平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

理解から生まれる創意工夫

2012-03-27 08:27:09 | Weblog
 僕の一番好きな言葉は「創意工夫」。工夫とは、日本人の祖先であるヤコブがメーソンの頭領であったことから、まさに「工人の男」を意味するものです。ヤコブがモデルのクフ王は、ヒエログリフの正しい読みはクフ・ウであり、ここからクフウという言葉が生まれたものと思われます。

 クフだけなら「覆う形」ですが、「偉大」を意味するウが付くことで、「偉大なる天幕」になるのです。ここに、ノアの預言である有名な一節が意味を持ってくるのです。

「セムの神、主はほむべきかな、カナンはそのしもべとなれ。神はヤペテを大いならしめセムの天幕に彼を住まわせられるように。カナンはそのしもべとなれ」『創世記』9章26-27

 このように、クフウはセムの天幕、すなわちセムの繁栄の偉大さを象徴する言葉なのです。しかし、白人の祖先であるヤペテ(ヤフェト)をその天幕に住まわせるということから、白人が実権を握る世界が構築されたのです。もっとも、それは末の日までの限定です。白人は神に試されているとも知らずに、傲慢に振舞っていますがね。

 試すというと、試みのミカエルを女性読者に作らせていたのですが、三人目までは成功して気が緩んだのか、それとも甘く見たのか、四人目から六人目まで同じ間違いを犯しました。試みのミカエルはユニットが内付なので、バッフルを外さないとユニット交換できない仕組みですが、何とバッフルを接着してしまったのです。ユニットが壊れたら、あるいはコードが断線したら修理できません。

 試みのミカエルを設計する段階で一番苦労した部分ですが、ユニットの外付けは難しいので内付けにし、そのためにバッフルを取り付けるサブバッフルを中に作り、真鍮のネジでバッフルを固定するデザインとなったのです。バッフルを接着するなら、サブバッフルは必要ないし、真鍮のネジも必要ありません。ネジ一本でも工夫の挙句に決定されているのです。ただのデザインで付けているのではありません。全てが必然性の結果なのです→試みのミカエル再設計

 ところで、間違った三人はいずれも若いメンバーで、ゆとり世代やゆとり世代に近い年齢です。ブログで掲載した写真を見れば、誰でもバッフル交換式だと分かるはずだし、写真なんか見なくても、何でネジがあるのか考えれば容易に推理できるはずです。製作記事をろくに読んでいない、あるいは掲載した写真をボーと眺めているだけ。あるいは、設計意図を全く理解しないで、ただ組み立てていただけ。

 アンプの修理をすると、回路や実装に色々な工夫を読み取ることができます。限られた予算やスペースの中で、設計者が苦労して生み出した工夫の数々。これが発見できることが修理の面白さなのです。要するに、設計の意図を理解するという、実にインテリジェンスに満ちた高尚な趣味が味わえるわけです。

 理解というのは文字通り、解剖して理由を見つける作業です。何でこうなっているのか?何でこうしないのか?そのような自問自答をしながら掘り下げる作業ですから、哲学を実践しているのに等しいのです。哲学とは、一つのテーマにそって掘り下げる作業でしかありませんから。哲学者が偉いわけではありません。空論の哲学者は馬鹿と同じです。

 一つのテーマで掘り下げた結果、そこに万人に普遍な何かを発見できたら哲人となるのです。他人の説を自分の褌のようにする馬鹿哲学者は有害なだけです。脳科学者というエセ科学者も同じですけど。アンプ一台を理解する。スピーカー一個を理解する。それが出来ただけで、大半の自称哲学者よりは偉大なのです。そして、その理解の先から自分の創意工夫が始まるのです。

 ということで、創意工夫のない人は、その前の理解する姿勢が欠けていることを自覚しましょう。まあ、僕みたいに歩く創意工夫になっても、試しの世界である実社会で何か得するわけではありませんけど。でも、人間は復活してから何千年も勉強しなくてはならないのです。それなら早い内に神様に近付いたほうが良いと思いませんか。

追加 また一人増えて四人になったニダ orz

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武豊の呪い

2012-03-25 00:08:53 | Weblog
 今日の毎日杯は、期待のマウントシャスタは直線で馬場の悪い内にもたれて惜敗。1800mでこれですから、皐月賞の2000mでも長いかもしれませんね。

 直線入り口で前が塞がり、大外に持ちだして差し切ったヒストリカル。前走のきさらぎ賞で、ワールドエース以上の脚を使った上がり最速は本物のようです。でも、前が止まらないと勝てませんから、多頭数の本番では不利ですね。

 このヒストリカルの馬主は、アドマイヤの冠号で知られる近藤オーナーの奥さん。09年の天皇賞・秋を勝ったカンパニーと同じ馬主です。奥さんの方は順調ですが、旦那の利一氏は、5連勝中だったアドマイヤコスモスが金杯で骨折し、種牡馬として再起させるつもりが予後不良と御難続き。巷では「武豊の呪い」が囁かれています。

 武豊の呪いとは、07年のクイーンエリザベスカップ(香港)で3着に負けたアドマイヤムーンの騎乗に腹を立てたオーナーが、以後のレースすべてに武騎手を使わないように調教師に圧力をかけ、その結果としてオーナー成績が極度に落ち込んだことから、これは呪いではないかとネットで囁かれているものです。

 クイーンエリザベスカップは確かに後方から行きすぎましたが、その前のドバイで勝っているわけですから、馬が疲れていて行き脚がつかなかったと見るべきです。また、皐月賞の惨敗を見れば分かりますが、アドマイヤムーン自体に、本調子でないとセーブする癖があったと思います。敗戦を騎手の責任にするのは簡単ですが、それは的確な分析が伴ってからすべきです。

 近藤オーナーは評判が悪く、傲慢なオーナーの典型のような感じです。傲慢は神に最も嫌われる資質ですから、アドマイヤムーンのジャパンカップを最後にG1を勝てないのは、呪いと言っても強(あなが)ち間違いでは無いですね。特に、アドマイヤコスモスの骨折からの死は、オーナーが心を改める最後のチャンスになるのでは。

 オーナーからしてみれば騎手の代わりはいくらでもいると思うかもしれませんが、神の目から見るとオーナーの代わりはそれこそ五万と居るのです。圧倒的に騎手の方が希少です。デビュー前は三冠馬と噂されたアドマイヤカーリンも、ようやく1勝を上げただけでディープインパクト産の面汚し。高額馬を集めた地上げ屋の早坂太吉(冠号はモガミ)は、大井競馬場で僕に楯突いて没落したのです。神と和解できないと地獄ですから。

 なお、有力馬主や調教師から武騎手が干されているという書き込みが多いですが、これは間違いで、武君が怪我の後遺症によって握力低下を起こしているのだと思います。騎手は馬を抑えるのに握力が要りますから、今日のウインバリアシオンのように簡単に折り合える馬以外では苦しいのです。握力低下を起こすような怪我は完治に1年以上もかかることもあり、もう少し長い目で見てやってほしいと思います。

 それにしても、日経賞のネコパンチの逃げは強烈でしたね。3着に負けたルーラーシップは又もやオボッチャマ君でした。

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今年の皐月賞予想

2012-03-19 14:23:37 | Weblog
 皐月賞トライアルのスプリングステークスが終わって、残すは西の毎日杯だけ。遅れてきたディープインパクト産駒のマウントシャスタ。ダービーでは距離が長そうなので、ここを勝って皐月賞に無敗で臨みたいところ。

 スプリングステークスを勝ったグランデッツァは、今年の三才がラストクロップになる、夭折したアグネスタキオンの最高傑作とか。生産者の社台ファームの言葉ですから重みがありますが、ディープインパクトの最高傑作かもしれないワールドエースには見劣りします。

 ワールドエースの魅力は、昨年の凱旋門賞を勝ったデインドリームと同じく、母系がドイツ系だということに尽きます。母の父アカテナンゴ(Acatenango)は85~87年度のドイツ年度代表馬で、今でも最強とされるダンシングブレーヴの凱旋門賞で7着でした。種牡馬としても成功し、95年ジャパンカップを勝ったランドを出しました。

 アカテナンゴはグァテマラの地名ですが、ナワトル語でアカは「藁に囲まれた」、テナンゴは「~の所」を指し、藁に囲まれた所という意味になります。似たような言葉ですが、先ごろ死亡したチチカステナンゴ(Chichicastenango)はチチカスの生える所。チチカスは「棘のある柴(イラクサの一種)」を意味するそうです。

 ワールドエースが最先端のドイツ母系に対し、グランデッツァは6代前に82年ジャパンカップ3着のエイプリルランの父ランザガントレットが見えますが、姉が桜花賞馬でも早熟だったように、成長力と底力では物足りません。父のアグネスタキオン自体が早熟だった可能性が高く、皐月賞はともかくとしてダービーでは狙いにくいですね。もっとも、ダービーは母親が亡くなっている馬が勝つ傾向もあり、その点だけは強調材料です。

 スプリングステークス2着のディープブリランテは、昨年のオルフェーヴルと同じく5月の遅生まれですが、今の気性の勝ったレースぶりでは多頭数で惨敗の懸念もあります。むしろ、弥生賞でレースにならなかったアダムスピークの巻き返しと、安定感抜群のゴールドシップの末脚が期待できます。ただし、この2頭は中山コース向きではありませんから、馬場次第では回避して、照準をダービーに絞るほうが良いでしょう。

 なお、阪神大賞典で逸走から立ち直って猛追したオルフェーヴル。レース直後にSNSで書き込んだことを掲載します↓。しかし、専門家の誰一人として、僕のような観点を有していないのにはがっかりです。日本に競馬ジャーナリズムはありません。おっと、競馬どころか、普通のジャーナリズムはとっくに死んでいましたね。


池添騎手の過信が生んだミス

池添騎手は折り合えると思って手綱をしごいて先行
それでオルフェーヴルは短い距離だと思って行きたがった

オルフェーヴルは途中から2400mのレースだと思ったから、向こう正面でゴール後の競走中止の姿勢

それからまだレースは続いていると気を取り直しての激走
オルフェーヴルは騎手より頭が良いから、このようなちぐはぐなレースになった

どんなレースでも最後方から行けば何の心配もないニダよ
オルフェーヴルの強さだけが光った一戦ニダ ホルホル

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茶髪はファザコン

2012-03-14 07:13:26 | Weblog
 随分前に、キング・カズこと三浦知良がワールドカップ代表から漏れた時、帰国した彼の頭は金色でした。金色の頭は、自分のプライドを守ろうという、自尊心の現れなのです。これがプラスになる人もいれば、逆にマイナスになる人もいます。本当に自信があれば、似合わない金色にする理由もないからです。それは茶髪も同じです。

 茶髪が流行りだした時、似合う人は殆どいませんでした。しかし、ヘアデザイナーやメイクさんの創意工夫で、日本人にも合う茶髪が定着するようになりました。ヤンキーよりちょいマシの昔とは違います。しかし、茶髪の本質は、ファッション性よりも、その色に染める心理状態にあるのです。曰く、茶髪はファザコンであると。

 ファザコンにもいろいろありますが、特に女性のファザコンは厄介です。本人はそれと気が付かないからでもありますが、必ず周りを巻き込んで騒動を起こすという、お決まりのパターンに発展するのが最大の理由です。オタクの間でツンデレと呼ばれるのも、その変形に過ぎません。

 ファザコン女性は父親に似ている男を好きになりますが、同時に父親に対する不満なども投影します。勝手に好きになって、父親への不満をぶつけて勝手に憎むわけですから、被害者の男は何がなんだかわかりません。大抵の場合、男のほうはウンザリして逃げてしまいます。もう少し具体的に書きましょう。

 ある女性が父親の面影に似た男性に出会うと、最初は気に入られようと一生懸命になります。回りにもそれがわかるので、男性の方も期待に応えようと、何かと優しく接したりします。けれど、ある日突然、女性の方は何が気に入らないのか、態度が変わってしまいます。父親への不満を投影する段階になったのです。♭ あーる日突然、二人黙ーるの ♪

 こうなると、もう男性の手にはおえません。相手はひたすら父親の身代わりとして復讐のチャンスを伺っているからです。男性はいつの間にか仮想父、あるいは仮想敵になったのです。ツンツンされる、冷たくされる、不機嫌な態度で悩まされる、しかも放って置くと余計に罵られる。ひどい場合は、嫁さんとその母親の同時攻撃もあるのです。心休まる暇はなく、この男性は早死するでしょう。

 では、不幸にもこのようなファザコン女性と関わってしまったらどうするか?それは、このような症状は一年置きとか、あるいはひと月置きとか定期的なものなので、ひたすら嵐が過ぎ去るのを我慢するか、逃げ場があれば避難するのが良いでしょう。

 しかし、本当にその女性を愛しているのなら、正面から不満や復讐を受け止め、怒りもせずに平然と優しい顔をし続けましょう。そうすれば、女性の方もファザコンの病根が取り除かれて改心します。だって、女性の方も、不満をぶつけたり復讐に精を出す自分に嫌悪しているからです。なんて馬鹿なことをしたのだろうと思いつつ、バイオリズムなどで又もや犯してしまう業なのです。

 ファザコン女性は、不満や復讐心を他人である男性にぶつけて、自分の事が嫌いになるかどうかを試しているのです。男性が怒れば、それ見たことかと愚弄し、逃げれば卑怯者と罵るつもりです。でも、女性の執拗な仕打ちに平然としていれば、十字架を負うイエスのように尊敬されるかもしれません。

 まあ、これを逆にすると、マザコン男の話になるのですが、女難の大半はこのようなファザコン女性が作り出しているのです。それを悪霊が利用すると殺人事件に発展するわけで、桶川ストーカー殺人事件は、サタンに心を操られた典型的な事件だと思います。人は、サタンに負けて操られたことを裁かれるのです。操られたから被害者という甘い考えは捨てましょう。ということで、女性読者の冷や汗が落ちる音が聞こえるような空耳…w。

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反日企業製品の本当の怖さ

2012-03-12 22:24:01 | Weblog
 B-2の3号機の修理で徹夜続きでした。ソニーのV-FETに換装して一応は音も出たのですが、左チャンネルの直流漏れとバイアス電流の多いのが気になり、抜本的に直すことにしました。しかし、ここから石を積み重ねては獄卒に崩される地獄のような試練。

 アンプに使われる石は、プラス側の石とマイナス側の石の特性が合ったコンプリメンタリーと、同じ極性で特性の同じ石のペアが重要です。しかし、ペアもコンプリメンタリーも最初からあるわけではなく、数多くの石の中から選別して用いられているのです。高級なアンプは、このペアやコンプリメンタリーの選別にシビアなので、ケンチャナヨのローコスト品に比べてコストが掛かるのです。

 今回、若松通商で売られているペアやコンプリメンタリーに頼らず、自分で選別して使うことにしました。トランジスタは簡単な選別用の測定回路を組み、初段のFETはソケットで差し替えるようにしました。しかし、厳密に合わせても、ゲート出力にプラス13ボルト、マイナス13ボルトという正規の電圧は現れません。プラス81ボルトとプラス56ボルトとかが出て、調整ボリュームを回すと一気にマイナス81ボルトとマイナス56ボルトへとオセロ状態。

 回路図とにらめっこすること数日。ようやく、トランジスタは電流を流さないと電圧を測定できない、という原則を思い出しました。今回は、終段のV-FETを外していたために、ゲートへの出力電流が流れないので、トランジスタが動作していなかったのです。電圧だけで考えられるFETアンプに慣れていると、このような落とし穴があります。でも、右チャンネルはちゃんと調整できたのはどうしてニカねぇ?

 V-FETの代わりに有り合わせの1Kオームの抵抗をゲート-ソース間に挿し込み、テスターの片側(黒)をアースに接続して、プラスマイナスのそれぞれのゲートに赤のテスター棒を触れさせます。今度はちゃんと12-14ボルト出ています。調整も効きます。ここで大事なのは、V-FETはゲートに逆電圧をかけるので、プラス側の石のゲートにはマイナス電圧が、マイナス側の石のゲートにはプラス電圧がかかるということです。回路図ではクロスさせて書かれています。

 さて、ゲート電圧をクロスさせるので、クロスの十字架という聖書にふさわしいV-FETアンプ。ソニーの石でも使えることが分かったので、4号機や5号機も視野に入れようかなと。ヤマハのB-2はコンデンサーの量が少ないので、パーツが手に入らないことを除けば修理は楽です。

 ところで、アンプ修理のあとで欠かせないのが手洗い。もちろんビオレなどではなく、牛乳石鹸などを使います。これでハンダに使われている鉛などの有害物質を洗い流します。夏からの花王不買騒動もあって、洗剤も大手は避けています。その甲斐あって、昨年の春から悪化した手足の荒れが完治しつつあります。

 それで思ったのですが、反日企業の製品は危ないのではないか?というのも、好きで反日をしているわけですから、その背後にはアメリカやユダヤなどの悪質陰謀があるかもしれません。以前にケムトレイルでも書きましたが、国民の知らない内に人体や生殖系に有害な物質が散布されているのではないかという恐怖。例えば、微量の環境ホルモンが反日企業の製品に含まれていても、一般人にそれを調べる手段はありません。

 日本人を根絶やしにしようという反日の団体がある以上、反日企業の製品にはその危険性が払拭できないのです。企業側が払拭してほしかったら反日活動は止めれば良い。ということで、健康のために花王やロッテやロートの不買はやめられませんね。

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オーバーシード

2012-03-05 15:18:34 | Weblog
 もうすぐニダーくんの誕生日ですが、その前に自分の誕生日が。某有名人二人と同じ年令になるのですが、この年になると余り喜べませんね。11年前に書いた古代史で書いている年齢も鯖読みになっています。

 古代史の第一部で書いているように、1992年は聖書学的に重要な年です。ブログを始めた当初に、伊藤みどりさんのトリプルアクセル成功を交えて書きました。しかし、スポーツ界で1992年に起こったものに、競馬場のオーバーシードがあります→こちら

 オーバーシードは、日本の野芝の上に洋芝を重ねて植える技術で、冬枯れする野芝から冬でも青々とした洋芝にすることで、視覚的に欧米の芝コースと近くなります。洋芝は深くて重いので、クッション性に優れ、馬の足の保護という観点からも良いのですが、導入当初は軽い日本の芝に慣れた馬が苦労しました。最初に導入された阪神競馬場では、重賞級のレースでも5秒近くもタイムがかかったのです。

 洋芝適正という言葉が生まれ、それまでスピード不足で苦労していたダート馬が、見違えるような鮮やかさで勝ちまくります。代表的なのは1992年の宝塚記念と有馬記念を逃げきったメジロパーマーです。中山の有馬記念もオーバーシードでしたが、こちらは軽めなのでタイムはそれほど悪くありません。しかし、阪神競馬場の宝塚記念の勝ちタイムは良馬場で2.18.6。同じ逃げ馬であった、1983年のハギノカムイオーのレコード2.12.1から6秒5も遅いのです。

 この阪神の新コースは賛否両論でした。ヨーロッパ遠征を考えるのなら、力のいる洋芝適性は必要。スピードのある軽い芝向きの馬が適応できないし、タイムが悪いから改善すべきなどなど。僕の意見は前者でしたが、徐々に後者に傾き、札幌競馬場に洋芝コースを新設することで、前者の意見を封じたようです。ブエナビスタが海外遠征を睨んで札幌競馬場で走ったのはそのためです。

 現在の阪神競馬場はレコードが出るほどですが、それには栗東トレセンの坂路やウッドチップコースの設営など、調教技術の改善も寄与しています。実際に、日本の馬がヨーロッパの芝で苦労するということは少なくなりました。でも、競馬というものは基本的に、コース適性と芝適性を考慮に入れないと本質を見誤ります。

 土曜日のチューリップ賞のジョワドヴィーヴルの敗戦は、インコースが伸びない馬場であったことも一因。日曜日の弥生賞は逆に、インコースが伸びる馬場だったために、中枠より外の馬には不利だったこと。アダムスピークは外枠に入った時点で敗戦は見えていました。両競馬場の特殊な馬場状態。それがチューリップ賞と弥生賞の予想を書かなかった理由です。

 弥生賞の中山競馬場は、インコースの芝が剥げているように見えますが、剥げてるのはオーバーシードした洋芝の部分で、軽くてスピードの出る野芝が見えているインコースは絶対有利なのです。しかし、1、2着の馬はどちらかというとスピード不足でパワータイプ。野芝が生えそろう皐月賞で同じ結果が出るとは考えられません。もっとも、野芝が見えていてもパワータイプが勝ったほどの荒れた芝状態。これがケアされなければチャンスはあります。

 なお、改装なった中京競馬場は左回りで最後の直線に急坂と、中山コースを鏡像反転にしたようなコース形態。鏡像反転はカッバーラの基礎ですから、世界的に何か大きな事でも動き始めるかもしれません。そういえば、読者に作らせている反転のバスレフ型スピーカーも出来上がって来ました。ロシア大統領に復帰したプーチンからも目が離せませんね。

参考 シンボリルドルフ追悼動画
http://www.youtube.com/watch?v=MwXcLvKqKUw&feature=related
オーバーシードしていなかった時代の、弥生賞と皐月賞の馬場の変化が見られます。

      エフライム工房 平御幸
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