平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

狂牛病はウイルス?

2006-07-27 20:08:38 | Weblog
 アメリカからの牛肉輸入が再開されるとのことですが、アメリカでは狂牛病に対する新たな疑問が提起されているようです。

 ジョン・コールマン著『鳥インフルエンザの正体』という本が成甲書房から出ていますが、これによると鳥インフルエンザは遺伝子操作で作られた細菌兵器とされているようです。さらに、狂牛病すらプリオンが原因物質ではなく、ウイルスであるように書かれているようです。「いるようです」と心許ないのは、僕にはこの本を手に入れることができないからです。

 実は、鳥インフルエンザが細菌兵器ではないかという疑問は、日本国内でも提起されているのです。しかも、我々の日常生活に紛れ、白昼堂々とウイルスの空中散布をしているらしいとの報告もあります。これをケムトレイルと呼びます。飛行機による空中散布で発生する白い煙。しかしこの煙は、農薬散布ではないのです。

 ケムトレイルが日本人をモルモットとして行われている人体実験だとしたら、それが鳥インフルエンザであれ、狂牛病のウイルスであれ、マインドコントロールの薬剤であれ、いずれにしても日本を滅ぼす悪魔の技となります。最近急増する凶悪犯罪も、意外に空中散布された薬剤に反応した行動かもしれません。

 アメリカ産の牛肉を消費者が拒否しても、別の方法で日本を滅ぼそうとする計画は出来ているはずです。ノストラダムスの予言を成就させる闇の組織は、ヨハネの黙示録を成就させるためにも手段を選びません。これからが本当に恐ろしい時代の到来なのです。その中にあって、希望を捨てずに人間として生きた人にだけ、神の国は門を開いているのです。
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フィギュアスケート、優雅さの秘密~江戸時代のナンバ歩き

2006-07-16 10:09:00 | Weblog
 フィギュアスケートのオフシーズンですが、選手はこの時期に基礎体力を向上させ、新たな振り付けによるプログラムを磨きます。ファンも新たなプログラムに期待しつつ、冬眠ならぬ夏眠を貪ります。でも寝ているだけでは寂しいので、フィギュアスケートの優雅さを分析して遊んでみましょう。

 フィギュアスケートもスポーツですから、実際の選手は逞しいマッチョです。中学時代の真央ちゃんですら、肩幅が広くてウエイト・トレーニングをしていると分かります。僕は高校時代、何を血迷ったのか重量挙げ部(フライ級)にいたので、肩幅で鍛え方が分かるのです。重量挙げの選手は、実は垂直跳びが抜群で、僕でさえ80センチは楽に跳べました。フィギュアの三回転ジャンプを真似て床の上で跳んでいたのですが、スルツカヤさんも同じように床の上で跳んでトレーニングをしているんですよね。

 高校までは力を入れるトレーニングをしていた僕ですが、芸大では反対に力を抜くことを教わりました。当時の芸大には、コンニャク体操で有名な野口三千三先生が居られ、一年生は全員コンニャク体操が課題だったのです。僕は、腰をグラインドさせる実技の時、余りに上手いので手本として指名されました。これは、中学の相撲と、高校の重量挙げの、腰を使うスポーツの成果なのです。それにしても、横綱貴乃花は腰の使い方が下手な力士でしたね。

 それで、力を抜くことに興味を覚えた僕は、普段の歩き方も重心移動だけで歩くように訓練しました。ところが、この歩き方は江戸時代のナンバ歩きというものと、基本的に同じらしいのです。右手と右足を同時に前に出す、手足が同相になる歩き方です。一般の人の歩き方は、手足が反対に動く逆相の歩き方で、これはネジリ歩きと言うらしいですね。どうも、明治時代に軍隊の訓練で導入された歩き方が定着し、日本人の歩き方は180度変わってしまったのです。

 ところで、コンニャク体操の時間には、手が三拍子、足が二拍子などという体操もやらされます。僕はコンニャク体操の応用で、二拍子と三拍子がクルクルと交差する独自の歩き方を開発しました。この歩き方は、人混みで縫うように歩くときに効果的です。ある時はナンバ歩き、またある時はネジリ歩き、これを瞬時に変えます。チャイコフスキーの五拍子のワルツ(交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」第2楽章)で踊る感じです。熟練すると、人にぶつかりそうな時は脚を交差するクロス・ステップで避けることも出来ます。このような歩き方は、端から見ると「(優雅に)揺れている」ように見えるそうです。

 さて、僕の開発した「揺れる歩き方」は、実はフィギュア選手なら誰でも無意識で行っているものなのです。ただし、氷の上ではね。フィギュアスケートでも、スピードを乗せようとする時は、スピード・スケートの選手と同じように、手足が逆相になる一般的なスケーティングをします。けれど、複雑なステップの最中、回転に入る(出る)時、あるいはジャンプの前運動の瞬間などでは、手足が同相になる場面が多いのです。そして、手と足を同時に前に出す時、それは優雅で流れるようなポーズを獲得します。これが、フィギュアスケートがスポーツでありながら優雅でいられる秘密なのです。

 フィギュアの世界では華奢に見える村主選手でさえ、バラエティ番組などで拝見するとスポーツ選手を感じさせます。そんなとき、普段から優雅な歩き方が出来たなら、氷上ではもっと優雅に見えるだろうなと思ってしまいます。氷上でのパフォーマンスは、実は日常という氷山の一角でしかないのです。さて、秋には新たなプログラムを披露してくれる選手たちの夢を見ながら、もう少し夏眠をしておきましょうか…。

   エフライム工房 平御幸 
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フリーソフトの恩恵~古墳時代の大和湖の存在

2006-07-05 12:09:54 | 古代史と聖書
 フリーソフトの恩恵~古墳時代の大和湖の存在

 古代史の方で度々用いるツールに、山岳地形シミュレーション・ソフトのカシミール3Dというものがあります。DAN杉本氏による無料のソフトですが、国土地理院などの地図情報を元に、地形を3D(立体)化したり、ダム湖や自然湖を作成したり、それらを仮想カメラで写すことが出来ます。使い方で色々に役立つのですが、僕は古代遺跡の地形的な制約を調べています。具体的には、弥生遺跡の水没が確認出来たりするのです。

 邪馬壹国の候補地に大和がありますが、田原本町にある弥生時代中期から末までの唐古・鍵遺跡もその候補地です。ところが、唐古・鍵遺跡の東西は、纒向遺跡と大和西古墳群という古墳時代の遺跡で占められています。古墳群に挟まれた盆地が弥生遺跡なのです。変ですね。なぜ、弥生遺跡は棄てられたのでしょうか。

 この疑問を解くために、古墳群の配置を検討する必要があります。なぜならば、古墳というのは権力の象徴ではなく、堀に水を集める構造で沼沢地などの土地改良を目的としたものだからです。これは、『私だけの古代史・第一部酒船石編』第7章「酒船石の謎解きの材料」で説明しています。従って、古墳は水際に造られたので、逆説的には古墳の標高以下は湖だったことになるのです。実際、中百舌鳥の仁徳天皇陵や羽曳野の古墳群も、古代の大阪湾の水際だったのです。ここから、大和西古墳群と纒向の古墳群に挟まれた唐古・鍵遺跡は、古墳が造られた当時は湖だったと推量出来るのです。

 最近、邪馬壹国を大和にしたい研究者が、古墳時代を引き下げようとする傾向にあります。しかし、古墳時代と卑弥呼の弥生時代は根本的に別なのです。卑弥呼の墓は槨のない土の家であり、これが塚なのです。塚を土の家と読み間違ったのです。いずれにしても、槨を持つ古墳とは違います。当然、箸墓古墳もその他の古墳も卑弥呼の時代のものではありません。邪馬壹国は静岡にあったというのが平説です。

 さて、問題は弥生遺跡が大和湖に沈んだ原因です。これもカシミール3Dで分かるのです。それは、斑鳩から西に流れる大和川が信貴山の南で塞がれ、ダムを形成したからです。関西本線が走る川沿いのどこかで土砂に埋まったのです。これは、川が埋まるほどの土石流があったことを意味します。これが大和湖を作り出し、唐古・鍵遺跡を水没させたのです。

 この様なことを現在研究中ですが、長編になりそうなので重い腰が益々重くなっています。番外編のエピソードとしては量も多く、第四部として構成しようかと悩んでいます。でも、カシミール3Dで作成した画像はインパクトがあるから、これだけでも早めに公開することにしました。

     エフライム工房 平御幸
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