平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

天皇賞

2011-10-29 19:52:30 | Weblog
 白亜のマルスは好評ですが、本が届いて最初に見せたのは、郵便受けの前で掃除をしていた大家さんのお婆ちゃん。大家さんは日本画が好きなので、一目見て絶賛。石膏デッサン云々ではなくて、一枚の絵画として見て本質的に良い絵なのです。

 よい絵というのは、才能のきらめきがもたらす品格があり、また一瞬で観る者を捉える魔力があります。だからこそ、多感な女子高生が『白亜のマルス』と命名したわけですが、そこにはもうひとつの理由があります。それは色気です。

 マルス像は軍神ですが、たくましい筋骨とは裏腹に、その顔立ちは独特の色気があります。その色気は、タバコ一本分をくわえられる、少し開いた唇によってもたらされているのですが、その唇とバランスするのが彫りの深い眼窩と、筋の通った鼻なのです。そのようなパーツが組み合わさった顔がやや下を向き、そのために複雑な陰影が表情に揺らぎを与え、それがデリケートな色気となっているのです。

 このような表情を表現するには、最初に大掴みして徐々に形を細かく描く、一般に教えられているデッサン理論では到底無理があります。僕は、デッサンの最も最初の段階から、瞼の下の陰から描く事もありました。それができるのは、全体と部分の関係が、オーケストラと各パートのように把握できていたからです。

 もっとも、このようなことは新美時代にも芸大の時も誰にも話しませんでしたが。話しても理解できる仲間はいないからです。当時の先生も、他の生徒との違いをこのように説明出来なかったでしょう。そのように思い出して調べたら、新美時代の武田成功(ガラス工芸パートドヴェールに転向)先生が一年前に亡くなっていました。

 絵をよく知らない人は、褒め言葉として「写真のようだ」と言います。しかし、写真というのは、空間や立体感のない平面的なものなので、本当は褒め言葉とはならないのです。あえて使うなら、リアル、存在感がある、質感がある、生き生きしている、などがふさわしいですね。「写真のようだ」の褒め言葉を僕は気になりませんが、気になる絵描きもいるのです。小学生に絵を見せるとマジで興奮するので、僕の絵はリアリティがあるのだと思います。

 さて、天皇賞ですが、日曜日の雨予報が曇りに変更。雨ならばダークシャドウからエイシンフラッシュと思っていましたが、晴れたなら素直にブエナビスタとローズキングダムから。トゥザグローリーとペルーサにダークシャドウとエイシンフラッシュ。トーセンジョーダンとミッキードリームの押さえまで。

 民主党前で抗議の座り込みがあったのですが、天皇皇后両陛下の御料車が通られ、室内灯を点灯されて、わざわざ手を振られたというトゥイッターの書き込みが拡散されています。錦の御旗は掲げられたわけですが、TBSの『南極物語』を例にあげて、そう一筋縄では行かないことを次回に書きます。

      エフライム工房 平御幸
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白亜のマルス

2011-10-26 12:40:26 | 芸術
 花王の株が11時現在で5%の暴落。日経の平均より4%も悪い、明らかな売り銘柄となっています。何が投資家を落胆させたんでしょう(棒)。不買はやはり効果満点です。ちなみに、現在の不買人口は最低でも200万人を超えていると思います。購買に関わる年齢層の女性は4000万人ですから、昨日の分析の5%と一致しています。

 昨日の市況の掲示板で、分かりやすい分析がありました。キャプチャーして紹介します。


右側が切れているので右クリックで画像を表示

 この中で、在庫が26.5%、原材料の貯蔵が21.1%増えています。在庫が増えたので生産が滞り、原材料がだぶついていると分析されています。これから見ると、現在は5%程度の落ち込みがすぐに20%~25%へと拡大すると予想されます。その場合の不買人口は最大1000万人を超えます。というか、実質的に今現在で1000万人を超えているのでしょう。花王は大変なことになりますよ。

 ところで、白亜のマルスが掲載された『美術手帖』が届きました。見開きの二面を使った新宿美術学院の広告に、懐かしいマルスの石膏デッサンが使われています。ちゃんと一番とあるでしょう。この年の新美の油絵科は、芸大の過半数を独占したほど勢いがありました。その中で日本画(当時はデッサン科所属)の僕がトップですから、先生も仲間もみんな驚きました。




石膏デッサン マルス 出来るだけ離れた遠くから見ること(形が浮かび上がってくる)

 というのも、それまでの僕はマルスのデッサンとは正反対の泥臭く描き込む毎日でした。油絵科の先生の教えを無視するような描き方をしていたので、全員が僕に騙されたのです。このコンクールは2日制でしたが、昼に地下食堂の皿洗いを頼まれていたので、僕の製作時間は他の生徒よりも合計1時間も短いのです。ですから、全く無駄なく描くことが完成の絶対条件です。僕はそれをやり遂げたのです。ちなみに、この時の油絵の方も日本画の辻さんが一番でした。油絵科よりも日本画のほうが感性が豊かなんですね。

 平常の僕は、描き込みすぎるくらい描き込んで、いわば試行錯誤の実験をしていたのです。しかし、他の生徒は先生に褒められるように描き、冒険も実験もない毎日でした。この差がコンクールという、いつもの3日より時間の短い場で差として出たのです。もっとも、描き込むことのできない生徒はダメなんですけどね。先生がストップをかけるくらいに描き過ぎるタイプ。このほうが伸びるのです。

 白亜のマルスですが、光と影が織り成す陰影の流れが、まるで音楽が聞こえてくるようなリズムで描かれています。細部には手直しをしたい所は散見されますが、ほとんど測らないでフリーハンドで描いた心地よさ。一度でも石膏デッサンをしたことのある人なら、フリーハンドでスラスラと描く難しさは理解できると思います。その上で、トーンや空間や光の流れを描いているのです。

 このデッサンはクロッキーの延長にあり、ピカソやレオナルドの線描と同じように自由に手が動いているのです。当時は、モザイクが集まったような、面張りと揶揄されたデッサンが主流でした。それを壊してフリーハンドの自由さを与えたのが僕なのです。ですから、僕の革命は今の学生にも影響を与え続けているのです。

 僕は教えるのが上手だったので、同じ日本画だけでなく、デザインや油絵科の学生にも教えていました。難しく教える先生は失格なのです。本人がよく分かっていないから難しく教える。生徒の方も難しく考えるタイプは伸びません。屁理屈ではなく、極めて合理的に観察して、極めて合理的な技術で描くのがデッサンなのです。モーツァルトの楽譜のようにシンプルで美しく。

 ということで、難しく考えて行動力が無くなるタイプは反省汁。難しく考えるタイプはビクビクして、すぐに無駄に落ち込むから…。落鮎のように、水が流れる方に考えが進めば良いのです。みんなはきっと努力家だから、逆らって登る鯉の滝登りが好きなんですねぇ。ウリのように、頭の中の80%が遊びでできていれば、「遊び=自由」が理解できるのです。

参考 石膏デッサン マルス 画像検索

      エフライム工房 平御幸
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

素直さと責任

2011-10-24 14:22:24 | Weblog
 菊花賞のオルフェーヴルは強かったですね。3才牡馬では世界最強だと思います。次走はどうするんでしょうね。僕なら休養させて、春から帯同馬を伴ってフランスに渡らせます。もちろん、凱旋門賞を見据えてですが。

 2着のウインバリアシオンは最後方から。安藤騎手の騎乗を批判する人もいますが、母の父ストームバードを考えたら、距離や展開に疑問の付く馬だと分かります。先行したら掲示板がようやくだったと思いますから、むしろ安藤騎手のファインプレーと評価すべきです。トーセンラーは理想的な展開と位置取りでの成績。現時点ではパンチ不足ですね。

 ところで、この前に出したヒルコとオノゴロ島の問題ですが、メールで答えをもらった中で明らかな傾向が見られました。正解に近い回答者は、SNSも含めた普段の活動で積極的なのです。SNSで日記を書いたりコメントを書いたり、そのような活動が知恵の目を開かせるのです。いくら聖書や『記紀』を読んでも、心が足りなかったら知恵の目は開かれないという好例です。

 僕の活動というのは、将来のイエスの再臨を見据えた、そのための基礎作りです。ですから、基礎作りに必要な人材を優遇し、また育てているのです。従って、古代史を含めての活動は「神の計画」の一部であり、僕にもその計画の全貌は見えていません。神が基礎を作れと言うから基礎を作る。必然的に、集められた基礎となる隅の頭石には責任があるのです。

 しかし、最近はこの責任をおそろかにしている読者が目立ちます。前にも書きましたが、僕のブログは書きたいことを全部書いているわけではありません。読者にコメントなどで補完させるべく、あえて内容的に不足にしているのです。この不足分を補える人はヨシュア(モーセの権威を授かった大預言者)になれるのです。

 弟子も含めて、僕の活動に対して、読者の中で「●●しなくなった」ということを数え上げて見ることを推奨します。その数が多い人程、自分は努力していると思っていても、実は逆に落ちているのです。メール、コメント、日記など、このような些細な活動が霊格を上げて、知恵の目も開くようになるのです。これが読者の基礎なのです。

 この基礎の上に、さらにポスティングやチラシ配りやデモ参加など、僕の目に届かないそのような活動が加わって、初めて神の目によしとされるのです。僕は長くても数年しか生きられないし、その前に後継者を育てなくてはならないし、このままでは男の中から後継者を出すのは難しくなる感じですね。

 なお、以前のSNS絡みで「日の栄光・月の栄光・星の栄光」を説明し、鈍感な読者を星に落とすと書きましたが、現世はもともと星の位なので、実は落ちてはいないのです。僕が怒ったように見せないとシャキッとしないですからね。本当に落とされたら光のない地獄です。日の栄光に入るには、最低でも基礎の石になって責任を果たす必要があるのです。知識は知恵の上には位置付けられません。知恵が知識の上にあるのです。

 ということで、難しく考え過ぎたりして正解から程遠かった読者は、改めて基礎から反省汁。一番正解に近かった読者は、全員が納得する活動をしているし、ご褒美としてミカエルも一番良い出来で嫁入りしています。これも神の技なんですね。神様はよく見ていると思いました。

      エフライム工房 平御幸
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒルコとオノゴロ島の解き明かし

2011-10-17 14:19:22 | 古代史と聖書
 『記紀』の神話は聖書やオリエントの逸話がベースとなっていますが、聖書そのままでないのには幾つかの理由があります。

 まず、聖書そのままだと、未来(編纂の時代から見て)にイエズス会のキリスト教布教が来た場合、日本が契約の箱を持つ正統なイスラエルであることがバレてしまいます。日本は滅ぼされていたでしょう。『記紀』編纂者の預言者・藤原不比等はその愚を避けたのです。

 次に、日本に来たイスラエル12部族は様々なルートを取ったことにより、経由地での土着神話を吸収してきました。それにより、各部族では(あるいは部族の中でさえ)、自分たちのルーツの話とは随分と違う物語が語られるようになったのです。特に、弥生時代の南方経由のイスラエルの神話は変質が甚だしいようです。

 『古事記』は基本的に南ユダ系の神話がベースとなっています。そして、この神話が形成されたのは、古墳配置がギリシャやエジプトの星座と一致する古墳時代なのです。この時代の直前、日本の東西が衝突して大災害が起こり、いわゆる卑弥呼に代表される弥生時代は滅びたのです。集落が湖に飲み込まれるほどの大災害から土木技術で日本を救ったのが、南ユダ系の考案した堀を持つ古墳なのです。古墳は灌漑技術のシンボルなのです。

 このように、弥生時代から古墳時代にかけて、南方経由のイスラエルの神話と南ユダ系の神話が合体し『古事記』のベースが作られました。しかし、北イスラエル系の賀茂氏や藤原氏の祖先が東日本を経由して大和に入ると、中国大陸から北イスラエル系の本隊を迎えることになります。これが天武の時代なのです。そして、この時代に『記紀』が編纂されて北イスラエル系の正統性が組み込まれたのです。

 さて、ここまで書けば察しは付くと思いますが、『記紀』の国生み神話は『創世記』の天地創造を雛形とし、そこにアダムとイブの物語を重ねているのです。しかし、主に南方経由のイスラエルの語り部が語ったことがベースですから、やたらに南方の神話などが混入されてワケワカメ(訳分からん)になっているのです。ということは、南方系の神話を取り除くと、雛形となる聖書の話が見えてくるのです。

 ということで、答えはアダムとイブの二人の息子、流浪のカインがヒルコで、殺されたアベルがアハシマなのです。アハシマの事まで書くと大ヒントになるのであえて書きませんでしたが、次男のアハシマもヒルコと共に神に数えられないので不幸な死だとわかります。

 『日本書紀』では、ヒルコは三年たっても足が立たなかったとあります→こちら。これは、人として独立出来なかったという意味で、カインが人間として数えられないのに呼応した表現です。また三才は、三つ子の魂と言うように、三才までは本能で生きるがゆえに人間扱いされないのです。

 『古事記』と『日本書紀』は補完される関係にあり、それで『古事記』だけではなく『記紀』と書いたのです。オノゴロ島は聖書的にはパンゲアですが、アダムとイブが追放された先とも解釈できます。いずれにしてもエデンではありませんから、エデンの東という答えがふさわしいかもしれません。僕的には「自ずと凝り固まった最初の大地」がオノゴロの意味だと思います。

 古い物語は、幾層にもレイヤー(層)が形成されているので、不必要なレイヤーを取り除いて、本質的なレイヤーだけを残す作業が必要になります。レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画を修復するときに、後世に塗られた余分な絵の具を取り除くのに似ています。学者は、その余分な絵の具の判別ができないので、新しい余分なレイヤーを後生大事に有難がっているのです。もっとも、そもそもレイヤーという概念が理解出来ないのかもしれませんが。僕は日本画なので最初からレイヤーの達人です。

      エフライム工房 平御幸
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東西日本と天然セシウム

2011-10-16 20:16:12 | Weblog
 前回の問題の中で、国生み神話には、佐渡島を除いて東日本は登場しないと書きました。配布している古代史の第四部でも書いているのですが、このような東西断絶は銅鐸分布でも見られます。何故か?それは、東西日本が最初から今のように繋がっていたわけではなく、飛鳥昭雄氏の説のように、東西日本が衝突して日本列島が形成されたからです。

 日本列島は、古代日本では大八島と呼ばれますが、これは東日本と北海道を含まない、卑弥呼時代の地図上で八つの島なのです。ここから分かるように、佐渡は本来的に西日本に含まれるのです。しかし、東日本と西日本が衝突すると、大陸から佐渡経由で北イスラエル系の部族が渡ってきます。そして、茨城の鹿嶋を拠点にし、そこから熊野経由で大和入りすることになるのです。

 このような、東西が衝突して日本列島が形成されたとする根拠は色々あるのですが、最近は原発問題から天然セシウムの分布が注目されます。図のように、天然セシウムは見事にフォッサマグナで東西に分断されているのです。



 この画像は、東亜+で最強コテ(固定ハンドル)と呼ばれる真紅のトゥイッターで拾ったものです↓。

(゜Д゜) セシウム怖い人はこのグラフを見てくださいね。各国が先を争って核実験を行った40年前。じゃあ、今40歳の人はバタバタ死んでるんですかね?
http://yfrog.com/j2clyvj



 さて、明日はオノゴロ島とヒルコの謎解きをしますが、読者の皆さんは考え過ぎですね。特に、オノゴロ島を日本のどこかに求めて泥沼にハマる傾向にあります。イザナギとイザナミが誰であるか分かれば、オノゴロ島に深入りしなくて済むのです。

参考 天然セシウムの分布図
http://www.gsj.jp/database/geochemmap/setumei/japanCs-s.jpg

      エフライム工房 平御幸
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒルコとオノゴロ島の謎

2011-10-13 21:54:33 | 古代史と聖書
 久し振りに問題を出します。『古事記』の国生み神話において、イザナギノミコトとイザナミノミコトの最初の子供であるヒルコは、不具のために葦の舟に入れられてオノゴロ島から流されてしまいます。

 さて、オノゴロ島とはどこか?これは長い間の論争の種であり、また現在も定説がありません。また、ヒルコはどこへ行ったのか?今回は、この二つの謎に対する明快な回答を求めます。見事に回答できたらカッバーラ検定の一級ですね。

 なお、国生み神話には西日本しか出て来ず、ようやく佐渡だけが描写されています。最初に日本に来たイスラエルは南ユダ系であり、それが支配できたのは西日本だけでした。それが古墳の配置が南ユダ系の星座(古代ギリシャやエジプトの星座)の形をしている理由ですが、後から来た北イスラエル系の部族は、佐渡から東日本経由のルートを取ったのです。これが鹿嶋や香取神宮に名残となっています。

 従って、『古事記』は基本的に南ユダ系天皇を掲げる神話であり、藤原不比等による編纂の段階で北イスラエル系天皇の神話に作り直されたのです。それが、東日本から佐渡だけが組み込まれている理由です。佐渡とは、エジプト王の前に立ったヤコブを左で支えたことから、左の人と呼ばれたヨセフの系統、すなわち北イスラエル系の王族が渡ってきたという意味です。左大臣などの日本に残る左優先は、エジプト宰相ヨセフから来ているのです。

      エフライム工房 平御幸
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後の音楽

2011-10-10 22:37:52 | 芸術
 以前に紹介したジューズ・ハープ(Jew's harp=口琴)ですが、その分布を見ると、滅亡した古代イスラエルの民の足跡と確かに重なります。祭司コーヘンの異体であるハンやフンからフン族のハンガリー。これは北回りのイスラエルです。ロシア北方のヤクートやサハ共和国、あるいは北海道のアイヌに至るルートです。対して、南回りのイスラエルからは、インドからフィリピン台湾に拡散し、日本でも平安時代の遺跡から出土しています→氷川神社東遺跡出土

 口琴は弾くものと糸で引っ張るものの二種類ありますが、金属製か木製かにかかわらず、音に独特のうねりを生じるためか、つい聴き入ってしまう麻薬的な効果があります。おそらく、脳の働きに影響を与える揺らぎがあるのだと思います。脳波の波長が下がるのでしょう。

 口琴が何かを表現しているとすれば、自然の音や動物の鳴き声などです。しかし、日本人が持つ口琴に対するマイナーなイメージとは裏腹に、本場ではマスターが認定され、またコンサートや集団合奏などの音楽会もあるのです。僕はそれらの幾つかの動画を見て、地球上に残された最後の音楽ではないかと思うようになりました。アフリカの音楽もカリブ海の音楽も、世界的にメジャーになって久しいですからね。残るは極寒のヤクートやサハです。

 ということで幾つか紹介しますが、僕が気に入っているのは無声映画に効果音として使っている動画です。またマスタークラスの演奏者による名人芸も良いですが、PAを使っているので音はイマイチですね。なお、ミニミカエルを作っているのですが、疲れのためか集中力がなくて補強板の位置に間違い orz。パソコンが余りに重いから、昨晩はハードディスクの数を半分に減らすためにデータ移動。サクサク動くようになったので、リスモ携帯にモーツァルトを転送するニダ。

無声映画
Ольга Подлужная (хомус) группа Страна 03 (Дарбука)
http://www.youtube.com/watch?v=o-BFmPDuGuQ&feature=player_embedded

Jew's harp vargan homus hand-made Варган хомус ручной работы
http://www.youtube.com/watch?v=JQhCnhdCeW8&feature=related

Pimpadooing
http://www.youtube.com/watch?v=JQhCnhdCeW8&feature=related

Ayarkhaan
http://www.youtube.com/watch?v=Wg4Fwbo7tkg&feature=related

Айархаан на ЫhЫАХ
http://www.youtube.com/watch?v=USnNxc8Ccgo&feature=related

歌入り
"Айархаан"- Sayan Ring- клип 1
http://www.youtube.com/watch?v=DRwX-wh4i6o&feature=related

Ханты-мансийский варган - супертетушка

http://www.youtube.com/watch?v=w1Czj_mZGMI&feature=related

Khomus player Fiodorova Natalia
http://www.youtube.com/watch?v=i_u1mNQRCxM&feature=related

Рекорд игры на хомусе в Якутске
http://www.youtube.com/watch?v=ifRPooB_00g&feature=related

無声映画の動画を発見したヤクートのサイト

http://eyakutia.com/
http://eyakutia.com/tag/music/


      エフライム工房 平御幸
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日立 HA-007の修理

2011-10-07 17:34:05 | アンプ製作と修理
 大震災の影響で日立のデバイス工場(現ルネサス)も操業停止に追い込まれましたが、僕が愛用するMOS-FETの大半は日立製です。しかし、往年の日立のアンプには異端児が多く、ナジェか東芝製のデバイスを使った製品もありました。名前はHA-007という、いかにもたこにも怪しげな名前です。



 実は、日立はデバイス工場だけではなく、DENONやSonyなどの製品を組み立てる工場もあったようです。実際、Lo-D HA-9000DとDENON PMA-780Dは中身が一緒ですし、Sony製のアンプのパーツは日立と同じものが多いのです。だから、日立のアンプの修理が出来れば、Sonyのアンプの修理も同じスキルで可能となります。

 このような日立の性格から、おそらくは東芝などの海外向け製品を請け負い、その製品の技術を自社の製品に応用したのが件のHA-007なのではないかと推測します。ビデオ入力もあるAVアンプの性格を持っていますが、パネルやツマミはいかにもローコストで、お世辞にも高級感があるとは言えません。また、回路も全段ディスクリート(トランジスタで組む回路)ではなく、前段は三洋のICで簡便に設計されています。



 修理はヒューズ抵抗を一本交換しただけで音が出たのですが、落札価格1000円とは思えない高品位な音。さすがはクリスタルガラスのようだと讃えられた、サンスイのMOS-FETアンプと同じ石ですね。僕がよく修理するソニーのアンプは、この石のモデルチェンジ版で、サンスイが気に入らなくて使わなかった石だそうです。ちなみに、この当時のサンスイの音を決めていた社長兼技術者が、小型風力発電のヴェンチャー企業(ゼファー株式会社)を設立しています。

 このアンプのICで組む回路は、『MJ無線と実験』誌に執筆している、土屋赫(あきら)氏の97年ころの作品を連想させます。あるいは、土屋氏は日立の技術者だったのでしょうか。いずれにしても外見とは裏腹に良いアンプなので、パーツを少し高級品に入れ替え、接点を磨いて修理完了、と思ったら音が出ません。三たび分解してハンダ修正。今度はちゃんと音が出ました ホルホル。

 HA-007を検索しても、海外サイトの方が多いという物悲しい位置付け→ロシア語サイト。写真のヒートシンクには、2SJ115(緑)と2SK405(黒)という東芝のMOS-FETが見えます。秋葉原ではこの石だけでペア2000円前後ですから、ステレオで4000円近くの高級品です。落札価格の千円は送料を入れても馬鹿安でしたね。ボンネットと底にガムテープが付いていたので、剥がした痕の再塗装が必要みたいです。



 というわけで、僕の作ったスピーカーを使っている読者の中で、このアンプを使いたい方はご連絡ください。普通のアンプに比べれば小型(幅370mm、奥行300mm)ですが、アイワの超小型アンプなどに比べれば大きく感じるかもしれません。音は繊細でクラシック向き。パワーは余り有りませんが、聴き疲れしないので本質的に良いアンプだと思います。なお、脚は最初からなかったので、縁取りが金色のを取り付けました。

      エフライム工房 平御幸
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

椿の奥義

2011-10-06 10:22:26 | 古代史と聖書
 神戸新聞杯のオルフェーヴルは強かったですね。スローをピッタリと折り合い、成長した馬体から繰り出されるフットワークの力強さ。フレールジャックが力んで追走した向正面で既に勝負がありました。返す返すも凱旋門賞に挑戦して欲しかった。ウインバリアシオンは本番睨みで余裕残し。本格化はもう少し先かもしれませんが、菊花賞ではチャンスがあります。

 さて、椿大神社からツバキとは何だろうと考えました。調べてみると、椿は奈良の平群(へぐり)町に椿井(つばい)があり、桜井市の海柘榴市(つばいち)もツバイです。『記紀』によると、ツバキは唾吐きによる霊力、すなわち掃(はら)う神として描かれます→こちら。「掃う」は「祓(はら)い」と同じです。

 実は、唾によって奇跡を起こすシーンは新約聖書にしばしば登場します。イエスが唾と土を混ぜて泥を作り、盲人の目に塗って目を開かせたとか。椿はラテン系でカメリアですが、これはフィリピンから椿を持ち帰った宣教師の名前カメルから。従って、聖書の舞台のパレスティナやエジプトには椿はありませんでした。

 聖書との関わりで言うなら、むしろ石榴(ざくろ)のほうが頻繁に登場します。豊穣のシンボルとして、ギリシャ彫刻では『石榴を持つ少女』などが遺されています。『出エジプト記』28-33にはこうあります。

“そのすそには青糸、紫糸、緋糸で、ざくろを作り、そのすその周囲につけ、また周囲に金の鈴をざくろの間々につけなければならない。”

 このように、石榴は祭司の衣服に縫い付けられたシンボルであり、赤い色から「海を渡ってきた石榴」という意味で海柘榴と書かれた椿。椿には、イエスの奇跡の唾と、祭司のシンボルの一つとしての石榴という二つの意味が込められていたのです。

 椿を分解すると「三人の日の木」。要するに、太陽神イエスを含む天の三神と、イエスの掛けられた木を表しているのです。伊勢の猿田彦神社の額に刻まれる周は、マタイの口をヒントにしろというメッセージ。マタイの口とは『マタイによる福音書』にほかならず、この書を読めば、マタイとマグダラのマリアの血統が分かるという仕組みになっています。

 猿田彦神社の額は、田と彦が合体して体を成し、猿の文字が烏帽子をかぶった人の頭になっています。サルはスペイン語で塩。塩の音読みのエンは、サルの音読みと同じ。エンは死海の沿岸のエンであり、塩のエンであり、そして日本の円に繋がるように、エンはイスラエルの祭司レビに付帯する言葉なのです。

 猿田彦の田は、以前にデンマークで説明したように、デンと読んでダンと共にダン族を指す言葉。伝統とはもともと、ソロモン神殿を作ったダン族の技術継承を指すのです。天鈿女命にも田が付いているのはそのためです。鈿はテンやデンと読んで、意味は簪(かんざし)。聖書学的には、そろそろダン族がその正体を表す次期なのでしょうね。そういえば、凱旋門賞を勝ったのはデインドリーム(DANEDREAM)で、意味は「ダン族の夢」でした。

      エフライム工房 平御幸
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久々にコンサート

2011-10-02 10:23:13 | Weblog
今日の10/2(日)、14:00からの横浜みなとみらいホールでのコンサートに出かけます。

ベートーヴェンの7番の交響曲
モーツアルトのプラハ交響曲
バッハのバイオリンの二重協奏曲

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/1751/concertguide.html

この前の伊勢に同行した読者も出演します。好きな曲ばかりで楽しみニダ ホルホル。
なお、深夜にはフランスの凱旋門賞に日本馬二頭が参戦。こちらも楽しみです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする