよいのか?そのヒントは、中国当局とダライ・ラマ14世との会談が実現された背景に隠されています。何故に唐突に実現する事になったのか。まるで、日本で聖火リレーを行うタイミングに合わせたかのようです。多分、日本が介在しているのだと思います。福田総理はロシアに外遊でとぼけていますが。

 しかし、この予定される会談の成果は、フリー・チベットを待望する世界が満足するような物ではあり得ません。そのような性質の物なら雨は降っていないでしょう。今回の対談は見せ掛けの歩み寄りに過ぎないのです。上海閥が軍事を掌握して圧力と揺さ振りをかけるうちは、チベット問題は人権ではなくて打倒政権の具に過ぎないからです。中国が本当に開かれ、世界基準で人権問題に取り組むには、余りにも中国の民度が低すぎます。フリー・チベットは中国の国内問題ではなく、世界支配を推し進める中国が世界との間で引き起こす軋轢の一つに過ぎないのです。櫻井よしこさんが主張するように、これは領土問題で確執のある日本や台湾にも飛び火する問題なのです。

 日本は今、中国内部の問題を冷静に報道し、チベット問題が政権転覆に利用されている現状を明らかにすべき時なのです。上海閥に頭の上がらない自民党の河野や、民主党の小沢党首などの代議士は、先の中国詣でが足枷となり、どちらに対しても何も言えない犬に成り下がっています。日本は少なくとも上海閥の支持だけはすべきではなく、世界の世論を味方に付け、上海閥の逆手を取ってチベットに自由を与える行動に走るべきなのです。中国当局は、北京オリンピックが失敗したら現政権は総辞職の可能性もあるのです。そのリスク回避に、問題のあるチベットを切り離す(独立を認める)という大英断のチャンスだったのです。チベットの資源欲しさに、人権問題を内に抱え込む選択をした中国は、ラストチャンスを逃したと言っても過言ではありません。北京オリンピックに出る日本選手は、神の呪いを受けないように注意する事ですね。少なくとも、天意はノーと出たのですから。

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聖書と競馬と皐月賞予想

2008-04-19 02:28:23 | Weblog
 パチンコはダメで競馬は何故良いのかというアホなメールが来たからではないのですが、明日に迫った皐月賞予想も兼ねて今回は競馬がテーマです。

 皐月賞は二年前のメイショウサムソンを当て、続くダービーも完璧な予想でした。もっとも、僕は馬券を買いませんが。それで何故当てられたのかというと、サムソンは『士師記』に登場するダン族の勇者の名前で、僕の古代史に関係していたからです。僕の古代史は神の霊によるものなので、競馬と言えどヒントになるのです。まあそれは、聖書に馬が何度も登場する必然でもあるのですが。

 馬が登場する聖書というと『ヨハネの黙示録』が有名です。第六章では、白い馬、赤い馬、黒い馬、青白い馬、の順に登場します。白い馬に乗っている者は弓を手にし、冠を被り勝利の上に勝利するために出て行きます。

 ところで、今の競馬界には異変が起こっています。突然変異でしか誕生しない白毛の馬が増えているのです。しかも、体質が弱く勝つ事すら難しいと言われていたのに、大井などの南関東公営では数年前から勝ち上がる白毛馬が出るなど、変化の兆しは現れていたのです。そしてとうとう、中央競馬でも勝ち上がる馬が出現します。その名もユキチャン。僕の名前そのものですね。名前だけではありませんよ。僕が滞在しているのは、ユキチャンが勝った2レースの開催された中山競馬場のある千葉県。要するに、ユキチャンは僕の古代史の先導馬として、『ヨハネの黙示録』を証しするために生まれてきたのです。

 ユキチャンはノーザンファームの生産馬ですが、経営者は亡くなった社台ファームの吉田善哉氏の次男です。そして、僕は大井競馬場で吉田善哉氏に一度だけ遭っているのです。僕と言葉を交わした馬主は、ガルダンやライスシャワーのオーナーのように人気薄でも大レースに勝つ事になります。僕を怒らせた馬主は一番人気で故障したり、それは散々な事になります。それで吉田善哉氏の社台ファームですが、シャダイはヘブライ語の全能者で、しかも社台の馬は聖書からの命名が多いかったのです。クリスチャンでなくては考えられないような命名が多かったのです。

 その吉田善哉氏が最後に大勝負をかけて購買したのが、日本あるいは世界の競馬を変える事になる大種牡馬のサンデーサイレンスです。そして、ユキチャンの母親がサンデーサイレンスの白毛馬として注目されたシラユキヒメだったのです。ユキチャンはお母さんの白毛を受け継いだ訳です。

 僕と会った頃の吉田善哉氏は、大井競馬場に預託していたほどですから、まだダービーも勝って居らず大変な時期です。ところが吉田善哉氏は、厩舎の警備員に門で付け届けをするような謙虚さを持った方でした。それが神の使いとしてその場にいた僕の目に留まったのです。程なくダイナガリバーがダービーを勝ち、それ以来破竹の快進撃で大牧場へ駆け上がります。あの瞬間が吉田善哉氏の契機となったのです。

 さて皐月賞ですが、今年は何が勝ってもおかしくない混戦です。しかも、古代史のヒントとなるような名前がタケミカヅチ以外は見つからないのです。それで今年は自信なしですが、タケミカヅチの他に名前の響きからノットアローンとフローテーション。戦争の兆しとしてウォーエンブレムの子供ショウナンアルバ、今パソコンを改造中なのでアグネスデジタルの子ドリームシグナル。それに人気の5枠2頭、ブラックシェルとマイネルチャールズ。アグネスタキオンの子が同居した、3枠のレインボーペガサスとキャプテントゥーレまでは力の差は無いと思います。大穴を夢見て絞るなら、ノットアローン、レインボーペガサス、タケミカヅチの3頭ですかね。いずれにしても、今回はテレビも観られないので少し力が入りませんね。

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写経の勧め

2008-04-18 02:04:29 | Weblog
 前々回で書いたように、僕は生まれながらにして「家族崩壊」に霊験灼(あらた)かなる特異な存在として宿命付けられました。そのために、何処へ行っても家庭崩壊の危機にある人と関係する事になります。家庭崩壊と言っても色々なケースがありますが、特に多いのが、養子の父のコンプレックスから生じる仮面家族です。でも今回のテーマは、悪霊によって引き起こされる躁鬱症や分裂症などの精神障害や、霊症として起こる肉体的な病気への効果的な対策です。これは家庭の誰にでも出来る事です。

 僕は大学を卒業後、一時奈良にいたのですが、数年後に東京に戻ってクラスメイトに電話しました。すると、その人は女性なのですが、知り合いの表具師さんの所で天井画の複製を制作しているから遊びに来いと言います。それで会ったのですが、一目で躁鬱症と分かる異様に太った体型と目つきをしていました。しかも、電車の中で金切り声を上げて注目を浴びます。僕は、又しても大変な所に立たされたのです。

 さて、表具師さんは奈良の大寺と親交のある方で、札所巡り(お遍路巡り)に持ち歩き、朱印を押して貰う仏画を描かないかと持ちかけます。商売というよりは金のない芸術家への支援目的でしょうが、僕は既にエクソシストの始まりを予感して気重でした。それでも観音像の下絵を描き、絹に金泥による線描で何枚も描きました。その間、クラスメイトの症状は酷くなる一方で、僕は背中に重い物を背負った感じがして、例えようがなく怖ろしくて辛かったものです。もちろんどんどん痩せました。

 そして3ヶ月が過ぎようとした頃、ようやく彼女の症状は好転しました。その後、僕は牡丹の天井画一枚を描いただけで去ったのですが、これがエクソシストとして本格的に絵を描いた始まりです。彼女に憑依していたのは、この世に執着を残して成仏できない浮遊霊でした。このような霊が天に帰る時、必ず美しい夕焼け雲が見られるのです。その時、僕は天に帰れて良かったねと言ってあげます。でも、肉体を持つ人間は、何度でも同じ過ちを繰り返すので、せっかくのエクソシストも数年で効果が無くなり、元の木阿弥となることもあります。結局彼女は、病気に対する同情で仕事を貰っていた事が気に食わず、僕とは別の形で去ったようですが…。ご主人が世話していた理由を、徳を積むための奉仕と言っていた言葉を思い出します。

 数年前に話題となった桶川ストーカー殺人の犯人は、自分の衝動を説明できませんでしたが、これは被害者と加害者双方に憑依した悪霊の仕業なのですから、夢の中での出来事と思えるのも仕方ありません。犯罪の本質は、悪霊に負けた事が裁かれるのです。被害者にも悪霊に負けた落ち度があるのですが、このような事件に巻き込まれないためには、日常から悪魔払いが必要となるのです。

 さて、僕は仏画でエクソシストした訳ですが、仏典の写経や、僕が描いた花の絵を写す事でも同じ効果が得られます。大事なのは、エクソシストする意志の強さと純粋さなのですから、他にも方法は考えられます。家庭に問題がある、あるいは病気の家族や友人がいる。そのような方で、日に1時間でも時間の作れる人には是非とも試みる価値はあります。どうせやるのなら、後に飾っておける絵画がよいと思いますが、費用はそんなにかからないので、メールを頂ければ方法を教授します。ですが、生半可な態度では逆に悪霊を呼び寄せるだけなので、3ヶ月は苦行する覚悟が必要です。5㎏くらいは痩せるかも知れません。

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吉田君がくれた理想世界

2008-04-17 03:11:30 | Weblog
 幼い時の僕は足腰が強く、それで兄弟の誰よりも早く歩き回るようになっていたのですが、ある時に玄関の敷居を跨ごうとして転んでしまいました。これは左股関節脱臼や左手の発達が悪くなるほどの転び方だったので、見ていた母親が驚き駆け寄ろうとして転倒してしまいました。これにより、お腹の中にいた妹が早産で生まれる事になります。僕にとっては、左手を使う楽器を扱えなくなった瞬間であり、あらゆるスポーツにハンデを抱える事になった瞬間でもあったのです。

 小学校に入る前の知能試験の成績が良く、父親は大喜びだったのですが、僕からしたらそれも当然です。だって、早生まれのハンデがありながら、一つ上の兄の教科書やら『小学一年生』を自分の物のように読んでいたのですから。そんな僕ですから、人が悪口を言ったのを覚えている事が苦痛な事と、成績の悪い生徒へのコンプレックスなどがあり、神様にお願いして記憶力を半分にして貰いました。今に思うと、自分だけが肉入りのスープを飲むのが嫌で、肉入りスープを飲む事をやめた偉人を真似しただけですけどね。でもそれ以降、僕は東大生並みのIQに落ちてしまったのです。

 小学校四年の時は、理科の実験を真似て大怪我をし、お見舞いに来た担任の吉田六太郎先生に「博士になる」と言われました。この先生は宮沢賢治記念館の館長にまでなっています。僕を褒めたり祝福した人は全員恵まれるのです。逆に、僕に嫉妬したり逆らった者は全員、本来の祝福が受けられず平々凡々以下を余儀なくされます。例えば、次の五年の担任です。

 僕は理想があり、それで委員長に立候補しました。しかし、「宿題をやらない」という理由で先生から憎まれていました。「やらなくても出来ればいい」と返答して立たされ、おまけに誰も出来ない時に手を挙げて余計に怒られた僕ですから、先生はクラスの全員を焚き付けて反抗させます。そのくせ、クラス会議が長くなると、僕に議長をやらせて早く終わらせようとする姑息さも持ち合わせた嫌な先生でした。僕は議題から外れる発言を許さないので、どんな会議もすぐに終わるのです。

 僕は中学でも、ルールを守らない者を注意して煙たがられるという生徒でした。水泳部は不良の集まりで、そんな連中に呼び出された事もあります。手出しはされませんでしたが。僕は相撲が強く、運動会の合間に10人抜きをやって相撲部にスカウトされました。そうしたら、同じクラスで後ろの席の吉田清君も入部してきたのです。彼は水泳部で虐められていた、口数の少ないおとなしい生徒です。喩えるなら、亀顔の縄文土偶のような容貌です。僕は、数学などを成績の良くない彼に教えていました。そんな彼がある日、遺書を残して首吊り自殺をしたのです。進学を期待するお祖母さんの期待が重荷となって。

 クラス全員がショックで泣いている中、僕が優しくした事が嬉しかった、と書かれた彼の遺書を先生が読んだ時、僕は彼に感謝されていた事を知りました。そんなに親しくしていた訳でもないのに、僕の事しか書いていなかったのです。それ以来、僕はクラスの中で特別視されるようになりました。盲腸で入院すると、クラスで流行していたのが移ったと言われ、不良グループの藤村君もお見舞いに来てくれたのです。一番ヤクザな仲間を引き連れて、殆ど言葉も交わさず、変なお見舞いでした。その後、藤村君は成績もアップして進学する事になります。クラスの雰囲気は一変し、僕が注意するとみんなは喜んで従い、掃除中に自然に歌声が出るようになりました。たった一人逆らっていた不良仲間の生徒が、「何で俺の事を注意しないんだ…」と泣きながら食い掛かってきた時、僕は彼も仲間になれるという事に気が付いたのです。でも、彼の幸福は卒業までの数ヶ月間でしかなかったのです

 卒業の日、担任の女先生が「今までに、こんないいクラスを受け持った事はなかった…」と涙ながらに別れを告げた時、僕は自分が理想とする世界が見えたのです。小学生の時は正義を翳して反発された自分が、力の論理ではなくて徳によって小さな理想世界を実現できた。それは、亡くなった吉田清君が遺書で証ししてくれたお陰であり、僕はそんな彼に今でも感謝し続けているのです。あの時の仲間は、大学に入ってもクラス会をやる仲の良さを保っていました。でも、その時の僕はもう別の十字架を担っていたのですけど、今でも僕の原点として忘れられない思い出です。

 僕が節目を迎える時、必ず吉田という人が現れて証しをし、また祝福をしてくれます。益田岩船を守っているのも吉田さん。IBM藤沢事業所で、最も地位の低い僕を特別扱いをしてくれたのも吉田さん。それは、獄中にあったエジプトのヨセフを祝福して娘を嫁がせた、オン(ヘリオポリス)の祭司ポテペラが吉田の先祖だからという必然によるのです。吉田とは、葦(ヨシ)田ということで、オンのあった下ナイルを表している名前です。世界中で最もヨセフに似ている僕が、先祖のようにポテペラ系の祭司に支えられているのです。因縁とは本当に不思議です。

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特別という事

2008-04-15 23:45:29 | Weblog
 僕も弟子を持つようになり、そろそろ本当の事を書いておく時期になりました。というのも、1月に見た夢が予知夢なら、僕は秋までしか持たないからです。夢に亡くなった父親が出てきた時、僕は「秋まで持たないかも知れない」と告げたのです。当時は体調が悪かった事もありますが、そういう夢を見るのは異例です。父親は何も言わずに隠れてしまったのですが、それが何を意味するのか、未だに謎となっています。

 僕の父親はよそよそしくて、子供の頃から不思議でした。でも、亡くなった姉が明かすには、僕は母親が堕胎薬を飲んだのに生まれてきたのだそうです。当時、腕の良い菓子職人の父親に、大きな菓子屋から入り婿の話があったそうで、子供5人と母親は路頭に迷う直前だったのです。それで絶望した母親は堕胎薬を飲んだのですが、僕はめげずに生まれてきました。しかも、上の3人の兄よりも歩き出すのが速く、体は強かったのです。

 それで、僕は絶望した母親の救いとなった事から、下の4人の兄弟を合わせた10人兄弟の中で特別扱いして育てられたのです。弟などは、今に至るまで妬みで半狂乱ですが、僕がいなかったら弟は生まれていなかったのですから、心得違いも甚だしい訳ですね。

 イエスの磔刑と同じ癸巳年、天の三神の3月、救世主のシンボル数の9日に生まれた僕ですが、子供の頃から家の天理教が間違いだと反抗し、誕生日にはパンを食べたがった、いわば生粋のクリスチャンです。しかも、イエスの言葉のように、強情に右を左と言って父親を困らせた事もあるのです。こんな僕ですから、聖書を初めて読んだ時に、僕と同じ考えが記されていると思ったほどです。

 天理教では「おぢば帰り」という行事があります。僕が初めて参加した数え12才の年に、帰りに寄った国会議事堂で迷子になりました。兄や親戚は誰も気が付かず、別のバスに乗っているだろうと思ったそうです。僕は東京の地理など全く知らないのですが、気の向くままに歩いて行くと皇居に出ました。神様によって皇居に招かれたのです。そう感じたら、タクシーが来るではありませんか。それで乗り込むと初めて、宿舎の住所を書いた紙がお財布の中にあったのに気が付いたのです。

 僕がどうしてこのような話を書くのかというと、これはイエスの12才の迷子を象(かたど)っているからです。イエスの場合は、両親+弟とはぐれ、宮で法を論じていたのですから別格ですが、僕も法を論じる所で迷子になり、宮(皇居)を目指したのです。この年、三冠馬となるシンザンは、僕が酷暑の京都観光に疲れていた頃、夏負けで苦しんでいたのです。僕がイエスのコピー体験をした記念に、神様が三冠馬を供えて下さったのでしょう。

 さて、旧約聖書には救世主の特徴が記されていますが、要約すると「威厳がなく、顔が損なわれて人と異なり(イザヤ書52~53)、ロバの子に乗ってくる(ゼカリヤ書9-9)」とあります。僕は小学四年生の時に、額と鼻の一部を何針も縫う怪我をしました。しかも、ロバの子供に乗れる体格=小柄で、子供のように威厳がなく、現代版のロバの子と言うべき自転車で活動しています。僕は、再臨するイエスの幾つかの特徴を有している、あえて喩えるなら雛形に相当する訳です。これが、僕の持つしるしなのであり、数多くの封印を解き明かす理由なのです。

 またこれは、モルモン教(末日聖徒イエスキリスト教会)が語るイエスの特徴と相反するものです。飛鳥氏は教会の説を鵜呑みに、イエスは180㎝を超える体格としていますが、そんな人が乗ったら、ロバの子供でなくとも親の方でも潰れてしまいます。ロバの子供という表現にはそういう含みがあるのです。要するに、イエスを白人として描くモルモンの教えは、3~5割くらいは出鱈目なのですね。この出鱈目の部分がサタンを招き入れる事になるのです。

 さて、僕はイエスの再臨を三十年後としているのですが、それまで僕は生きてはいないでしょう。でもきっと、菩薩来迎図のように再臨するイエスの軍団の端の方に、イエスを証しした者の一人として加わっていると思います。もちろん、復活した光の肉体を有して。そのとき、僕は自分が関係した人の中から、神の国に入る人を選ぶのだと思います。いや、もう選んで印を付けている最中かも知れませんよ。でもまだ三十人に届かないかな…。

      エフライム工房 平御幸
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