平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

豊玉姫の怒り

2009-09-30 22:47:56 | Weblog
 30日未明(日本時間)にサモア沖で大地震が発生したと思ったら、今度はスマトラ島沖で大地震です。立て続けに起きている地震ですが、サモア-スマトラのラインを底辺とした三角形を想定すると、頂点はどこに来るのでしょうか?

 この三角形の頂点はグアム辺りでもよいのですが、この場合はピラミッドのような緩やかな角度の斜辺となります。しかし、この頂点を北側に移動させて行くと、硫黄島を通り千葉沖に抜け、何と北海道の苫小牧で正三角形に近くなるのです。魔のトライアングルができあがるのでしょうか。

 実は、太平洋側での大地震は予感めいたものがありました。前回に書いた豊玉姫(=アセナテ=弁財天)のご機嫌がよろしくないので、神宮に雨が降りスワローズが負けていたからです(今日も負け)。豊玉姫は海神(海神豊玉彦~わたつみのとよたまひこ=ポテペラ)の娘ですから、海で地震が起こるのは当然です。しかし、スマトラの地震でトラ(阪神)に完封されて負けるスワローズ。山幸彦のモデルは伝説のエジプト宰相ヨセフですが、ヨセフはジェータイにアセナテ(豊玉姫のモデル)の尻に敷かれていましたね。この因縁があればこそ、ヨセフに瓜二つの僕が、海ではなく山に囲まれた盛岡から出るわけです。

 完全に一致するヨセフと山幸彦の家系図

 さて、先の地震の頂点が苫小牧というのは、誰が見ても民主党の党首・鳩山代表への警告ですよね。民主党政権になってから、円高・株安・閣僚の不用意な発言のトリプルパンチですが、たった二週間でこのグダグダ振りは、さすがクズの寄せ集めの民主党です。でも、放っておくと日本は底なしの危機に見舞われます。

 竹生島は浅井姫命の首とされていますが、浅も麻などと同じようにアセナテのアセ(正しくは変化形前のアス)が語源です。ここからも、浅井姫=弁財天=アセナテ=豊玉姫と分かるのですが、豊玉姫の玉は潮の干満をつかさどる玉ですから、要するに月を指すのです。日本は統一協会のムン(文=文鮮明の朝鮮読み)が月(ムーン)を自称した事により、大切な月が汚されました。この豊玉姫の怒りが引き起こす大地震と大津波が来る前に、日本は自ら統一協会の民主党を廃して浄化できるのでしょうか?

 なお、3日のジャパンオープンにアメリカの長洲未来ちゃんが調整遅れで欠場ですね。ロスと日本の未来に翳(かげ)りでしょうか。観戦に行こうと思っていましたが、やめた方が賢明みたいですね。竹島の豊玉姫のご機嫌が直るのを、戦々恐々として待っていようと思います。

     エフライム工房 平御幸
コメント

梅紋と弁天様の秘密

2009-09-29 03:52:29 | Weblog
 徳島の読者からぶどう饅頭と本物の葡萄を頂きました↓。葡萄はユダ族のシンボルですが、葡萄とイチジクの組み合わせなら、南ユダ王国と北イスラエル王国を暗示します。



 似た組み合わせに凝乳と蜂蜜があります。この場合は、ヤコブの祝福で「ユダの歯は乳によって白く、目は葡萄酒によって赤い」と書かれているように、凝乳がユダ族、又は南ユダ王国を指します。対して、ミツバチは下エジプトのシンボルですから、蜂蜜が下ナイルで象徴されたエフライム、すなわち北イスラエルとなります。イザヤ書7章-15では次のように記されています。

「その子が悪を捨て、善を選ぶ事を知るころになって、凝乳と蜂蜜とを食べる。それはこの子が悪を捨て、善を選ぶ事を知る前に、あなたが恐れている二人の王の地は捨てられるからである」

 これはアッシリアによって、北イスラエル王国と南ユダ王国が攻められる前のイザヤの預言です。凝乳は南ユダ、蜂蜜は北イスラエルの象徴ですから、岡山の読者がヨーグルトに蜂蜜を混ぜて食べたそうなので、イザヤの預言とは正反対に、二つの国の日本は一つにまとまる事になります。実に、この契機となるのが僕の旅行だったのです。

 旅行の最後は、読者が是非にと案内してくれた蒲郡の竹島でしたが、竹島の名前は琵琶湖の竹生島(ちくぶじま)から来ています。今の竹生島神社は、明治の神仏分離令により弁財天社から改称したもので、日本三大弁天(残りは江ノ島と厳島)の一つです。蒲郡の竹島には八百富神社がありますが、これは『千載和歌集』の選者である藤原俊成が国司として赴任した際、琵琶湖の竹生島より勧請したものとされています。この時に、竹生島の竹(ホテイチク)も移植されて、本家に倣って弁財天を祭り、今では日本七大弁天に数えられます。

 ところで、僕が弁天様にこだわるのは、弁天様は学問だけでなく芸術の神様として親しまれているからです。ピカソがモデルの女性を変えるたびに画風が変化したように、昔からミューズの神は女神なのです。しかし、竹島弁財天はいくら検索しても室町時代の絵の画像しか出てこないのです。もしかしたら秘仏なのでしょうか。

 竹島の八大龍神社の祭神は豊玉彦命ですが、僕は古代史で豊玉彦命はヨセフの外戚(義理の父)である、オン(ヘリオポリス)の祭司ポテペラであると書いています。もうお分かりですね。祭っているのがポテペラだからホテイチクなのです。中国の唐の晩期、布袋(ほてい)のモデルとなった僧が居るそうですが、僕は布袋そのものがポテペラをモデルとしたものと思っています。唐時代の景教の影響ではないでしょうか。

 竹島の竹は松竹梅の中央ですが、梅は「食べる事なかれの木(実)」で、食べたら死ぬと神に忠告された木の実を口にした人間の罪を表しています。ここから、梅の紋は「ナカレ」の紋に位置付けられます。「ナカレの紋」とは、「牛を拝む事勿(なかれ)」を表した「物」という字の部族にふさわしいもの。そう、物部氏の名前は「牛を拝む事なかれ」と言ったモーセから来ています。従って、梅の紋もモーセの一族にこそふさわしいのですが、僕は古代史で五弁の家紋はユダ族に関係しているのではと推量しています。果たして、ユダ族に付帯したモーセの子孫が梅の紋なのか?少なくとも、物部氏の布留(天理)の地で信仰を集める天理教が梅の紋である理由の説明にはなりました。梅も物もナカレなのですから。

 さて、岸和田の城神社は橘と木瓜(もっこう)で、こちらもユダ族の家紋と考えられます。竹島の神社は桐の紋で南ユダのベニヤミン。竹生島は背の高い浅井姫命の切り落とされた首が島になったとされていますが、背の高い姫様と言えばどう考えてもオンの祭司ポテペラの娘アセナテですよね。獄から宰相に取り立てられた小柄なヨセフが結婚したのが背の高いアセナテ。要するに、弁財天のモデルはアセナテだったのです。このように、僕の今回の旅は、徳島と岡山のエフライム(北イスラエル)から、岸和田の南ユダを経て、最後にエフライムの母であるアセナテが弁財天として祭られる竹島で終わったのです。

 僕の旅は、分裂したイスラエルが元の一つに戻る未来の象徴でした。今回のルートに入らなかった地方へも、やがて足を運ぶ機会があると思います。奇しき因縁があればこその日本の旅。僕の封印を解く行脚も続きそうです。

     エフライム工房 平御幸
コメント

荒祭宮の荒御霊

2009-09-28 11:27:37 | Weblog
 ソドムの難波で二泊もする気がなかったので、ダンジリ見学の後は伊勢神宮展を見て松坂に向かいました。ところが、松坂は松阪牛で有名な割には田舎で、ネットカフェが無くてブログの更新ができません。少し都会の津まで出かけてみましたが、やはりありませんでした。

 歩いて行けると思って予約した松坂のビジネスホテルが駅から遠いのが分かり、仕方なくタクシーで向かいました。若い運転手さんの感じが良かったのですが、食べるところは中国料理の店しか無く、宴会のグループが居てウンザリでした。しかし、朝には発見がありました。ホテルのすぐ横が洋菓子店で、あとで調べてみると、松坂まなび野森パティスリーサンミシェルとありました。夕暮れ前に弟子が送ってきたときに立ち寄り、アップルパイを朝食に求めました。でも、まなび野森は長崎に本家があるようで、長崎の読者からの情報を期待ですね。

 と、そこまでは良かったのですが、弟子が車を停めたスーパーがイオン系で、買った飲料水5種類で巨人に5点先制され、買った固形物3種類で追加点3点を喫し、スワローズはボロ負けしました。僕がイオン系と知って神を試したのが悪かったのですが、あの死体水事件のマームとは違うので一安心。でも、巨人に3連敗でも、僕は以前より余裕がありました。それは、荒御霊(あらみたま)の御陰かもしれません。

 伊勢神宮の内宮(ないくう)には天照大神を祭る正宮のほかに、荒御霊を祭る荒祭宮(あらまつりのみや)というものがあります。弟子は僕と読者を案内してくれていたのです。荒祭宮は内宮一の別宮とされ、僕も荒御霊のパワーを授かって、より行動的に活動できるように感じます。また、体調も驚くほどの回復振りです。

 実は、旅行の初日は沼津までの特急に乗りましたが、沼津駅のトイレで血便が見られるほど体調は悪かったのです。血便はふつう黒いものですが、このときは鮮血で下血と言ってもよい症状でした。これに名古屋でのストレスが加わり、徳島に着いたときはヘロヘロでした。徳島でパワーをもらい、岡山や岸和田で回復しても、荒祭宮で本当に力を得た感じです。力と言っても、揺るぎない自信のような、むしろ落ち着いた感覚ですが。

 ご存知「六芒星」

 前に鳳凰の船首を持つ船形の雲をアップしましたが、あれは鷁首船(げきすせん)と言うのだそうです。京都の三船祭りで有名なようですね。この瑞兆は見る見る形が崩れて消えたので、デジカメで写したときは既に船首の鳳凰が崩れかけていました。わずか数分の瑞兆は、次の日の鳥羽フェリーの暗示でしょうか。

 古代史で、尻尾の短い鳥を意味する「隹」の字は、アヒルで象徴されたエジプト宰相ヨセフに関する文字と書いていますが、ヨセフがフル(エフラタ=後のベツレヘム)の出身であるのを裏付けるように、隹は正式にはフルトリと読まれるのだそうです。旅行初日の熱田神宮へ向かう名鉄の窓の左手では、カラスが二羽先導してくれました。熱田神宮で参拝をし、最後の鳥居をくぐったらカラスの羽根が落ちていました。やはり八咫烏(やたがらす)が先導してくれていたのです。

 名鉄で懐かしいドロミちゃん

 このような験(しるし)を受けた今回の旅行。今までにブログで書いてきた事の集大成のようでした。家紋の橘や木瓜(もっこう)について書いたのは比較的最近ですが、今回は特に二つの家紋が目に付きました。詳しくは、残りの旅程である蒲郡の竹島で明らかにするつもりです。

     エフライム工房 平御幸
コメント

ダンジリに見る新しさ

2009-09-26 21:34:29 | Weblog
 鶴と亀さんから岸和田のダンジリの資料をもらい、また資料館に保存されている古い地車を観ると、京都の祇園祭などに比べて意外にも新しさを感じます。ダンジリが今の形式になったのは江戸時代後半らしいので、祇園祭よりも新しいのは当然ですが、僕が言う新しさは別のところにあります。

 盛岡の八幡様の山車(だし)も九月の中頃に曳かれますが、都落ちした公家が移り住んだ関係で、山車の原型が祇園祭にあるので、台車は祇園祭と同じような源氏車を用いています。もっとも、祇園祭は四輪ですが、盛岡の山車は二輪で、方向を変えるのは楽チンです。

 盛岡の山車はいわゆる武者人形などで飾られ、子供が叩く前の小太鼓の列と、大人が叩く後ろの大太鼓で音の対比を成しています。しかし、僕が子供の頃から好きだったのは、見返りと自分では呼んでいる、後ろの小さな人形なのです。前の大きな武者人形は歌舞伎などに題材を取り動的です。対して後ろの見返りは静かな佇まいを見せることが多いのです。ひどいものは静かすぎるお地蔵さんのこともあります。大太鼓がズシンと響く後ろの人形が静であるところが面白いのです。

 このように、動と静などの対比は、陰陽という概念に基づいています。ある意味、日本人の美意識の根底にあるものですから、当然のようにダンジリにも見られます。しかし、ダンジリは一般に動的な側面ばかり報道されるので、静という姿を知ることはできません。僕も今回、夜の部の説明を受けて初めて知ったのです。

 ダンジリは夜になると、若い者の威勢から、子供や女性も加わった静かな曳行に変わるのだそうです。その時は提灯に火を入れ、昼間とは風情の異なる演出となります。盛岡の山車も夜になると提灯がきれいでしたが、ダンジリは特に夜の美しさに惹かれます。もっとも生で見ていないので、次回は夜の部も見逃さないようにしたいですね。

 ダンジリは木工の伝統を継承させる性格上、何世代かの内に新たに作り直す必要があります。これが伝統の中に新しさを感じさせる理由であり、またダンジリの生命線であるとも思います。意外に柔軟な運営面と、段取りでは絶対に手抜きをしない厳しさとが相まって、ダンジリはこれからも新しさを取り入れながら伝統を守って行くと思います。細かい三つ編みでひっつめた、女の子の黒人のようなヘアスタイルに驚きましたが、こういう流行を容認する懐の広さは面白いですね。

 なお、岸和田は地名ですが、キシは南ユダのベニヤミン族の名前。和田はエフライムの経由地である于闐(ウテン=ホータン)と同じですから、南北イスラエルが融合した地と見ることもできます。壬申の乱の時に大津から移り住んだ宮大工がルーツなら、大友皇子に従ったダン族かもしれません。木工の伝統を守るダン族も、祭司のレビのように各部族に付帯した可能性が出てきます。ダン族だから、段々に正体を現すのかな?



     エフライム工房 平御幸
コメント (2)

難波~日本のソドム

2009-09-25 09:59:33 | Weblog
 僕の子供の頃の日課に、盛岡駅朝八時発のディーゼル特急はつかり号を見に行くというものがありました。東北線初の特急だったのですが、電化前なのでディーゼル。しかも、東海道線のこだま号を模したボンネット型の先頭車両が特徴的で、今観ても個性的な顔をしていました。鉄道の絵ばかり描いていた当時、少しだけ鉄オタだった僕はこれが好きだったのです。

 というわけで、童心に帰って新幹線の500系にどうしても乗りたくなって、岡山から新神戸まで乗りました。東海道線は走っていないのです。満足満足。

 神戸では姉とご主人と長男に久しぶりに会い、翌日に岸和田のダンジリを観る予定だったので大阪の難波(なんば)に泊まりました。難波と言っても近鉄ではなく南海電鉄の方ですから、千日前と言った方が分かりやすいかもしれません。そう、劇場やパチンコや飲み屋や風俗の店が居並ぶ、知らない人でも知っている娯楽のメッカです。

 実は、難波に着いてホテルの予約をするためにネットカフェに入りました。その個室の狭いこと狭いこと。ちょっと太った人なら椅子に座ることすら無理ですね。さすがは大阪です。と変なところにあきれていたら何と、驚愕の事実が待っていました ジャン。それは、この地域の電話番号が、06-66×で始まるということです。あの獣の数字666が強制的に割り当てられているのです。

 それで、よほど宿泊先の変更をと思ったのですが、検索しているうちに末尾が777のホテルを見つけました。客を引き留めたいホテル側のアイデアでしょうか。これでは仕方なくも宿泊せざるを得ません。ホテルのすぐ近くには韓国エステというか垢擦りの店があり、1万6千円と出ています。いかにもたこにも怪しいですね。

 僕は結局、黒門市場というところでお寿司などを買い込み、ホテルで晩ご飯と朝ご飯を食べました。外で食べる気が失せたのです。予備校の寮が渋谷・円山町の旧芸者置屋で、隣のアパートではホステスが嬌声を上げていても、これほど猥雑な感じはしませんでした。というか、千日前は人の声で文字通りウルサイ(「古代都市ウルの騒」が語源←騒は潮騒のようにサイと読む)ので、神の声が全く聞こえない状況なのです。僕はここが日本のソドムだと実感しました。電話番号を割り当てた人も、多分にその意識があったのだと思います。

 僕の今年のブログは、家紋では藤や桜や橘というキーワードが頻繁に現れ、聖書学的には獣の数字の666に関することがメインになりました。実際、巨人が36年振りの三連覇で、36=6+6+6+6+6+6、あるいは1+2+3+…35+36=666の三角数となり、巨人が民主党の大勝利に連動した獣の象徴になっていることが分かります。経世会や旧社会党の膿が集まった民主党は、他チームの主力を引き抜いた巨人と同じ構造でもあるのです。

 この獣666が神の軍団に退治されるのが『ヨハネの黙示録』のテーマなのですが、僕が666の難波に居る間に巨人にボロ負けしたスワローズ。18日は十本の角の10点を取られ、19日には不気味な6点を取られました。20日は松坂でしたが、弟子がイオンのスーパー前で知らずに車を停めたので、買った五種類の飲料水と同じく5点を先制され、三種類の固形物と同じく3点の追加点で負けました。弟子の責任ではなく、イオンと分かってから買った僕の責任で反省汁ですが、皆さんもイオン系で買うのは注意汁 <`Д´# ∩ 。

 なお、千日前の千日ですが、神の時間の千日は人の時間で千年ですから、千年期と訳されるミレニアムと同じ意味になります。千日前はミレニアム前ですかね。ここに気が付いて読んでいた読者があれば賞賛に値します。

     エフライム工房 平御幸
コメント

太陽の道

2009-09-23 15:19:57 | Weblog
 今回の旅行のテーマに「太陽の道」というものがあります。「太陽の道」とは、昔のNHKで放送した番組のタイトルで、北緯34度近辺に点在するヒキと読まれる「日置・引・疋・曳」などの地に、古代の太陽信仰の跡が見られるという内容だったと思います。この時のプロデューサーが本を出し、後に関西の大学で助教授となったようですから、検索すれば出てくると思います。

 「太陽の道」は古くからの古代史ファンにはポピュラーなものですが、今回は僕が最初から知っていたわけではなく、岸和田で鶴と亀さんが教えてくれたものです。確かに、岸和田も伊勢神宮内宮も北緯34度27分ですね。それで帰ってきてから調べてみたのですが、徳島は北緯34度04分、岡山は北緯34度40分、蒲郡市の竹島は北緯34度48分と、すべて北緯34度の中に入っています。自分ではかなり北と感じていた蜂蜜屋さん(浜松市引佐町、天竜浜名湖鉄道金指駅)でさえ、北緯34度49分だったのです。そう言えば引佐もヒキですし、最初に蜂蜜を送ってくれた読者も地名に曳が付くのですね。

 このように、今回のルートは太陽の道だったせいか、行く先々で太陽の祝福が得られました。例えば、最後の蒲郡は天気予報では雨だったそうです。僕も松坂のビジネスホテルでテレビを見ながら心配していました。しかし、曇り空の下に僕が到着してから日差しが回復したので、読者も興奮気味に驚いていました。

 また、伊勢でも僕が神の証になることを弟子たちに話したとき、タイミング良く雲間から太陽が顔を出すので、弟子たちも太陽神に祝福されていると感じたようです。では、なぜ僕が太陽に祝福されるのでしょうか?その理由は、僕に託された大きな役割にあります。

 僕が以前に書いたように、イエスの言葉に「石造りらの捨てた石が隅の頭石になった。これは主がなされたことで、私たちの目には不思議に見える(マタイによる福音書21章-42)」というのがあります。この不思議な言葉ですが、奥義は簡単なのです。

 要するに、現在のメーソン(天皇家も含む)という石造りが構築している現代社会システムですが、これが行き詰まった先に備えられているのが、やがて復活する原始キリスト教なのです。メーソンは、金融などの経済基盤を中心に社会システムを構築してきましたが、今やそれが暴走して人を苦しめるようになりました。片や、コツコツと働いても生活保護費よりも少ない収入の人々。片や、何千億円もの損失を計上しても億単位でボーナスをもらう投資会社の人々。こういうモラルハザードが横行するときに、必要なのはメーソンとは無関係の価値観なのです。その価値観を具現化する存在が、メーソン(石造りら)が捨てた貧しい人々による、復活する原始キリスト教なのです。

 復活する原始キリスト教は新たな太陽の道として備えられた。それを証明する印が僕の今回の旅だったのです。イエスの再臨は、この道を真っ直ぐにした先にあるのです。社会から一度は捨てられたような人々が、新しい歴史を創るのですから、ある意味爽快ですね。でも、必要以上に力んだり意識したりする必要はありません。あくまでも自然体で、少しずつ成長すればよいのですから。まだ道の開通式の鍬入れの段階ですからね。

     エフライム工房 平御幸
コメント

読者の純粋性

2009-09-22 20:20:53 | Weblog
 ようやく旅から帰ってきました。一週間の間に随分と歩きましたが、やはり疲れがたまっていたようで、朝ご飯を食べてからメールを何通か出し、また夕方近くまで寝ていました。

 今回の旅行は一応『万葉集』ルートだったのですが、自分では松尾芭蕉キリシタン説に共感する旅となりました。要するに、全国に散った隠れキリシタンを芭蕉が訪ねる旅が『奥の細道』のルートだったのですが、僕も読者に会うことで、ブログや古代史を通してつながった細い道を辿ることになったのです。

 しかし、何人かの読者が会う前に不安だったと告白したように、この細い道は双方にとって未体験の領域にありました。唯一、弟子だけが昨年に会っていただけですから、不安なのは僕としても同じです。変な読者だったら疲れるなあと心配もしていたのです。でも、その不安は良い方に裏切られました。会ってすぐに、旧知の知り合いのように接することができたからです。これは、前世(霊体の頃)の因縁でしょうね。

 僕が読者に会って驚いたのは、その純粋さです。日本にまだこれだけ純粋な人がいるという事実に、麻生自民党が惨敗したショックが吹き飛びました。伊勢で会った読者の若い男性は、僕の古代史の計算式を検証してみたそうです。それで間違いがなかったとか…、ホッ&ホルホル。

 また、ある読者は驚くほど腰が低いし、ある読者は郷土を知って欲しいと資料を用意していたり、ある読者はガイドさんのように案内してくれたり、それぞれに心尽くしを感じることができました。僕の『万葉集=原始キリスト教の歌』説は、教義を歌で残したという意味ではなく、弾圧されて地方に散り散りになる人たちの、心の繋がりを、あるいは拠り所を歌集に託した、そのような微妙な意味合いがあるのです。今回、僕は同じような心境を感じたのです。

 最初の徳島ではまだ自分の役割が理解できていなかった僕ですが、岡山で読者に勇気をもらい、伊勢で弟子の成長した姿に自信を深め、大好きだった横綱玉の海の故郷・蒲郡では竹島の弁天様に歓待され、帰途には自分の役割を再確認できていました。ブログと古代史による世界へのささやかな影響ですが、応援してくださる読者に支えられて又頑張る力を得ました。不平を言わないで他の読者にも親切にしてくれた弟子、日頃の支援で支えてくださる読者の方々、今回の旅程の先々で会った読者の皆様、それから蜂蜜などのヒントをくださった読者の方などに、改めてお礼を申し上げたいと思います。次回からの旅行記にご期待ください。

   エフライム工房 平御幸
コメント

伊勢神宮の雲

2009-09-21 17:27:36 | Weblog
伊勢神宮で不思議な雲↓を見ましたので、とりあえず報告します。詳しくは帰ってから書きますが、船首が鳳凰の船に見えたのです。写真を撮ったときは形が崩れかけ、ほどなく流れてしまいました。貴重な瞬間に、僕と弟子と、それから読者の一人が立ち会うことになったのです。


なお、今日の夜には帰っているつもりでしたが、寄り道したので帰るのが遅れます。帰りは鈍行で道中の景色を楽しむつもりなので、これから時刻表を調べてみます。
コメント

吉備路の秋

2009-09-18 08:28:18 | Weblog
キビ団子で有名な岡山の読者に、日本で四番目に巨大という造山(つくりやま)古墳を案内してもらいました。一宮という駅からサイクリングロードをまっしぐらです。

のつもりでしたが、吉備津彦神社を参拝した後で道を間違えたようです。長い坂を自転車を押し押し苦労して上り、もうすぐ小高い岡の頂上というあたりで気がつきました。それで最初の予定には入っていなかった岡山県古代吉備文化財センターが目の前にあるのに気がつき、急遽、休憩を兼ねて訪れることにしました。

岡山県古代吉備文化財センターは小さな施設で、展示室も一つだけで少し寂しいのですが、入場無料なので文句は言えません。それよりも、飲料水の自販機が何とヤクルト製品ではありませんか、ヤター!ということで、ヤクルトを飲みながら休んだ後で、展示品を見てもとの道に戻りました。

さて、道を戻ったはいいけれど、またしても道に迷いました。今度はお隣の倉敷市まで行ってしまったようです。倉敷市矢部1377番地のサークルKで正しい道を尋ね、ついでにアイスクリームを買って一休み。その後は無事に目的地の造山古墳に辿り着く事ができました。

古墳の周囲は掘りも埋められていて人が住んでいます。前方後円墳の前方部には鐘楼もあり↓、読者が軽く叩いたつもりでも結構大きな音で驚きました。ベンチで休んでいると平氏の家紋のアゲハチョウが飛んで来るし、この古墳がエフライム系なのかと思いましたね。



今回、二度も道に迷いながらも結果的によいサイクリングとなりました。カラス(ヤタガラス)が導いてくれたり、神様がわざと迷わせてくださったと感じることもできました。人生の道を間違っても、正しい道に戻る勇気と判断があれば、道に迷ったことは糧となり、将来は経験が役に立つときが来ます。

読者と共に道に迷って見上げた秋の空、薄く刷いたような雲が晴天に映えて美しかったですね。読者もやがて、教会などで証をする機会が来れば、今日の出来事を話すだけで多くの人に感動を与えられる事でしょう。吉備路の秋によい経験をしました。

    エフライム工房 平御幸
コメント (4)

徳島の徳

2009-09-16 21:24:57 | Weblog
僕は何かと徳島に縁があるのですが、徳島の徳について考察したことはありませんでした。しかし、徳島でホテル試飲のすだちワイン飲んだら、徳の字が十四の心であることに気がつきました。

十四の心とは、イスラエルと呼ばれたヤコブの12人の息子のうち、ヨセフがマナセとエフライムに分かれたので息子の数は13で、これに父ヤコブを足した数なのです。ここから、御、行、往、徒、などに用いられる行人偏が、単なる人ではなく、ヤコブという特定された人を意味すると考えられるのです。

たとえば、御の字はオンと読めばヨセフの妻の父であるオンの祭司ポテペラを指します。恩、音、温、穏、遠、などのオンはヨセフの恩人ポテペラに関する言葉だったのです。しかしギョやミと読めば、外戚ではなく実父のヤコブになるのです。行人偏の偏だけを取るとテキと読むそうです。これが競馬関係者が調教師をテキと呼ぶ理由ではないでしょうか。ヤコブは遊牧民の父でもあるのですから。そういえば、適任の適は道を意味するシンニョウですね。遊牧民にふさわしい。漢字は有機的なつながりを持つ、シルクロードを旅したイスラエルの民の傑作魔改造品ですね。
コメント

危機一髪

2009-09-15 19:52:08 | Weblog
僕はここ何年も雨に濡れたことがないのです。降ってくるのはいつも帰り際の数分で、神が雨を降らすの待ってくださったと感謝できるのです。

ところが、今日は掛川から天竜浜名湖鉄道に乗ったところで雨模様。無人駅も多く、途中でタクシーを見かけることも一度だけ。これでは金指(かなさし)の山口養蜂園に辿り着くことは困難かなと思いました。しかし、神様はちゃんとタクシーを用意してくださっていたのです。

タクシーの運転手さんに訊くと、雨が降らない日が続いたので天の恵みだとか。しかも、駅に戻ってからパンフレットを見ると、後醍醐天皇の第四皇子である宗良(むねなが)親王を祭る井伊谷宮が近くにあり、来週に祭りが催されるとのこと。これで今回の旅の目的が分かりました。それは、南朝というか、北イスラエルのエフライム繋がりで、金指から徳島にルートが決められたということです。

山口養蜂園のご主人は白髪のご老人で、白髪はエフライム族の特徴です。しかも、エフライム名前のもとになった下エジプトのシンボルが蜜蜂なのです。乳と蜜の流れる土地というのは、ここに雛形があったのです。

ところで、徳島というと戦国武将の蜂須賀家ですが、ハチスカは蜂スカで下エジプトの太陽を指すのです。明日香も春日も、スカは太陽を意味するのです。このように、「蜂=下エジプト=エフライム族」という図式が設立します。

名古屋に着く前に熱田神宮を参拝と思ったら雨でした。それで焼きソバ屋さんで遅い昼食をとっていたら雨が上がりました。初めての熱田神宮でも神様は雨を避けてくださったのです。嘘だと思ったら午後五時の天気を調べれば分かると思います。この時間帯だけが雨が上がっていたのです。しかし、名古屋から徳島へのバス料金が6600円と不吉なので心配していたら、名古屋に着いたらまた雨。変だなと思って、名古屋で会いたいと言ってきた読者にバスのチケットが取れたかどうか確認の電話をしたら、何と金がないから買っていないと言う。金がないのなら口座に送金するとメールで送ったのにですよ。

皆さんも信じられないでしょう。金がないとかチケットを取っていないとかの大事なことは、数日前に連絡しておくべきことです。これが名古屋の雨の原因だったのです。慌てて自分でチケットを購入しようとしたら、JRバスの機械が徳島行きの便など無いとメッセージ。それで受付の女性に確認したら最前列だけがかろうじて残っていた模様。神を信じて人を疑った結果、ギリギリで徳島行きに間に合いました。

徳島の方は飛行機で来いとかホテルを予約するとか、同じ読者でも天と地ほどの正反対の対応です。僕もこれに懲りましたから、読者と会うときのハードルを上げようと思います。新規の読者とは会わない。一年以内の読者は、古代史CDを読んだ上で、旧約聖書の創世記は読破しているのを条件とします。自分の都合ばかり考えて、相手の都合とか立場に思いが至らない読者は失格です。
コメント

伊良湖の島

2009-09-14 03:30:51 | Weblog
 今回の旅程にどうしても入れたかったのは、渥美半島の先端にある伊良湖(いらご)です。『万葉集』では麻績王(おみのおおきみ)の歌で有名ですが、伊良湖に流された麻績王は次のように歌っています。

うつせみの命を惜しみ浪にぬれ伊良湖の島の玉藻刈り食す (巻一)

 この歌は、島流しの刑にあった皇子が、伊良湖で海草を採って食べるという、境遇の悲惨さを歌ったものとされていますが、僕は別の解釈をしています。というのも、『万葉集』は飛鳥時代後半から奈良時代にかけての、仏教の勢力に弾圧された原始キリスト教側の歌ではないか、と僕は推論を起てています。『万葉集』に隠される原始キリスト教は、イエスの弟子が漁師だったことから、いざり(居座漁)という言葉が度々登場します。赤塚不二夫のギャグに「右や左の旦那様」と箱車に乗ったいざり(足の不自由な物乞い)が登場しますが、座ってする漁がいざりだから、座ってする物乞いもいざりと呼ばれたのです。さて、人麻呂は次のような歌を残しています。

武庫の海の庭よくあらしいざりする海人の釣船波の上ゆ見ゆ

 この歌は武庫の浦の漁を歌ったものとされていますが、漁が原始キリスト教の布教の隠語だとしたら、全く違った情景になるのです。奈良の秋篠寺にはダビデ像が秘仏として安置されていますが、仏教を隠れ蓑に姿を変えた原始キリスト教は、島流しにあった先でも信仰を捨てずに漁(布教)をしていたのです。玉藻は女性信徒のたとえだと思います。

 という事で、決まった日程の報告をします。

15日(火曜日)
午前中に浜松の山口養蜂(ようほう)園に行き、蜂蜜を求める予定。掛川から天竜浜名湖鉄道に乗り換え、金指駅下車20分らしい。午後には名古屋駅に向かい、夜の八時に名古屋駅の金の時計モニュメントで読者と待ち合わせ。23時発のJRバス・オリーブ松山号で徳島に向かう。

16日(水曜日)
午前5時過ぎに徳島駅に到着。読者の案内で徳島を探索。

17日(木曜日)
徳島から岡山に移動。岡山の巨大古墳を見る予定。

18日(金曜日)
神戸や奈良の予定

19日(土曜日)
午前10時頃に岸和田に到着予定。鶴と亀さんの案内でダンジリを見学し昼食の予定。伊勢に向かう。

20日(日曜日)
伊勢神宮を弟子の案内で訪問。鳥羽へ向かう。

21日(月曜日)
鳥羽からフェリーで渥美半島の伊良湖岬に向かい、伊良湖から豊橋に出る予定。豊橋から先は未定。

 以上は予定として組んでいますから、都合が付いて来られる方は連絡をお願いします。なお、伊良湖の歌の麻績王に麻生総理と同じ麻が入っているのは偶然です。それにしても、「伊良湖の島の玉藻」という言葉の響きは何と美しいのでしょう。残念なことに伊良湖では一人旅なので、寂寥感を満喫ですね。

   エフライム工房 平御幸
コメント (2)

19日はダンジリの初日

2009-09-10 23:51:32 | Weblog
 岸和田の鶴と亀さんから19日にダンジリの初日と伺いました。それで19日には岸和田でダンジリを見学し、20日に伊勢で内宮の神楽を拝見する予定になりました。岸和田で昼食会ですかね。

 体調とかいろいろあるのですが、16日の水曜日に徳島、17日の木曜日に岡山、18日の金曜日に近畿圏、そして上記の日程になりそうです。

 ダンジリはイスラエル12部族のダン族のお祭りで、木工の技術に長けたダン族が木工技術を神様に捧げるのがダンジリ祭りの本質です。族長アミシャダイの時代に車台形式の山車(だし)を考案したので、神輿ではなく山車なのです。ダン族の祭りだから、ユダ族の扇子ではなく、ダンが名前に入る団扇を用いるのです。ダン族は部族のシンガリ(=尻)を行進したのでダン尻なのですが、ダン族が作った殿をシンガリと読むのですが(例えば殿鑑)、シンガリとは何かは未だに謎のままです。

 ダン族はイスラエル分裂後は北イスラエル王国に属しましたが、その中ではヤコブの長子特権では9番目の扱いになります。ここから尻に九の字が用いられているのだと思います。尸は「しかばね」と読みますが、ヤコブが亡くなって700年でイスラエルは分裂したので、ヤコブの死後という意味が隠されているのだと思います。あるいは、戸(ヘブライのへ)の字がイスラエル(ヤコブの別名)を指すとしたら、戸が分裂して尸となったとも考えられます。イスラエルは12部族が揃ってはじめて戸の字になるのです。

   エフライム工房 平御幸
コメント

伊勢神宮への道

2009-09-09 08:35:48 | Weblog
 今日は9月9日です。この救世主のシンボル数である9が重なる日は、古来から重陽(ちょうよう)の節句として日本人には特別なものでした。健康によいとされる菊酒を飲み、長寿を祈願したわけですが、救世主と菊の関係は掬(すく)うという字で明らかです。

 草冠は茨の冠を被せられたイエスの象徴。そこに掬うの旁(つくり)が加わり、イエスが手を差し伸べて救済する理念を表します。実は、ここに旧約の神ヤハウェと、新約の神イエスの違いがあるのです。

 ヤハウェの時代には、神はエリと呼ばれました。これは日本の魞(えり=魚偏に入)漁の仕掛けで分かるように、魚が定置網で入ってくるのを待つのが旧約の神なのです。対して、イエスの弟子が漁師だったことで分かるように、積極的に網を投げて、迷える子羊を捕まえに行くのが新約の神なのです。待ちの姿勢のヤハウェと、自ら救けに行くイエスの違いは、両手を襟(えり)の形をして囲い網を設ける魞漁と、掬うという手を差し出す行為の違いでもあるのです。

 ですから、どこかの教会に属してクリスチャンと自認する人は、この最低限の理念の実践者でなくてはなりません。手を差し出さないで、観ているだけの人はクリスチャンではないのです。

 さて、引っ越しの片付けも終わりつつあるので、懸念の伊勢神宮参拝を予定しています。日程はまだ決めてはいませんが、せっかく西へ行くのだから、出来るだけ足を伸ばして、都合の付く読者に会いたいと思います。弟子が日曜休みなので、日曜日は伊勢を案内して貰うとして、その前後は決めていませんから、読者の方からメールを頂くと都合が付けやすいですね。それとも、伊勢や奈良などに来られる方は、研究会名目の散策が良いでしょうかね。草餅やお団子やら、名物も待っています。

 僕は鈍行列車やバスで乗り継いで行きますから、新幹線が通っていない駅でも降りられます。出来れば四国や中国地方まで足を伸ばしたい所ですが、案内して下さる方がいれば実現できるかもしれません。今の季節は放浪するのにピッタリなので、お伊勢参りも気が楽ですね。僕はノートパソコンを持っていないので、その間の更新はネットカフェからになりそうです。連絡には携帯のメールを予定しています。

   エフライム工房 平御幸
コメント (6)

愛の喜び~マルティーニ

2009-09-06 22:00:58 | Weblog
 ショパンより少し前にフランスで活動したジャン・ポール・マルティーニの代表作が「愛の喜び」。しかし、詩の内容は、愛を失った男の苦しみを歌ったものでタイトルとは正反対。今回これを取り上げるのは、往年の名ソプラノであるエリザベート・シュワルツコップ盤が手に入ったからです→こちら(右クリックで開く、または保存)。

 この盤(歌の翼に「シュワルツコップ珠玉の名歌集」東芝EMI 廃盤に収録)は1956年に録音されたもので、録音は高域が潰れてひどいものです。シュワルツコップの不幸は良い録音で残された作品が少ないという事に尽きます。それで、多分に実際より線の細い歌唱力と見られているはずですが、彼女の表現力はやはり一流と言わざるを得ません。

 作曲者のマルティーニは無名に近いのですが、この曲は浅田真央08年エキシのショパン「別れの曲」と冒頭が似ています。年代からもショパンの方が盗作と誤解される位置にあり、曲の完成度(歌付き)でもショパンの方が劣っていると思います。ショパンの方がシンプルさで劣りくどいのです。それは元来がピアノの練習曲であった必然で、ピアノ曲に歌詞を付ける難しさを証明しています。エキシ曲の冒頭を初めて聞いた後で、僕はショパンと分かってガッカリしました。歌詞を付けたので低俗になったピアノ曲の代表です。ちなみに、ショパンは「愛の喜び」を知らなかったみたいですが。

 「愛の喜び」は、プレスリーも「好きにならずにいられない(Can't Help Falling in Love)」としてカバーしたとされますが、僕はプレスリーは好きでないので知りません。僕は混んだ電車の中で腹を押し付けられて以来、脂ぎった中年デブ男が嫌いなのです。太ったロックンローラーはただの豚だ。

 この盤の中で、僕が好きなのはチャイコフスキーの「ただ憧れを知るもののみ 作品6-6」と、モーツァルトの「春へのあこがれ K.596」、それに「ダニー・ボーイ」などですが、返す返すも録音がひどすぎます。なお、シュワルツコップが結婚したのは僕が生まれた年だと改めて知りました。06年に他界されたようですが、芸術は時間を止めるものなんですね。

   エフライム工房 平御幸
コメント (2)