平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

天皇が役割を終える時

2006-04-25 22:49:58 | 古代史と聖書
 天皇が役割を終える時

 秋篠宮夫妻に第三子が誕生予定という事で、皇室典範の改正論は一応の終息を見たようです。しかし、僕はこの問題に対して全く別の見方をしています。それは、最初から無意味な論議ではないかというものです。

 僕は古代史で、天智と天武の対立以来、日本の皇統は二つの鼎立状態で今に至ると書いています。しかしそれは、室町時代の南北朝という常識的な対立の構図ではありません。確かに南北朝の対立が今に至っているのですが、問題は、南北朝自体が古代イスラエルの南北分裂に端を発しているという深い根があるからです。

 前928年に蒔かれた古代イスラエル分裂の種は、南ユダ王国と北イスラエル王国の滅亡後にも世界史を翻弄し続けてきたのです。例えば、ローマ建国神話には、南ユダ王国の初代王サウルを輩出したベニヤミン族の影が見えます。また、サウルの次なる王は高名なダビデですが、ダビデを輩出したユダ族は、イエスとキリスト教によって世界に知れ渡ります。日本でも、聖徳太子を支えた秦氏はユダ族です。ユダ族は獅子がシンボルですが、獅子のヒエログリフの読みがハタなので、それが秦氏の名前となったのです。さらに、聖徳太子は突厥(トルコ)系のベニヤミン族なのです。

 対して、北イスラエルの末裔は、初代王ヤラベアムを輩出したエフライム族が中心となり、北イスラエルの伝統であるヨセフの教え、すなわち仏教を携えて世界を駆け回ります。仏教は、北イスラエルで祭っていた牛をトーテムとする、ダン族の末裔が開祖なのです。それで、ダンのという意味のダンナと言うのです。ダン族にはソロモン神殿を建てた技術があり、それで木工技術を神に捧げるダンジリを祭りとしたのです。ちなみに、ダンジリのジリはジリ足のジリであり、イスラエルの12部族の最後を行進したので尻と呼ばれたのです。ダンジリは団扇を扇ぎますが、ダン族の祭りなので扇ではなくて団扇なのです。

 南ユダと北イスラエルの末裔は、日本でも二つの皇統を維持しようとして対立します。それが北イスラエルのエフライム族による武の皇統と、南ユダのベニヤミン族による明の皇統です。両方とも先祖の名前の末字ですから、武はムと読み、明はミンと読みます。天武は武の皇統、斉明は明の皇統です。そして、南北朝の北朝が明の系譜、南朝が武の系譜なのですが、詳細はエフライム工房の『私だけの古代史第三部・法隆寺編』を読んで下さい。

 さて、問題はここからです。明治は明らかに明の系譜なのですが、実際には武の南朝によるクーデターがあり、明治天皇は即位後にエフライム系の天皇に替えられたのです。これはトンデモ説でも何でもなく、京都の明治天皇と東京の明治天皇の写真を見比べればすぐに分かります。さらに、新しい明治天皇は16才の時に、西郷隆盛と一緒に写真に納まっています。チョンマゲで刀を持ち、眼光鋭い武人の眼差しをしています。これから2年後に明治天皇となるのですが、キヨソーネが描いた絵も含め、この武の系譜の天皇の容貌は、下唇が突き出て顎が小さく、眉と目の間が狭いという共通性があります。(詳しい検証もしましたが、現段階では皇室批判に利用される可能性が高いので、正式発表には時期尚早と判断しました)

 実は、僕の若い時の顔は、この武の明治天皇によく似ているのです。異なるのは僕の方が口元や顎のバランスが良く、また小柄だというところです。それである時、描いた自画像が明治天皇に似ていることに気が付きました。ちなみに、ここで掲載している自画像は、コンタクトをしているためにパッチリ眼で、しかも髪を押さえるピン留めをしているので、描いた中では一番似ていない自画像です。

 それで、明治の天皇は、北イスラエル王国のエフライム族による武の系譜に落ち着いたのですが、実際には、薩長や土佐などの政治的な駆け引きの道具として、南ユダの北朝系の天皇も擁立されてきたのです。その図式は意外にも現代まで続いているようです。僕としても、問題が大きいことと確証が完全に得られていない事を合わせて考えると、何処まで書くべきか迷っています。ただ、僕の立場は南北イスラエルの融和を願うことにあります。決して、出自がエフライム系の平家だからという理由で、エフライム族の北イスラエル系天皇に荷担するのではありません。

 ですが、一般の人達はどちらかに荷担することで、自分のアイデンティティを高めようとします。あるいは、ナルシシズムを強めるというべきかもしれませんが。でもそれは、皇室の十字架を重くする行為でしかありません。雅子様の苦悩も、報道されているようなレベルのものではないのです。ですから、国民の一人一人が、皇室がどのような発言をされても驚かないような、本当に成熟した国家を造り上げる事が国民に課せられた責務なのです。

 また、世界の雛形として、日本においてイスラエルの融合が果たされなくては、世界中に散ったイスラエルが調和することはないのです。皇室典範の改正には、政治的な駆け引きや、あるいはもっと巨大な思惑が絡んでいるかもしれません。でも僕は、それが無意味になる日を知っています。なぜならば、古代イスラエルに始まった分裂と対立の図式はやがて崩壊し、天皇家はその役割を終えて十字架を降ろすからです。それは遠い未来ではなく、今の皇太子様が最後の天皇として役割を終える時に重なるのです。その時は2037年のイエス再臨の時。その時が来れば、神の代理の天皇家は必要がなく、皇室典範論議も無意味だったと理解されるでしょう。
 
       エフライム工房 平御幸


 参考 大室寅之祐(明治天皇)の出自と近代皇室について

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斑鳩(いかるが)は昴(スバル)

2006-04-10 08:45:39 | 古代史と聖書
 古代史の方で新発見があったと前に書きましたが、それをエフライム工房の方でアップしましたので、今回は概略を書きたいと思います。

 今回の発見は、斑鳩の寺院や古墳の配置が星座の昴になっているということです。何故昴なのかは後で説明するとして、最初に発見したのは牡牛座の方でした。昴が牡牛座の肩にあるのは有名ですが、それが大和西古墳群に映されていたのです。大和西古墳群は、ちょっと見にはオリオンに似ています。しかし、オリオンとするには左右反転したような構図であり、シンボルの三つ星もありません。まあ、厳密に再現しない理由として、古墳間の距離が全て、地球の赤道半径の等分になっているという事実が考えられました。それで、大阪の羽曳野古墳群が白鳥座、聖徳太子廟のある太子町古墳群がカシオペア座ということにしていたのです。これらも僕の発見で、もう15年以上前に発見していました。

 ところが、カシミール3Dという山岳地形シミュレーションソフト(無料)を用いて大和西古墳群の配置図を作ってみました。すると、どうも牡牛座に似ているという感じがします。それで星座と比較してみると、牡牛座のアルデバランという赤い右目が一際大きな古墳と一致するのです。もちろん、二本の角と脚の部分の星も一致します。

 それで、大和西古墳群は斑鳩の南にあるのですが、斑鳩も一望できるようにすると、牡牛座の肩にある昴と斑鳩の遺跡が一致するのです。藤ノ木古墳、法隆寺、夢殿、法輪寺、法起寺、西円堂、の七つですが、これも昴のプレアデス星団の七つ星伝説と重なります。最も昴は六星(むつらぼし)と呼ばれていましたが、西円堂は法隆寺に極めて近いので斑鳩も六つに見えます。外国でも星が一つ無くなったという話もあるようです。



 さて、本題はここからです。斑鳩は何故に昴を模(かたど)っていたのか?その疑問に対する答えは、斑鳩が北イスラエル王国と南ユダ王国の融合を目的とした聖地であり、それでイスラエルのシンボルである六芒星(ろくぼうせい)に繋がる昴の六星になるのです。古代日本の皇統は一つではなく、前928年に分裂した、北イスラエル王国の10部族と、南ユダ王国の2部族の覇権争いがあったのです。これが、天皇名が天武などの武の系統と、用明などの明の系統の二つになる理由なのです。

 北イスラエルの代表はエフライム族、南ユダの代表はダビデのユダではなく、最初のイスラエル王を輩出したベニヤミン族です。それぞれの末字のムとミンが武と明になるのです。ベニヤミンは突厥(とっけつ=トルコ)に変身していましたが、それで日本と兄弟であるという伝説が生まれたのです。長くなるので興味のある方はエフライム工房の『私だけの古代史第三部・法隆寺編』を読んで下さい。

     エフライム工房 平御幸

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